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1666回目:「なぜ」という問いが与える恐怖

一昨日の投稿で理由を問い続ける
という話を書きました。

毎日コメントを下さる大先輩から
「10数年前、コーチングのセッションで
コーチからなぜを何回か繰り返された
ことがありました。」という

このコメントを読んで、
「なぜ」という問いを繰り返し
突きつけられるのって

もしかしたら、けっこう怖いこと
かもしれないと想像しました。

自分が周囲に対して、し続けている
ことなのですが……。

だからこそ、相手は耐えられなくて
その場では黙り続け、裏で炎上した
ということがあったのでは。

私の伝え方にも問題があったとも
反省しています。

こんなのありますけど~と
提示するのではなく、

どうなの? と単刀直入に
突きつけるような感じだった
ことでしょう……。

この点は気を付けていますが、
それでもまだしでかしているなと再反省。

自分は「なぜ」と聞かれることに
ストレスを感じたことはなく、

むしろ問われてハッとして
考える機会をもらえたことに
感謝するのですが

過去を振り返ってみると
そのように受け取る人の方が
少ないのだろうと思いました。

その相手が受け止められる
「なぜ」の問い方はどのようなものか。

それ以前に、問い方に関わらず
「なぜ」という問いを受け止められる
ひとであるだろうか。

「なぜ」を問い続けたいからこそ、
こうした自問をしておきたいと思います。

【今日のまとめ】

「なぜ」という問いは
恐怖をもって受け止められる
可能性がある。


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