短編「あいのかたち」(「苦し紛れの常套句」より)

同じタイトルの創作JK百合のお話はこちら

こちらは拙作「苦し紛れの常套句」のキーパーソンである

朝日奈月(あさひなつき)
一見一(ひとみはじめ)

の大学生の頃のお話になります。事前情報がなくても読めます。


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赫く陽の光に照らされた後ろ姿は、いつだって美しい。
美しく、尊く、愛おしく、儚く。手に届かない、届いてしまうと消えてしまいそうな、こちらが死んでしまいそうな心地にさせる存在を人間は感じることができながらも、貴ぶことが叶わない。祈り、嘆き、かなしみ、どうにかその存在を自身と切り離さぬようにと願って、存在を口にする。
飲み干すように名を呼んで、刻むように声にして、縋るように言葉にする。
そして、それが実現せぬ苦しみに、狂うような熱情を感じるのだ。


「どうして、私なの」
彼女の問いは前触れがなく、その前触れのなさを楽しむようにできている自分の感覚を、一(はじめ)は自覚しつつあった。
「好きだから」
「……人間らしい言葉」
こちらの気も知らずにハイレベルな大学に入ってしまった彼女を追って、一年遅れで大学生になった、夏のことだった。
あの手この手を費やして渋る彼女から住所を聞き出し、彼女が気にならず、自分が冷静さを保てる距離のマンションを借りていた。高校二年までの成績を思えば、神がどんな理由で慈悲をくれたのかわからないほどの奇跡を使った自信がある。
一は彼女と同じ大学に無事入学し、再会した。付き合っているのにその言い方はおかしいといつも友人たちに呆れられるけれど、本当に、再会したのだ。
去年は女子大生と男子高生というある種奇妙な罪深さを感じる関係だったが、もう、それを気にする必要もない。むしろあの一年をもう少し有意義に過ごしても良かったのではと悔やまれるが、そうしていれば今がなかったのだと思うと難しい。
「あんたも人間っすよ」
手を繋いでも、彼女は顔を赤くすることがなくなっていた。
それでも、未だにぴりぴりと緊張を孕む指先が、一の指先に愛おしさを生む。
「そうね。悲しいけれど」
はあとため息をつく横顔は美しい。
念を押して言えば、彼女の顔立ちは可愛らしい部類だが、特別目立った美人というわけではない。身長も女性の平均で、体型も現代の女性と昭和の女性の体型を足して二で割ったようなもので、ついでに言えば髪の毛を染めた方が年相応に見えるのにそれもしないので年嵩に見える。
けれど、彼女の美しさは、内面が輝いている限り損なわれない永遠のものだ。
「俺は嬉しいですけど」
「はいはい。そうでしょうね、……貴方達は、本当にそう」
さり気なくひとまとめにされたもう一人に嫉妬しながら、一の前では饒舌になる彼女の唇を見つめる。
彼女の中で話が一区切りつくと、小さくて赤い舌がちろりと唇の上をなぞる。それが癖だと見抜いたのは、一の一途さの賜物だろう。
「いくら試験が出来ても、頭のつくりが普通だとこうもつまらないものだとはね。今日はほんっとうに疲れたわ」
「俺はむしろ、あんたがサークルに入ったことに驚きが禁じえませんが」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、と思ったの」
段々と悔しさの滲みゆく声に、一は感心を通り越して微笑みを浮かべる。
「……せめて、私がもう少し、理解の幅が広ければ良かった」
彼女が悔やむのは、いつだって彼女についてだけだ。他人には目もくれない。一秒たりとも時間をやらない。
それが、彼女の身につけた、他人への配慮であり、優しさだ。
「今日の晩飯、俺、作りますよ?」
話を聞いていたとしても、相槌を打ち間違えると彼女は怒る。怒って、その後自分一人で悔やむから、そうしないように手を握って、一は違う話を彼女に向けた。
見捨てたわけでも、聞き流したわけでもないという意思表示をした。
澄ました顔がはっと気のついたような表情をして、じわじわと悔し照れたような顔になる。
「……。……大分貴方も、私の扱いになれてきた風ね」
「伊達に四年も付き合ってませんから」
「ふん」
ぎゅ、と手を握り返して、彼女が歩幅を広げる。
速度につられて、片手に持った買い物袋が一の脚から遅れて揺れる。
空は暗く、夜というにはまだ新しい世界。二人の周囲には住宅街が広がり、これからたどり着く一のマンションは一等背が高く、街灯の向こうに灯りが見えている。
「何を作ってくれるのかしらね」
「冷たいものっすかねー」
「スープ付きなら許してあげる」
汗が肌を伝っても手を離しはしない彼女の甘さにつけこんで、一はへへ、と微笑む。
誰も知らない世界を見る喜びを、彼女はきっと知らないのだと思うと、それが何よりの宝物のように思えてたまらなかった。

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