影響与えるって何??

※個人的な考え、教えてください。
今までの人生で、学ぶことはたくさんありました。
部活、勉強、嫌いな人、好きな人、憧れた人、挫折、留年、仕事。
沢山の学ぶことがあるから、毎日面白いし、生きている気がする。

それゆえ、人生の中で影響を受けたなーと思うことは割とあるけど、
影響を与えたな、これ。」って実感したことはない。23年間振り返ってない。おそらく与えたいと思って行動したことが少ない。

部長もやったし、クラスの人とも仲良くなって話した。そのときに、影響与えたい!と思ったことはない。
吸収したい欲のほうが大きくて、発言より聞くことが多かった気もする。

それって悲しいことなのであろうか。
ふと、「影響を与えることができて、嬉しい」と書いてある記事を見つけて思った。


与えたか与えていないか、影響とは主観的なものであるような気もする。
相手が影響受けてなくても、主体者が与えたなと思ってしまえば、与えたことになるのではないか。

一方で、フォロワー100万人など定量的に図れるような気もする。
(そんな沢山の人に私生活ノゾキミされて喜ぶ人の気持ちがよくわからないが、)まあ影響を与えている人であると思う。

発行部数とか、商品売上も影響を与えた証拠と考えるなら、影響を与えたいい気も少ししてくる。(作家や漫画家の皆さんには、昔から憧れと尊敬と夢を抱いてます。)

そもそも影響与えたいってエゴでないのか。
引っ込み思案な自分は思ってしまう。
影響受けたいものは人それぞれが選べばいいし、与えたいと思って放つものって本質的に正しいのそれ?独りよがりなこと多くね?などひねくれて考えてしまう。
良いものを作りたい、良いプレーをしたいなどひたむきに行動して、その結果が広がっていくのが美しいなと思う。

話はだいぶずれてしまったが、「影響を与えたい」と思わないのってどう思いますか。人としてどうなんでしょうか。
(個人の市場価値としても、気になるところ・・・)
また、影響を与えた!!と実感を感じるときっていつですか。
与えたいと思って、与えられたときって嬉しいですか。


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