変則マジック 春01

※2015.09.08 公開作品


あらゆる意味の底辺で
馬鹿で屑な俺が
大学に入学した春、
クソみてぇな女だった母親が死んだ。
死因は、交通事故だった。
あまりにも呆気なく逝ってしまったものだから、いつか言ってやろうと溜めていたはずの言葉は何一つ声にならなかった。むしろ、忘れてしまった気がする。
何もかもの感情を。
母親の死に顔はとても綺麗で轢いてくれた相手に感謝することもなく、被害者としてそれなりの慰謝料だけ大人しく受け取っておいた。怒りは沸かなかったが弁護士の声と手渡された封筒の冷たさと素っ気なさに、こいつらも大概屑なのかもなあとは思った。


俺の母親は、俺が記憶しているだけでも、底辺の底辺を歩いた可哀想な女だった。
俺を生んだのもどこかの誰かとヤった結果で、デキ婚仕掛けたところに結婚費用を持ち逃げされたとか、そんなん。その後なんとか俺を生んで育てたんだろうが、それでもいつだってあいつは自分を愛してくれる男を探していた。世間では再婚は子供のためだと考える能天気な発想もあるらしいが、普通に考えてみろ。子供のためなんかに男を探してる母親を、母親として頼れると思うのか?
ンなわけねえだろ、クソが。
そんなわけで、物心つく頃には母親が他の人間とはどこか違っていて、中学にも上がる頃にはただの馬鹿なんだと俺も理解した。
言わず劣らず、俺も馬鹿だった。
学校では騒がしいやつらと連んで、窓をぶち壊したり金持ちのやつから金を巻き上げたり、まあ子供のやんちゃじゃ済まねえことは割とやった。教師に殴られることもあったし、仲間にはめられて散々な目に遭わされたこともあったが、まあ、なんとか卒業した。
家に帰れば、知らない男と楽しんでるその女の背中を見るたびに、なんで俺は生きてんのかとかなんでこいつは生きてんのかとかくっだらねーことばかり考えてしまうのが、嫌だった。たまに男といないかと思うと殴られるし。逃げるように外に出たのも、派手なことをやらかしたのも、不思議じゃねえだろと思う。
不思議といえば、俺は母親に結局なにも手を出さずに終わった。それは俺なりに母親を母親と見ていたからかもしれないし、単に母親を相手にしたくなかったからかもしれない。中学までの、話。そこから先は、母親の姿を見ることの方が少なかった。家に帰ると大抵、気持ち悪いほど甘ったるい香水か、吐き気のするアレの匂いしかしなかった。
俺は矢鱈と面倒見のいい教師に乗せられて高校にあがり、そこでとある人に出会って、色々と落ち着いた。俺が大学なんてよくわかんねえ場所に入学したのも、その人に誘われたからだった。母親は母親なりにそれを喜んでくれたらしく、合格したと伝えたら、嬉しそうになけなしの金を取り出して、お祝いにご飯でも食べに行こうと言った。
たった一日、たった数時間。初めてまともに、母親らしい姿をした母親とと過ごした。
その帰り道の出来事が、それだ。
愛に飢えて生きただけのクソ女の、呆気ないエンディング。赤いテールランプと死神のサイレン。真っ白な部屋。居るのは俺ひとり。
親戚なんて話を聞いたこともない俺は、葬儀についてネットで調べるしかなかった。母親だからというより、クソみてえな人生しか送ってこれなかったこの女が、少し哀れに思えたからだった。
遺体はなるべく早く引き取ってください、と病院にも冷たくあしらわれた。ケースワーカーとかなんとかいう役職の人間が、保険やらなんやらまとめて説明してくれた。誰もがお悔やみをと言ってくれたが、誰も悲しい顔なんてしなかった。当たり前だけど、そんなもんなんだなと思った。人が死ぬなんて、その程度の事なんだろう。
結論からいうと、葬式は、ただ焼いて骨をまとめたら終わりだった。なんの感慨もない。涙もない。お経も何もない。焼け焦げた肉の匂いを覚悟していたのにそれもない。
ただ、少しだけ、暑かった。
母親だった骨をまとめた後、蓋を探していた俺に、職員はこちらが蓋をしますからと薄っぺらな笑顔を浮かべて言った。出て行こうとした俺の背後でみしりと音が鳴って、振り返ると職員が残っていたちいさな骨を入れ込んで、無理やり蓋を押し付けているところだった。
人間てのは、遺骨になっても容赦はないらしい。
そんな呆気ない幕引きと、天涯孤独の人生が同時に起こった、春だった。


      春 01


「……んん〜……」
背中や腰の痛みに魘されて、漂ってくる香りに史隆は目を開いた。両腕を天井に向かって突き上げて、腹筋だけで身を起こす。
「メシ!」
ズボンと下着を履いてベッドを抜け出し、向かうは台所。六畳一間の部屋はとても狭く、料理を作っている背中はすぐそこに見えていた。広くて筋骨隆々の、逞しい背中。
「コータさんの飯ー!」
「オハヨ寝坊助さん。起きたのね」
「ヘヘ」
短髪に両耳ピアス、分厚い縁あり眼鏡に、彫りの深い顔立ち。肌は全体的に黒めで、見事な逆三角スタイルは史隆の憧れだ。
妻夫木浩太、二十四歳。人前では強面の兄貴といった態度だが、史隆のように昔馴染みや理解のある友人の前ではこうやって己を晒して対応する。彼自身は両刀だが、自分の見た目に合った口調がどうしても好きになれず、行き着いた先がオネェ口調。最初こそ史隆も驚いたりからかうこともあったが、拳二つを顔面に受けてからそうすることはなくなった。
なにより、彼は賢く、強かった。
最初の出会いは史隆が喧嘩に負けて骨を折られそうになった時。助けてもらって、怒られて、見た目に合わない綺麗でうまい料理をご馳走されて、そのまま堕ちた。絆されたともいう。
浩太に出会ったことより、史隆は自分の内面を見つめることを覚え、冷静になった。バカをやって毎日遊び暮らすのではなく、少し先の未来を見通して暮らすことを覚えた。
中学から高校にかけて、史隆は浩太の後をついて回った。懐いたのだ。
「ふー……」
顔を洗い、使い古されたタオルで水気を取る。鏡に写った自分の上半身を、少しの間眺めた。
伸ばしたままの髪は項を隠すほどまでになり、首筋には噛み跡、鎖骨と肩は筋の張りが見えて男らしいが、まだどこか丸みがある。胸板は薄いが、腹筋は鍛え続けているから割れ目が薄っすらと出来て、厚みがあった。
「……なっかなかつかねえもんだな……」
「まーた筋肉の話?」
食卓に皿を並べ終わったらしい。エプロンを畳みながら浩太が史隆の背後に立つ。
「アンタの身体はそのくらいが一番よ、フミ」
「うわっ」
脇から通された腕が腰に回り、背中に口付けられる。
「ヤメロ、そんな気分じゃねえ」
「はいはい。朝ご飯食べましょ」
名残惜しさも何もなく、浩太は史隆から離れる。髪を結んで前髪をあげ、簡単に見た目を整えてから、史隆も彼の後に続いた。
ーー結局、史隆は浩太とルームシェアという形で衣食住を共有し、浩太が卒業した学部に史隆が入学して教科書はそのまま引き継ぎ、事なきを得た。あとは日頃の食費や交際費やらをバイトで稼げばなんとかなった。
昼は学生、夜はバイト。たまに遊んで、課題をやって。そんな、絵に描いたような大学生活が始まった。
はずだった。
最初の数ヶ月こそ真面目にバイトをしていたものの、元々の育ちや本人の気質もあって、史隆のバイト生活は長続きしなかった。けれど、わざわざ大学まで導いてくれた浩太にそれを言い出せるはずもなく、いつの間にか母親のように誰かと身体を交えることで金を稼ぐようになっていった。週に三回、適当な男か女を引っ掛けて、抱くだけ。内容によって金額に差はあったが、それでもまずまずの収入を得ることができて、味を占めた。
そして、だらだらと小銭稼ぎを続けて一年も経つ頃、浩太に知られた。
『アンタが社会人になるまで面倒みるから、それだけはやめて。……お願いだから』
相手の男を締め上げて、史隆を抱え上げて自宅に帰るや、彼は切羽詰まった声でそう言った。強く強く、息苦しいと感じてもおかしくないほどに強く抱きすくめられて、史隆はただ頷くしか出来なかった。まるで恋人のようだと、その時は思った。
「いっただきまーす」
そして、今に至る。
「はいどうぞ」
「浩太さん、今日は出張だっけ?」
「そう。静岡まで学会でね」
「院生?って大変だな」
「真面目に仕事するのとどっちがいいかは微妙なところよ」
ふーん、と相槌を打ちながら綺麗な卵焼きを口に入れる。甘さの欠片もないだし巻き卵。厚みと味がしっかりついたそれは、史隆お気に入りの一品だ。
「ご飯は冷凍してるし、おかずも残しておくから、ちゃんと食べなさいよ」
「へーい。課題残ってっから、それやるよ。分かんねーけど」
「あの子いるじゃない、あの子」
「どれ?」
「あの、うるさいのダメな子」
「あー、尊な」
「そ。尊に見てもらいなさい。馬鹿じゃないんだから、真面目にやるのよ」
「へいへい」
ご飯の味が不味くならない程度に小言を聞く。まるで母親みたいだと史隆は思うのだが、浩太がいつも悲しそうな顔をするので黙っている。
彼との身体の関係について、史隆は何とも思わず、強いて言えばセックスフレンドかなと考えているが、浩太に直接それを言ったことはない。なんとなく、言ってはならない気がしている。
片付けはいつも史隆がしていて、その間に浩太は出かける準備をする。そうして二人のすべきことが終わると、ちょうどいい時間になるのだ。
「じゃあ、行ってくるわね」
「気をつけてな」
彼は史隆よりも少し上背だが、史隆が踵を上げねばならぬほど背が高いというわけでもない。浩太が屈んで、史隆が上を向けば、キスなど簡単にできた。
「……じゃあね」
ぽん、と頭を撫でて、浩太は部屋を出る。キスまでして置いて名残惜しさを見せないのは、彼なりの見栄なのかもしれない。
(……なんてな)
優しさに漬け込みすぎて、今更何かに気付いて動くことなど、史隆には出来そうもない。
「さー、俺もガッコ行くか」
背伸びをして、服を探す。
点けたテレビはちょうど天気予報を映してくれて、春の訪れらしい数値を並べて見せてくれた。
大学に入って、二度目の春。
ある朝の話。


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