僕は芸人になった

僕は幼小中高一貫の男子校のインターナショナルスクールという『トッピング全部乗せ』のような学校に通っていた。卒業後、何年も同じ連中と一緒だった生活から一転、男女比が3:7の大学に進学した。

キャンパスを普通に女性が歩いているという事実にも狼狽したが、一番の衝撃は『ツッコミが通用しない』ということだった。高校までずっと一緒にいたお笑い大好きグループ内で重宝されていた「なんでだよ!」や「やかましいよ!」などのツッコミには

「なんでそんなに怒ってるの?」

「え、怖いんだけど…」

など、『街の厄介おじさん』に対するリアクションが返ってきた。

今までのやり方が求められていないことを理解しながらも、そう簡単に自分を変えられるはずもなく、僕は入学してすぐに居場所がなくなった。人と関わらないよう、なるべく授業と授業の間が空かないようなコマ割りにした。どうしても避けて通れない昼休みは売店でコッペパンをひとつ買い、それをうろうろしながら食べ終えたあと図書館に入り、次の授業まで机に突っ伏してふて寝するという生活を続けた。

そんな『コッペパンキャンパスライフ』を過ごしていたある日、大学に初のお笑いサークルができたという情報を入手した。元々卒業したらお笑いの道に進もうと思っていた僕はすぐさま部長とコンタクトを取り、入部することにした。

そこから大学生活が一変した。これまでの僕が受け入れられたのだ。高校のころのようにみんなめちゃくちゃボケてくるし、それにツッコんだら笑ってくれる。みんなで大喜利したり、夜遅くまでネタの稽古をしたり、いろんな大学のお笑いサークルが参加する大会に出場したりした。初めは僕含め4人しかいなかった部員も10人以上増えた。無理してコッペパンを食べなくなった。

そしてなにより変わったのが、それまで僕のツッコミを怖がっていた人たちが笑ってくれるようになったことだ。それに付随して「さすがお笑いサークルだね!」と言われるようになった。そこで初めて『お笑い』という肩書きがあれば僕という人間は受け入れてもらえるのだと知った。この瞬間、芸人になるという決意が確固たるものとなった。

大学を卒業し、養成所を経てこの春から芸歴7年目になる。あの頃はなんの価値もなかった僕のツッコミを、ほんの少しではあるが求めてくれる人たちがいる。図書館で目をつぶりながらただ時間が過ぎるのを待っていた自分からしたらこんなに恵まれた環境はない。ありのままを受け入れてくれるこの世界を、僕は最大限に謳歌させてもらっている。

先日、イギリスに住んでいるインターナショナルスクール時代の同級生が2週間ほど日本へ帰ってきていたので一緒にご飯を食べた。聞くところによると最近転職したらしく、その時の最終面接で

「僕の周りには嫌々仕事をする人が多い。そんな中、日本で芸人をやっている友人だけはいつも楽しそうに仕事をしている。彼のようになるため、この会社を志望した」

と言って、無事に今のやりたい仕事に就くことができたそうだ。すこし照れながらの報告に、僕は心の底から喜んだ。

この世界で売れるかどうかはわからないけど、僕は胸を張って言える。

芸人になってよかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?