見出し画像

愚痴聞きの代金は1メーター分

前回、個人タクシーの自由(に見える)度の高い働き方に触れたが、それとは反対に、おかしな不自由を強いられていそうな運転手さんにも出会ったことがある。

*****

確か、去年の冬のことだ。
今回の運転手さんはタクシー会社勤務、歳の頃はたぶん50代後半。
乗ってしばらくして、寒いですね、今日は何人目のお客さんなんですかみたいな会話を二、三して、「へえ、タクシー運転手さんも大変なんですねぇ」と発したあたりから、流れが変わった。
(このいきさつは失念した。なんたる不覚…)

「タクシー会社にも年功序列みたいなもんがあるんですよ、おかしいでしょ?」

意図を把握しかねて、詳しく聞く。
要は、「年を取ってから入社してくるのに、年が上だというだけで威張る輩がいてけしからん」ということだった。
キャリアの長い中年ドライバーは、新入りおじいちゃんドライバーにやっかまれるのだとか。

「最初はね、新入りらしく振る舞ってるんですよ。敬語だって使うし、会社で仕事してるときも『あれやりましょうか、これやりましょうか』って言ってくるし、缶コーヒー買ってきましたよとかって気配りもする。でもちょっと仕事に慣れてくると、そういうのが全然なくなるわけですわ。タメ口だわ、『お前こないだ、あそこでお客を待ってただろう。あそこは俺の場所だから使うな!』とか言い始めるわでさ…こっちのほうが先輩だっていうのに、何だって言うんだろうねえ…」

タクシーというのはあちこちを巡回しているように見えてそうではなく、運転手さん各自の“ナワバリ”のようなものがあるらしい(おそらく、個人タクシー運転手はそうではないが)。
暗黙の了解のような、早い者勝ちのようなそれが、じいちゃん運転手は気にくわないと。

*****

そして話は続き、タクシー会社の構造にも及び始めた。

この運転手さんが勤める会社では毎月、売上目標が各自に課される。
そして毎月、各自の営業成績が社内に掲示されるそうだ。

成績が良いと、待遇が良くなる。
しかも成績は、社内での立ち振る舞い(平たく言えば、上層部への取り入り)も影響するのだそう!

あなや、恐ろしいシステム。
自分自身が苦手とする世界を、うっかり覗いてしまったような気分になった。
(余談だが、自分はノルマなんて人を狂わせるものでしか無いと思っている)

恐ろしくも身近にはない話題に引き込まれ、うんうんと話を聞き続けてしまった。
そしてふと外を見ると、おや、最寄駅を1つ過ぎたようだ。

だが、まだ話は止まらない。
というか多分、愚痴を聞き始めてから一度も、この運転手さんは黙っていない。

とはいえ、止めるのは惜しい。
おじさまの群雄割拠の様相など、これを逃したら聞くチャンスはそうそうないだろう。
少し悩んだが、「通り過ぎたみたいで…」の一言は封印、引き続き相槌マシーンと化すことにした。

*****

さて、その後どんな話が出てきたかというと。

「成績1位の奴は確かに気が利くんだけど、それをうまく利用して上層部のゴキゲン取ってるんだ」
「私は2位なんだけど、1位との違いはその気遣いで上層部に気に入られているかどうか」
「むかつくから会社にはあまり居ないようにしてるんだよ」



エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
なんたる口の滑らかさよ。
おじさま、私が御社の上層部だったらどうするんだい。

最寄駅を通り過ぎてさらに数分走ったタイミングで、ようやく彼も通り過ぎたことに気づいた。
「ああすみません、つい話しすぎちゃって」

「えっ!本当ですね、お話が面白くて、私も全然気づきませんでした」などと、文字にすると恥ずかしいぐらいベッタベタのベタ返答をして、Uターンしてもらった。

…と、その前に。
「私のせいでもあるんで、ここからのメーターは止めちゃいますね」
そして、再出発。
この申し訳なさげな雰囲気のなかで、彼に少々スッキリした様子が見て取れたのは、きっと気のせいではないだろう。

*****

そして、今度こそ無事に目的地に到着。
代金を支払い、降車した。
もちろん、メーターを止めてあったから、乗った時間より安い料金だった。
彼はまた「すみませんでした」と言ったが、やはりその声音はやや明るい気がした。

通り過ぎた距離は、およそ1キロ強。
だいたい、正規料金からワンメーター分ぐらいをおまけしてもらった計算になるだろう。
普段通りの料金で面白い話をいくつも聞き、ほんのちょっと長めのドライブもでき、といいことづくめではないか。
疲れた日だったが、愉快な話の数々に足取り軽く帰宅した。

どこにいても人間関係は付いて回るのだなぁ。
世代の違う人々と付き合うことの難しさを、再認識できたと思う。

にしても、世知辛いことこの上なし。
願わくば、あの運転手さんに幸あらんことを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?