ままならないことだらけの世の中で、私たちはどう生きていこう〜『智恵子と光太郎』を読んで〜
「女が結婚しないでいるのはよくないなんて誰が決めたことなの。だいたい世の中の習慣なんて、どうせ人が決めたことでしょう、それに縛られて一生、自分の心を騙し続けて生きるなんてつまらないことだわ。わたしの一生はわたしが決めたい。たった一度きりしかないわたしの一生ですもの。」
と高村智恵子は言ったそうだ。
「道程」「智恵子抄」をはじめとした数々の詩集を出版し、彫刻家や画家として活動した高村光太郎。その妻、智恵子は明治という封建的な時代に芸術家として自立し、純粋な心のままに生きた女性である。
演劇ユニット 箱庭 第5回公演「38.9℃の夜」では、社会人と演劇・表現活動を両立する、年齢・結婚年数が異なる3人の既婚女性で構成。
「結婚して、家族を得ても、孤独だった」と言う感覚をもとに、現代に生きる女性としての生き方と、その苦悩と孤独について描き出す。
その舞台の題材として取り上げられるのが高村智恵子という一人の芸術家の一生だ。
今回この公演の広報企画の一環に参加することになった成り行きから、智恵子の一生を知るべく「智恵子と光太郎」(作者 金田和枝/1986年4月出版/歴史春秋出版)を読んだ。
智恵子の生き様の紹介と読んだ感想を書きたいと思う。
福島県二本松市に実家がある智恵子は、造り酒屋の長女として生まれた。
いわゆるお嬢様であり、同級生では珍しく高等科まで進めるほど経済的にも恵まれていた。持って生まれた美しいものにする感性も人一倍あった。
母親は「女はいい所のお嫁に行くのが一番の幸せ」と言う価値観を持っていたため、高等科を出たらお嫁に行かせようと思っていた。
しかし、智恵子は学校の先生の勧めで女学校に進み、勉学に励みたいと思うようになる。
美しいものに対する思いが智恵子の芸術、特に油絵への興味を開いた。
学校の先生が直々に両親に進めたこと、智恵子自身が祖父母の肖像画を描き上げ自分の油絵の実力を両親に訴えて説得し、東京の学校に進む。
その中で出会ったのが高村光太郎だった。光太郎は、学校の先生であり、智恵子はそこに通う学生。
智恵子は光太郎に強く憧れる。
ずっと東京で油絵の勉強をしたいと思っていた智恵子。
ところが祖父が他界したことをきっかけに実家の酒屋の経営が傾き始め、両親もふるさとに帰ることを強く進めてきた。
昔こそ、自分は東京で絵の道を進んで生きると強く決意していたが、ふるさとへの愛と両親の気持ちが痛いほどわかる智恵子ははじめて揺らぐ。
そしてふるさとに帰ることを決意する。
その旨を光太郎に伝えると、智恵子にある詩を送ってきた。
いやなんです
あなたのいってしまうのが
花より先に実がなるような
種子よりさきに芽の出るような
そんな理屈に合わない不自然を
どうかしないで下さい。
光太郎も智恵子と同じ思いだったことがわかり、ふるさとへ帰るのを辞めた。
周囲の反対を押し切り恋愛結婚した智恵子と光太郎。
幸せな結婚生活。
しかし、以前かかった病気が再発し療養でふるさとによく帰るようになる。
さらには思うように油絵が描けなくなってしまった。
そして光太郎の名が世に知れ渡ったことにより、忙しくなり、彼を支えるために絵を描きたい気持ちを押し殺しながら家事雑用をこなすようになる。
ままならない日々に追い打ちをかけるように、実家の造り酒屋が倒産。
大好きな山、景色が人の手に渡り、一家が離散。
支えを失ってしまった。
たくさんの悲しみが智恵子を追い詰め、統合失調症も患い、病状が悪化してしまう。
光太郎の看病もあったが
智恵子はついに52年の生涯を終えた。
死の間際、光太郎が持ってきたレモンを握りながら亡くなったという。
高村光太郎の「レモン哀歌」は智恵子の今際の際を綴った詩である。
女は結婚しなければならない、お金持ちのいいところに嫁ぐのが一番の幸せだ、女は勉強しなくていい。
当時は当たり前だった価値観に疑問を唱え、自分の力で人生を切り拓ける智恵子はとても賢くて強くて眩しくて気高い。
人生も、恋愛も、結婚も、興味も、全部自分で考えて決めていける人。
憧れの人と結ばれ、互いに愛し愛されるような夫婦生活。
一見してとても幸せで理想的な人生であるにも関わらず、智恵子はだんだんと精神を病み、体調を崩し、心身ともに疲弊して、他界した。
その要因として4つのポイントがあったように思う。
①智恵子の家のこと。母の価値観、家族の他界により実家の経営が傾いて、倒産し、家族がバラバラになってしまった。
②一家が離散し、慣れ親しんだ山が人の手に渡り、智恵子の感性の源であった故郷が変わってしまったこと。
③光太郎の名が世に知れ渡ったため、不安定な家計支えなければならず、思うように絵が描けなくなったこと。
④純粋で正義感があって、完璧主義という智恵子自身の性格。
これらの要因が複雑に絡んで智恵子を蝕んでいったと感じた。
智恵子自身が引き寄せたものというよりも、不可抗力的に自分ではどうしようもない、ままならないことばかりだ。
そして、こういった「ままならないこと」たちは、私にも同じように立ちはだかる。
25歳になって精神的な負荷がかかりやすくなって、どうも、生きていくのって結構辛いんだなと感じるようになった。
20代前半はノリと勢いで地球も回せると思っていたし、私こそがこの世の主人公だと思っていた。大人たちが浮かない顔をして、会社や結婚やお金や将来に対してネガティブなことを口走っているのを見ても「私は絶対こうはなりたくないな、ポジティブで愛と元気を与えられる人でありたいな」と思って、ずっとその調子で生きていけると思い込んでいたけれど……
どうやら最近ネガティブな人たちの気持ちがわかるようになってきた。
自分ではままならないことが多すぎる。お金だの、将来だの、政治だの、社会だの、の影響が自分に直にのしかかる。それらを一旦止まって考えるだけの時間も十分に割けない。1週間くらい休んでこれらのことをじっくり考えるだけの時間が欲しいのにな。時代が変わっても、それぞれ悩みは尽きなくて、ままならないことばかりだ。
智恵子は一生の中でたくさん揺れていた。
ふるさとを出て行きたい
ふるさとが好き
家族に縛られたくない
家族といると居心地がいい
自由に生きたい
与えられた役割を全うしたい(全うしなければ)
智恵子の迷いが、悩みが、すごくよくわかる。常に矛盾した感情を上手に天秤にかけて生きていかなければならなくて、大人になればなるほどその局面が多くなって、煩わしい。
考えるのがめんどくさくて、いっそ敷かれたレールにじっとしていればなにも考えられなくて済むんだけど。それもできないから尚更つらい。
智恵子と自分は生い立ちと時代は違えど、共感はできた。
自分の意思を強く持って、世間に流れず自分の人生を決定していったのにも関わらず、そのひたむきさが故に傷ついてしまった智恵子の生涯は悲劇とも言えるけれど
智恵子がもがきながら生きた姿は、私にとって希望だとも思えた。
美しく愛をもって最後まで生きたことは、レモン哀歌にも書いてある。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉
に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓
でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
私が抱える多くの悩みは解決することはないだろう。そして新たな悩みも生まれていくだろう。それらを取り除く労力がめんどくさくて、全てを終わりにしたくなる瞬間もきっとあるはず。
それでも、最初に信じた自分の生き方を裏切りたくない。苦しさの途中に散らばる、喜びや幸せをプレゼントのように大切に拾いながら、生きていきたいな。
そして世間から、周りから、課せられる鎧を脱いで、他人の色眼鏡で自分を見ず、人のせいにもせずに
「自分の人生を生きた」
そういう実感が心から湧くような生き方をしていきたい。
ままならないことだらけの世の中で、智恵子は生きました。
ままならないことだらけの世の中で、私たちはどう生きていこう。
そんな智恵子を題材とした舞台が開催されます。
INDEPENDENT:SND 2019 参加企画
演劇ユニット 箱庭 第5回公演
『38.9℃の夜』
出演:しゅー(演劇ユニット あかりラボ)
脚本:長門美歩
演出:志賀彩美(演劇ユニット 箱庭)
7/5(金)19:30〜 1作品目
7/6(土)19:30〜 2作品目
7/7(日)13:00〜 3作品目
せんだい演劇工房10-BOX box-1(仙台市)
演劇ユニット箱庭Twitter↓
ヘッダー写真撮影 鈴木麻友
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