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分からないということが分かった〜「世界は『関係』でできている」を読んだ

「世界は『関係』でできている〜美しくも過激な量子論〜」を読んで考えたことを、脳内関西人の林(仮名)と富田(仮名)の会話形式でお届けします。


 量子って知ってる?

富田 なんか聞いたことはあるな。めちゃくちゃ小っちゃい粒子やろ?原子とか分子とか電子とかとの違いはよう分からんけど。

 量子はな、物質の最小単位やねん。今お前が言うた中で1番でかいのが分子で、H2Oとかや。でかい言うても、肉眼で見えるレベルちゃうけどな。

富田 H2Oって言うたら、水やな。

 そう、水素原子2個と酸素原子1個っていう意味や。昔は分子を構成するこの原子が1番小さい単位やと思われてたけど、原子の中にも原子核とかその周りの電子とか中性子とか、ミクロの世界では色々あるのが分かってんねん。この文科省のホームページの図が分かりやすい。

富田 この図はイメージしやすいけど、この説明、なめとんか。「このような極めて小さな世界では、私たちの身の回りにある物理法則(ニュートン力学や電磁気学)は通用せず、『量子力学』というとても不思議な法則に従っています。」って煙に巻かれた感あるわ。「不思議な法則」で逃げんとちゃんと説明せえや。

 それがな、量子っていうのはまだ解明されてへんらしいねん。

物理学は長い時間をかけて、物質から分子、原子、場、素粒子…というふうに「究極の実体」を追い求めてきた。そしてそのあげく、量子場の理論と一般相対論のややこしい関係に乗り上げて、にっちもさっちもいかなくなった。
カルロ•ロヴェッリ「世界は『関係』でできている〜美しくも過激な量子論〜」p156

富田 科学にもまだまだ未開の地があんねんな。深海もまだ謎やって言うしな。

 深海は、水圧とかはえげつないけど、未踏の地っていうだけで、俺らの考え方の枠組みは通じる世界やと思う。片や、この量子って言うのはな、どうにも説明がつかへんねん。

富田 見えへんだけで、すげぇ顕微鏡とかが開発されたら、そのうち分かるやろ。

 そう考えるんも無理は無いけどな。そもそも、観察はある程度は今でもできんねん。

富田 ほな謎でも何でも無いやん。

 それがな、観察した時としてない時で、量子はふるまい方がちゃうとか、もつれあった量子同志は、何万キロ離れてても何故か同じふるまいをするとか、とにかく人間の理解を超えてるんやって。

富田 観察した時としてない時でふるまい方がちゃうって、親とか先生の前ではええ子やけど、隠れて同級生いじめてる奴みたいやな。量子は観察されてるって分かるっていうことか?そんな小っちゃい粒に意識があるって、オカルトの世界やがな。

 意識があるっていう訳やなくて、逆に、意識どころか、そもそも「実体が無い」と考えるしか説明がつかんらしい。

富田 実体ないって、さっきの文科省のページにもちゃんと図示されてたがな。

 ああいう風に存在するように見える場合もあるけど、存在せえへん場合もあって、物質を究極のミクロにまで突き詰めると「確率」でしかないらしい。俺的には存在するけど、お前的には存在せえへん、みたいな。

「存在するもの」は、その網のはかない結び目でしかない。その属性は、相互作用の瞬間にのみ決まり、別の何かとの関係においてだけ存在する。あらゆる事物は、ほかの事物との関係でおいてのみ、そのような事物なのだ。
 どの像も不完全であって、いかなる視点にも頼ることなく現実を見る術はない。絶対的で普遍的な視点は存在しない。
カルロ•ロヴェッリ「世界は『関係』でできている〜美しくも過激な量子論〜」p196

富田 脳みそ溶けるわ。哲学の世界やがな。

 まさにそうで、「現代物理学は哲学」らしいで。究極の理系やと思ってた物理学の最先端が、究極に文系的な哲学に繋がるって、オモロイわ。

この世界は素粒子からできているわけだが、その素粒子同士の相互作用のネットワークを見ていくと、あるとき「待てよ、最初に素粒子があって、それらが反応し合うのではなく、相互作用のネットワークの節(結び目)をわれわれが素粒子と呼んでいるにすぎないのではないか?」という哲学的な疑問に突き当たる。
カルロ•ロヴェッリ「世界は『関係』でできている〜美しくも過激な量子論〜」p204

富田 俺らの持ってる世界観の基礎の基礎が、実はグラグラやったってことか。。。

 文科省が煙に巻こうとした訳やなくて、量子論はまだ「不思議な法則」としか言いようがないねん。せやけど、これが将来解明されたら、価値観が一変すると思うで。

コペルニクスの地動説、ダーウィンの進化論、アインシュタインの相対性理論、科学は既に人々の世界観を深いところから変えるような理論をいくつもl打ち出してきたが、そろそろ量子論をその仲間に加えるべきだ、なぜなら量子論は人々の世界観にそれだけのインパクトを与え得るものなのだから
カルロ•ロヴェッリ「世界は『関係』でできている〜美しくも過激な量子論〜」p215

富田 どんな世界観になんねやろな。楽しみなような、怖いような。

 たとえば今の世の中って、共同体の縛りが弱くなって一人ひとりが自由になった反面、自己責任を負わされるようになったけど、揺り戻しが来るんちゃうかな。近代以降の社会って、自立した個人個人が集まってるっていう前提やけど、量子レベルまで突き詰めると、自立した存在なんか実は無いねんから。「個人」とか「人権」っていう概念も溶けていくんかもしらん。

富田 ファシズムは勘弁してほしいけどな。

 それは勘弁やけど、量子論が解明されて、「あらゆる存在は関係の結び目」っていうことがみんなに腹落ちするようになったら、「絆」とか「つながり」とかいう言葉にに漂う偽善的な響きはなくなるんちゃうかな。

〈おしまい〉

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