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「未来」に囚われていない?〜「どこでもいいから どこかへ行きたい」を読んだ

phaさんの「どこでもいいから どこかへ行きたい」を読んで考えたことを、脳内関西人の林(仮名)と富田(仮名)の会話形式でお届けします。


 高校受験の頃からかなあ、俺はずっと「時間を有意義に過ごさなあかん病」やねん。

富田 「有意義に過ごす」というと?

 そこが問題やねん。学生の頃は、受験とか部活の大会とかはっきりした目標があったから、そこに向けて頑張るのが有意義に過ごすっていうことやってんけど、社会人になって、仕事も惰性でこなせる部分が多くなってくると、なかなか「これ」という目標が見つからへん。「有意義に過ごさな」と思いつつも、目標がないとどう過ごすのが有意義か分からへんねん。

富田 老い先短いねんから、恋でもしたら?

 遅れ咲きの狂い咲きは、人生破滅するパターンやん。

富田 狂い咲けるんやったら大したもんやろ。お前のような奴は、phaさんの本でも読んだら?ええ感じで力抜けるで。

 phaさんって、日本一のニートって呼ばれてた人やんな?京大卒の。

富田 せや。色々書いてはるけど、最近読んだ「どこでもいいから どこかへ行きたい」っていう本、貸したるからいっぺん読んでみ。悩める子羊にはヒントになると思うで。たとえばお前が旅行する時は、観光地と名物料理のスタンプラリーやろ?ガイドブックに沿って綿密にタイムテーブル組んで。

 その傾向はあるな。限られた時間で如何に効率よく回るか、スケジュールを組んでるのが楽しかったりもする。ほんで、スケジュール通りに回れたら有意義やったなって思うし、行列とか雨とかで計画通りいかんかったら、なんかイライラしてまう。

富田 そんな奴とは旅行行きたないわー。偶然との出会いが旅行の醍醐味やのに。phaさんなんか、旅先でもチェーン飯食って、ビジネスホテルでネットして過ごすだけらしい。

 せっかく旅行してんのに、もったいなくない?

富田 いつもやってることを、別の場所でやることに意義があるらしい。ほんまはずっと引きこもってたいけど、ずっとやったら飽きるから、たまにフラッと旅に出んねんて。お前の場合は、旅行行ったら写真もいっぱい撮るんちゃうん?

 せやな。旅行したエビデンスとして。写真が無いと、だんだん忘れてくるやん。

富田 誰に対するエビデンスやねん。写真が無いと忘れるような体験は、そもそも忘れてええんちゃうか?phaさんはこんなこと言うてはるで。

これからもたくさん面白いことをしてたくさん忘れながら、「あんまり細かいことは覚えてないけどなんかいろいろいい感じだった気がする」くらいの気分でずっと生きていけたらいいなと思う。

pha「どこでもいいから どこかへ行きたい」(幻冬舎文庫)p221より

phaさん、小笠原で3週間過ごしたことがあるらしいねんけど、あんまり記憶がないらしい。でもそれは、「特に何も問題が無くて心が静かで穏やかな時間を過ごせたからこそ取り立てて記憶に残ってないのだろう」って、プラスに解釈してはる。

 そういう考え方、できたらええなぁとは思うねんけど、やっぱり俺には難しいなぁ。無意味に過ごしてしまったっていう罪悪感を感じてしまう。

富田 この本のあとがきで、「直線的な時間観」と「循環する時間観」っていう考え方が紹介されてたけど、お前は直線的な時間感しか持ってないんちゃうか?「直線的な時間観」っていうのは、何か大きな人生の目標があって、それを目指して生きていくっていう考え方や。

 まさにそれや。それ以外の考え方がイメージでけへん。

富田 もう1個の「循環する時間観」っていうのは、特に目標はなく、始まりも終わりもはっきりせず、ただ上がったり下がったりを繰り返していくだけっていう考え方や。phaさんの人生観はこっちらしい。

 目標なしにどうやって生きていくんやろ。

富田 ちょっとここ読んでみ。

発展や目標は要らない。ただ、同じ状態が続くと飽きてくるので、ときどき状態を変化させることが必要になる。そんなときに人生に変化をつけるためのものとして旅行や引っ越しがある。(略)同じことを続けているとどんなものでも飽きてくるから、ときどき別のことをしてみる必要があって、だから人生ではみんな別にやらなくてもいいいろんなことをしてしまう。世界というのはただそれだけのものなんじゃないかと思う。

pha「どこでもいいから どこかへ行きたい」(幻冬舎文庫)p253より

 「発展や目標は要らない」か。。。俺にとってはなかなのパラダイムシフトやわ。せやけど、上がったり下がったりの繰り返しでは、成長せえへんやん。

富田 みんなが目標に向かって頑張った結果が、環境破壊に戦争やとも言えるぞ。まぁそれは極端な話として、「直線的な時間観」と「循環する時間観」はどっちもバランス良く必要やと思うけど、俺が見るに、お前は「直線的な時間観」に偏り過ぎや。後悔ばっかりしてる人とか、昔の武勇伝ばっかり話してるような人は過去に囚われてるけど、お前の場合は逆に、目標とか計画とか先のことばっかり考えて、未来にとらわれてるな。

林 未来のことばっかり考えてるから、有意義に過ごさなアカンって不安になるんかなぁ。月並みやけど「今を生きる」ってやつかな。

富田 せや。バカボンパパみたいに、その時その時を「これでいいのだ」と思っといたらええねん。最後にもう1箇所、お前に刺さりそうなところ教えといたるわ。

 僕がどこにでもあるような街を見るのが好きな理由は、多分確認して安心したいのだ。どこにも特別な場所なんてないということを。
 日常というのは平凡で退屈で閉塞感だらけのつまらないものだけど、つまらないのは自分だけじゃない。みんな自分と同じように、このシケた現実のシケた現実の街で暮らしている。それしかないのだ。よかった。自分だけじゃないんだ。

pha「どこでもいいから どこかへ行きたい」(幻冬舎文庫)p99より

〈おしまい〉

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