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私も芸人になったろか?なんちゃって冗談冗談!

『行儀は悪いが天気は良い』 加納愛子

私が著者の加納さんの存在を認識したときは、フワちゃんの親友としての加納さんだった。ANN0で行動科学の話してたなー。いつもフワちゃんが"加納さん加納さん"って言うから、呼び方まで染みついちゃった笑
そのあとトゲトゲとか、YouTubeも見るようになって、割と私の好きな芸人さんたちとの絡みが多くて、今ではYouTubeは個人チャンネルも含めて全部見てる🫨
エッセイを出してることも知ってたけど、なかなか買う機会がなくて、今回、よし!読もう!と思ったきっかけは、『成瀬は天下を取りに行く』の帯に加納さんのコメントを見つけて、加納さんがどんな文章を書くのか気になったから。

「こんなときが私にもあったわ!」とか「いや、ここは違うな」とか自分に重ねて読みすすめてた。退屈な授業でメモ取ったり話聞いたりする合間に開いては閉じてを何度も繰り返して読んだ。夢中になりすぎて授業聞き逃したとこも多分ある笑
今回は読んで、自分が思い出した出来事を書いてみる。

コークガイ

加納さんが小学生の頃、コークガイ「校区外」(私の小学校では「学区外」と呼んでいた)に子供だけで行くことが原則禁止されていたため、どきどきしながらおじいちゃんの囲碁教室まで行った話。
私の地域は、イオンもドリプラ(エスパルスドリームプラザ)もギリギリ学区外にあった。そのため、友達と一緒に遊びに行くところがなくて、宿題をやったあとは、いつも家の前でボール遊びをしたり、自転車で近所を何周もぐるぐるぐるぐる走ったりしてた。今考えると、それで5時の鐘までの時間を満喫できていたのが羨ましい。尚、遊ぶ時間を最大限に引き伸ばすため、友達と遊んだ日の国語プリントのぬり絵はみんな等しく雑で、揃って先生に悪い評価をつけられた。
初めて友達と一緒に映画を見に行ったのは、小学3年生の頃で、そのときも友達のお母さんが外で時間を潰して待っていてくれた。スマホが普及した現在では、あのときの淡いドキドキ感はもう味わえないし、思い出せない。すこし寂しい。
(『ポケットの碁石』より)

部活がんばる意味ってある?

私が中学生の頃、毎日唱えていた言葉。
「がんばったところでオリンピックには出れないし、錦織圭にもなれないのだから。」といつも考えていたし、実際にその考えは私の行動に現れていた。
三者面談期間で部活動の時間が長いときは、顧問が担任クラスの面談をしている間に、一度帰宅し、アイスを食べてから、顧問が部活に来るであろう時間の少し前におじいちゃんに車で学校まで送ってもらったこともあれば、校舎周りを走るときも、できるだけショートカットしようと、倉庫の裏に隠れて、最後の一周になったときに最後尾について一緒にゴールするという姑息なこともしていた。
本当にかわいくない中学生だったとは自覚しているが、今でも自分の考えや、やっていたことが間違えていたとは思ってない。いやいや部活をするくらいなら勉強をした方がマシだ。でも、当時の私には部活動に所属してることだけが重要だったのだから仕方がない。小学生からお金をかけてスポーツを習ったりしなくて本当によかった(水泳は習っていたが、平泳の足のテストに1年間落ち続けて辞めさせてもらった。溺れない程度には泳げる。)習っていたら、今頃親が落担しているに違いない。
加納さんは、バスケのクラブチームでの先生の説教のばかばかしさや、厳しさのわりにはさほど輝かしい戦績をあげなかったと話しており、これを読んだ私は、「みんなはどんなマインドで部活を頑張ってるのだろう?」と本気で考えてしまった。錦織圭と大谷翔平とそのほかアスリートと呼ばれる人たち以外で部活動をがんばれる人は本当にすごい。
(『将来の夢なに?』より)

帰人(きびと)

加納さんは、「今でも家に帰るのがめちゃくちゃ嫌い」って話してたけど、これは私には本当に共感できない話だった。
加納さんは、家に帰るのが嫌いな明確な理由はなく、「家に帰りたい欲が湧かない」と説明し、「旅人」は「人」であり、「毎日家に帰る人」が「帰人(きびと)」であると話していた。

それなら私は根っからの「帰人」だ。
私は割とどんな状況でも、頭の片隅で「早く帰りたいなー」と考えている。
例えば、好きなアーティストのライブ中。会場のボルテージマックスの中、私は最大限に楽しみつつも、周りにバレないように頭の中では「これいつまでやるん?」と考えている。これに気がついたのは、人生で初めて行ったライブKing & Princeのコンサート中だった。もちろん一緒に行った友達(友達が当選して連れて行ってくれた)には口が裂けても言えない。「こんなに好きで、楽しいのに帰りたいってなんでだろう?」と思ったが、一度そう思ってしまったので、もちろん次のコンサートでも同じことを考えてしまったし、aikoのコンサートでも同じだった。
本当に好きで、楽しんでいることも事実で、また次も行きたいと本気で思っているが、「帰りたい」思考を止めることができない。
先日、aikoのアリーナツアーで名古屋に行った際も、コンサートの翌日に早朝から1人で犬山城の観光へ行ったが、入館して見終わったあと、「やることもないし、さっさと帰って寝たいなー」とせっかく名古屋まで来ているのに、名物もそこそこにこんなことを考える自分の淡白さに笑ってしまいそうだった。
珍しく私が「人」になるのは、せいぜいお酒を飲んで朝までカラオケする日くらい。思考が麻痺してるときくらいだ。
(『帰りたくない』より)


ひとつひとつのエッセイに対して書きたいところだけど、キリがないからこの辺りで終わりにする。
就活を前に自分の考え方やこれまでを振り返ることができて楽しかった。
私は何か特別な特技や経歴があるわけでもなければ、誰もが振り向く美女でもないし、めちゃくちゃ心が優しいわけでもない。
加納さんは「クラスには自分より面白い奴もいたし、自分より華があって人前に立つにふさわしい奴もいた。しかし誰も芸人にならなかった。私だけが芸人になった。きっと少しだけ、自分自身に対する期待値がまわりの友達より大きかったのだ。」と書いていた。
私は自分が傷つかないように、自分に期待しないように選択してきたのかもしれない。その保守的な選択の積み重ねの上に今の自分がいるような気がする。私がもっと自分への期待値を高く持っていたら、何かになっていたのかもしれない、このエッセイを読んだのが中学生だったら何か動いていたかもしれないと考えずにはいられなかった。
でも、自分に期待を持てる人は、今の私の年齢からでも全然動き出すと思う。

最近よくKing & Princeの『We are young』の歌詞が頭をよぎる。発売された当時は、歌詞とメンバーの脱退が重なってるように感じて辛すぎてしっかりと聞くことができなかったけれど、ドラムを担当してる方がaikoのライブについている方と同じ人だと知って、改めて聞いたら、心当たりがあることが多すぎて頭から離れなくなっちゃった。

迷う時は険しい道へ
今日よりも若い日は来ないから
街を染め 陽が昇る
We are young
過去の自分がきっと
君の背中を押すよ

King & Prince『We are young』


自分に期待を持てないのも、自分らしさの一部として受け入れて、そんな自分がやりたいと思った仕事に、今回こそは真っ直ぐに勝負したいなと思ったよ。今日より若い日は来ないからなー!
愉快なエッセイだから、ぜひ読んでみてほしいし、読んだ人と話したいなーって思ったから貸し付けたい!笑ハラスメントだねこれ笑笑




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