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1668回目:制約があるからふざけられる

うちのダイニングの椅子は
座面が回転します。

ベースは木でできていて、
座面に乗っているクッション部分が
回転するというものです。

狭いスペースでも、椅子を引くことなく
座ったり立ったりできるので
とても便利です。

ふと、回転する椅子って
日本で生まれたのかもしれないと
思いました。

で、Googleで調べてみましたが
よくわかりませんでした。

なぜ日本生まれではないかと
思ったのかというと、

狭いところでラクに座ったり
立ったりできるから。

スペースの制約に対して
便利なツールを考えたと言えば
狭い日本でのことでは?
という短絡的な思考です。

真偽のほどはさておき、
何事も制約があるから
工夫が生まれるというのは
よく聞く話。

制約がなければ、何でもできる
のになぁと思う一方、

そんなことはあり得ないと
わかっていて、

それでもなお自分が受ける
制約に対して文句を言ってしまう。

人間とはかように面倒くさいもの。
(大きく出ましたが、ただ単に
自分が面倒くさい人間なだけ)

どうせ避けられない制約であれば、
その中でいくつの選択肢を提示できるか
というチャレンジをやってみると
ゲーム性がでて面白いかもしれません。

以前一生懸命やっていた、
家事の一人タイムトライアル。

どうせやらなければいけない家事も
(好きではないどころか、
やらずに済むなら避けたいレベル)
楽しく取り組めました。

しかもタイムトライアルなので
早く終わるというご褒美? 付き。

早く終わらせるために、雑でよい
ということではありません。

一応最低限のクオリティは
保った上でのタイムトライアル。

「最低限のクオリティを保った」
などという言葉を家事に対して
使うこと自体が、

私にとってはちょっとふざけていて
楽しいのです。

と、書いてみて、
最近ふざけが足りないことに
気づきました。

危ないところでした。

基本的に、何らかの制約は
常にあります。

時間やお金を考えると
納得してもらえますよね。

そう考えると、私にとって
ふざけるネタは常にある
ということ。

そう思っただけで
楽しくなってきました。

制約ばかりの毎日、
楽しんでいけそうです。

【今日のまとめ】

制約があるから、工夫もふざけも
生まれる。


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