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私の世界

私が生きているのは、私だけが見れて感じられて聞けて嗅げる味わえる世界だと思う。

人間同士の体の構成はかなり似ているから、コミュニケーションを通して、私が見ているもの感じているもの聞いているもの嗅いでいるもの味わっているものを説明して理解してもらおうと努力することは、できる。

それでも、どこまで行っても、100%同じに感じることは、無理だろう。


匂いで言うなら、鼻のつまり度によって濃度は異なって感じるだろうし、視覚なら、視力の良し悪しによって、まつげの妨害具合によって、明るさもくっきり差も違うだろうし。耳だって良い悪いがあるし、低音が聞こえにくい人もいる。歳とともに聞こえる領域も変わるというしね。触感でいうなら、皮膚の厚さに関しては自分の人差し指と小指でも違うし、家事するようになってすっかり効き手の皮が厚くなってかなりの熱さも感じなくなった。味覚だって自分の中で比べても日によって変わる。同じ食べ物でもその栄養素を欲しているときはやたらと美味しく感じたり、酸っぱいものも平気で食べれたり。

歳とともに変わったことを抜きにしたって、生まれた瞬間から私たち人間にも個体差がある。双子の兄弟だって、全く同じ明るさで同じ色に世界が見えているという根拠はない。


ヨーロッパに住むかなりの数の人が、「虫の声」を聞くことができないらしい。「虫の声」という概念がないから、らしい。つまり、認識できないものは聞くことができない。ということは、認識によって聞こえる音が変わると言って良いのだろう。


そう考えると、生物はあくまでも、一人一人それぞれの世界に生きているのだと思った。

私は、私だけの世界に生きているのだと思った。


五感だけの話じゃなくて、同じニュースを読んでも、目につくこと感じること頭に入ってくることは一人一人必ず違うと思うし、学校の同じクラスで同じ授業を一日中受けても、その日がどんな1日になるかなんて一人一人全く違うだろう。


だから私は、私の人生の中で、私が何をして、何を言って、何を思って、何を感じるかが、何より重要なんだと気がついた。

それが、私の世界だから。

私が何をして、何を言って、何を思って、何を感じるかが、私の世界の全てだから。


だから良い歳して、ようやく気がついた。


世界のどんな良いニュース悪いニュースよりも、世界の各国の代表がしたこと話したことよりも、世界で一番IQが高い人が突き止めた新事実よりも、今までの概念を覆す歴史的大発見よりも、それよりもさらに、

私が今何を決めて、何をするのかが


もっともっともっともっともっともっと上位で


重要だということに。


だって、私が生きているのは私の世界だから。


私が生きている全ての瞬間で、私が何を決めて、何をするのか。

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