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1750回目:当たり前、は合わない前提で。

そこだよ! とか、
そこじゃないんだよなぁ……

という感覚を誰かと共有できるって
なんと嬉しいことか。

視点というのか、
重視するポイントが
同じであれば

たとえ意見が違っていても
議論することができます。

ポイントがズレている
相手との議論は難しい。

というか、議論にならないと
感じています。

たとえ上位の目的について
共通認識を持てたとしても、

前提条件のポイントやアプローチを
考える時に重視する視点が違っていると

「なんでそういう話になるの?」
というような空気になってしまいます。

ポイントを合わせようとするのは
簡単ではないと感じます。

なぜならお互いに「当たり前」と
思っている部分だから。

たとえば、私は相手の意見を聞きたい、
議論をしたいと思っているのですが、
それは時に摩擦を生むことがあります。

ただ、それでもお互いに上位の目標に
合意ができていれば、一時の摩擦は
大抵の場合、解消されると信じています。

ですが、揉めたくないと思って、
たとえ意見があっても言わなかったり
するアプローチを取る人もいます。

意見を言い合いたい立場からすると、
後者の立場は表面を取り繕っている
ように見えてしまったりします。

一方、後者の立場から前者を見ると、
相手のことを考えずに言いたい放題
言っているように見えてしまっている
こともあるでしょう。

この差を埋めるのは簡単ではないと
つくづく実感しているところ、

重視するところが同じで
議論できる相手に出会えることは
喜びです。

自分と違う当たり前をもつ人たちを
否定しているわけではありません。

意見を言いたくない人たちに
無理矢理意見を言わせても、

本当の意見ではない可能性も
あるでしょうから、

そうしたいわけでもない。

相手が何を当たり前として
もっているのか。

見極めることまではできなくても、
せめて仮説をもって臨みたい。

数々の失敗を経て、また無邪気に
議論ができるわけではない中で
議論ができる相手に会って、

ついまた忘れかけていた意識を
取り戻しました。

やはりコミュニケーションは
おそるおそるが大事です。

【今日のまとめ】

相手の当たり前は何か。

無用な軋轢を避けるために
当たりをつけて臨む。


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