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「1971年うまれのぼんやり音楽体験」 第7回 KUWATA BANDその②

KUWATA BANDコンサートの日、僕は緊張していた。なにしろコンサートというものを経験したことがない。あえて言えば、東京に住んでいた幼少期に、家族で牧伸二のウクレレコンサートに行った記憶があるぐらいである。牧伸二の次がKUWATA BAND。音楽史を語る上で何の繋がりもないものの、実際にそれぐらい生で音楽を聴く機会などなかった。

自分の席は1階席の前から7列目ぐらいで、ステージはすぐ目の前にあった。今からここに桑田佳祐が登場するのか、と思い興奮で胸が高鳴ったであろうことをぼんやり覚えている。そして、人生初のロックコンサートの幕が上がった。というか、幕がかかったまま客席が暗くなり、何やら聞きなれない音楽から演奏が始まった。「はて、これはなんの曲だろう?」と思案しているうちに、「ワン、ツー、ワンツースリーフォー!」という桑田の声らしき掛け声と共に幕がバッと下りてメンバーが姿を現した。眩しいステージの上に、桑田佳祐をはじめとするKUWATA BAND が躍動していた。きっと、「うわあ~!」と思ったのではないだろうか。しかし、何の曲が始まったのか、わからない。1曲目は英語の曲だった。しかし、こんな曲はアルバムには入っていた記憶がない。知らない英語曲で始まったコンサートは、アルバムの英語曲と、合間に不自然な流れで入るシングルヒット曲、そしてまた知らない英語曲で構成されていた。僕は、わからない曲があるにも関わらず、大いに興奮した。途中のMCで桑田が会場(松本社会文化会館【現キッセイ文化ホール】)について「いや~こんな温泉地の奥に会場があるんですね!?驚きました」といじっていたのもなんだか愉快に思えた。

コンサートの最後に歌われたのは、知っている英語曲、ビートルズの「HEY JUDE」だった。あのコーラスを大合唱して、最後は桑田の音頭で万歳三唱をして、初めてのロックコンサート体験は終わった。目の前で汗を飛ばしながら歌う桑田、メンバーたちの迫力の演奏、終盤で披露された「I'M A MAN」での桑田と河内淳一のダブルスライドギター、とにかくもう、最初から最後まで、すべてが新鮮で刺激的だった。興奮のあまり、帰りにお小遣いをすべて使い切るぐらいの勢いでTシャツやタオルなどのグッズを買い込んだ。迎えに来てくれた親に、帰りの車中で、コンサートがいかに素晴らしかったのかを熱弁した覚えがある。後日、記憶を頼りにコンサートで演奏された曲を調べた僕は、オープニング曲だったディープ・パープル「SMOKE ON THE WATER」のシングルレコードを駅前の小さなレコード屋さんに注文した。A面がスタジオ録音、B面は日本武道館のライブで、イントロが少し長かった。リッチー・ブラックモアという人物もこのときに知った。また、ボブ・ディランの「Knockin' on heaven's door」「LIKE A ROLLING STONE」「風に吹かれて」も演奏されていたことも後で知ったのだが、これはオリジナルと全然アレンジが違うので聴いてもまったくわからなかった。「風に吹かれて」はたしか「夜のヒットスタジオ」で披露されていたと思うが、とてつもないハードロックなアレンジだった。コンサートではロネッツの「BE MY BABY」も終盤でやっていたのも覚えている。こちらはオリジナルのアレンジだったと思うが、「英語だけどなんて覚えやすくて良い曲なんだ!」と思った。

アルバム『NIPPON NO ROCK BAND』が全曲英詞だったことに不満はあったものの、この作品を作った流れでコンサートに洋楽のカバーが取り入れられたのだとしたら、僕にとって『NIPPON NO ROCK BAND』は洋楽のスタンダードを知る上で、ものすごく意義深いアルバムだったように思えてくる。ちなみに、桑田はライブのMCで「松本は第二の故郷です!」と言って喝采を浴びていたのだが、後日見た「ザ・ベストテン」のコンサート会場からの中継で「岩手は第二の故郷です!」とか言っていた。KUWATA BANDコンサートは、いろんな意味で僕を大人にしてくれたのだった。


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