星ノ数ホド
※過去のブログ(2022/07/22)からの転載です。
※音声入力に手直しをしています。
こんにちは 久しぶりのあのブログなんですけど どうですか皆さん最近
私はねあの 皆さんも知ってると思うけど三浦春馬くんの ニュースが自分の想像以上 に 堪えていましたね
仕事中に休憩から戻ってきたスタッフから第一報を聞いたんですけど 亡くなったって聞いた時に事故かなって思ってどうしてって聞いたらそうじゃなくてめちゃめちゃ驚いた。
それから三日ぐらいちょっとなんか 喉が 腫れぼったくて ま泣くのをちょっと堪えてたからかね ずっと喉が筋肉痛みたいな感じで あとね寝不足続いていましたね 寝ても夜中に目が覚めて朝まで起きちゃうみたいな
ちょっとしんどかった 私なんかがしんどかったって言うのもあれだけどちょっとやっぱ いろいろ 考えてしまいましたね
他の芸能人みたいに 休業しても 引退しても どうにか どうにかできなかったのかなとか何か とかってね
まあ私が思ったところで本人の助けには1ミリもならないとは思うけど
キンキーブーツもやっているのは知っていたから当日券並んで行こうかなって思っていたのに どうせチケット余ってないだろうなって諦めたから やっぱり観に行けば良かったとか もうあのくしゃっとした笑顔見られないのかとか ま その笑顔のいくつかはもしかしたら無理して笑っていたのかもしれないけれど でも大事に思ってくれている人の前では 本当に心の底から笑っていたなら そういう時間もきっとちゃんとあったのなら 嬉しいな
今後姿が見られなくなるとしたら 新しい生活も頑張れよーって ハロプロメンバーが卒業する時みたいな気持ちで送り出したかった 姿が見えなくなっても どこかで穏やかに 幸せに過ごしていると思いたかった
三浦春馬くんは 劇団☆新感線の 五右衛門ロック3《ZIPANG PUNK》 に浦井くんとね 共演してて
でその後も 僕らの時代で小池徹平くんと浦井くんと話したりして 何だろう めちゃくちゃファンだったかと言われたら 分からないけれど ドラマとかね あの出てたら お、と思って見てたりしていた
浦井君のブログとかでもたまに登場したりねしていたので 浦井君も心配 ですよね今
多分ね あの周りの人は今 声をかけたら良かったとか 気づいて あげられたらとか 話を聞いたらとか 電話したらとか もっと早く 部屋に到着していたら とか色々すごい 後悔 してると 思うんですけど
なんでも あの日は 朝から雨だったので東京は もしかしたら寝坊しちゃったりして 知らないけどね 寝坊して起きたら雨で なんだか急にいろんなことが嫌になっちゃったっていうこともあるかもしれないですよね 前から 頭をかすっていたとしても 急にその波が来てしまったかもしれないですね それでスマホ見てくだらない動画が送られてきていたり テレビとかラジオつけて 知らない素敵な歌が流れていたり 宅急便が来たり 前の日に買ったアイスが冷凍庫に入っていたりしたら もしかしたら気がそれて 今の道を選ばなかったかもしれないですよね でももしかしたら 今まではそうやって 思い止まってこられたのかも でもあの日はそれがなくて ちょっと やってみたら 成功してしまったって言うか そういう成功しちゃうところとかも なんか 完璧を貫く人だったのかも なんてね 舞台も体力大丈夫かと思うくらいに毎回全力だったので そのような事を勝手に想像しちゃったりしました。何にも知らないのにね。
念のために書くけど その行動を起こして生き延びた人のことをどうこう言うつもりもないです。念のためね。もしこのブログを読んでいる方の中にもし1回選んだことのある方がいるとしたら あの時生き延びて良かったって思えるような出来事があったらいいなと思うし、今後もそういうことが増えたらいいなと祈っています。
そして今回の件で思い出したのが2014年12月に新国立劇場で上演された《星ノ数ホド》っていう舞台。
浦井くんと鈴木杏さんの二人芝居なんですけど
ちょっと説明が難しいんですけど 同じ場面を何回も何回も繰り返してね
ちょっとね二人の境遇と言うか なんか 話し方とかあと二人の会話の答えとか そういうニュアンスが違かったりっていう同じ場面が何度も何度も繰り返し繰り返しに進んでいく舞台なんですけど
同じ場面を繰り返す中でちょっとした 言葉の違いで また次の場面になったらその次の場面も同じくまた何回も何回も繰り返しててちょっとしたあの言葉の選び方とかあとは二人の状況だとかがちょっと違っただけでまたちょっと違うパターンの未来が続くみたいな
星の数ほど なんだろう可能性としてね人生の選択の可能性は星の数ほどもあるというような ちょっと最後はどうやって終わったか覚えてないんですけど
普通舞台はストーリーがあって なんていうか 答えというか お話の終わりがねハッピーエンドだったらハッピーエンドだったりあのバッドエンドだったら バッドエンドと決まってるんですけど 星ノ数ホドはそうじゃなくて
あのもしあの時会えていなかったらとか
もしあの時こう答えていたらとか
あの色々な可能性 ちょっとした選択の違いでちょっとずつずれていく未来がその選択肢の数だけ可能性っていうのが あるなって いうのを思った
今回のことも 何と言うか 本当にちっちゃいちっちゃい 選択の 積み重ねが 積み重ねの結果として今回 そうなってしまったんだけど
私この星ノ数ホドを観る 少し前に身近に選択した人がいたから なんでって どうして って 凄い思ったんだよね もしかしたらあの時 朝起きて 飛行機に乗ったら 間に合ったかなとか どうにか出来なかったかな とか 元気だったころ 彼女を怒らせてしまった時 ごめんなさいってちゃんと言ったかなとか 彼女から受け取った事に ありがとうってちゃんと言ったっけなとか 色々考えて そんな事思ったって そういえば彼女も 笑顔の方が 似合ったよなとか 今さらどうしようも無かったけれど
チケットも ずいぶん前から 取っていたから こんな気持ちで舞台を観に行くのは どうなんだろう 誰かにチケット譲ろうかなとか 思ったけれど
もしかしたら もしかしたらね 舞台を観ている間だけは 現実を忘れられる事が この事を忘れる事が出来るかもしれないって 思ったんだよね
あとね私の よくね良くないことが 起こった時 の考え方というか気が楽になる方法として
私の場合 実家がね 沖縄だから 沖縄で会えない しばらく会ってない人とかいると ま 私がたまたまね 帰るタイミングとか実家にね
あとは予定が合うか合わないかとか もう会えないと本当は分かってるんだけど 会えなくなった人にはそうやってたまたま予定が合わないから会えて いないだけだっていう風にちょっと思い込むように することもありますね
でもね あれから何年か経って 新たに思うことは もし もし私があの日 飛行機に乗って 間に合っていたとして その瞬間は助けられたとしても そのあと そのあとの 責任は取れないなって思うんだよね 冷たいかもしれないけれど 100%幸せにしてあげられる事は きっと難しいと思うんだよね 私は私の人生を生きているから そう思うと やっぱり 何が正解なのか 本当に分からない 私には何もする事ができない でも無責任なのは分かっているけれど 矛盾もしているけれど それでもやっぱり 生きていて欲しかったっていうのは思ってしまうよね
私は何も出来ないけれど 寝癖写真がね もしかしたら 誰かの このアイスみたいな きっかけに なれたらなんて くだらない事してんなって バカみたいな人がいるな ちょっとやっぱりやめてみようかな って もしそんな存在になれたら なんて 思うこともあるよね
もしねどっかのね世界で その人が元気でいたりとか 生きてくれて いたらいいなって その世界の私は どう過ごしているか分からないけれど
可能性として星の数ほど あるとしたら そういう世界ももしかしたらどこかに あるのかもって 思っていますね あったらないいなって 現実的な話では ないかもしれないけれど
ま それはただの妄想にすぎないけれど
意識があるのかないのか天国や地獄というのがあるのか "無"しかないのかどうかわからないけれど、身体という物体がなくても 意識だけがどこかで浮遊しているとしたら この世界からいなくなった人が 自ら死を選んだ人達が自分で選んだ決断を後悔することなく 今心穏やかでいることを願っています。
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