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チェルノブイリツアー DAY4

【チェルノブイリ・ダークツーリズム】
DAY 4 キエフ  
0.03μSv/h
■聖ソフィア大聖堂
■第二次世界大戦におけるウクライナ歴史博物館(旧大祖国戦争博物館)
■マルシチェンコさんの写真学校でのお話

テクノロジーの進歩と宗教

これがチェルノブイリツアーの裏テーマにしてメインテーマだったと思う。
初日から見学したものほとんど全てにおいて、
常に人類の技術的進歩と神秘的モチーフが一体となって存在していた。
チェルノブイリ博物館のノアの箱舟、
原発を覆うカバーを“石棺”と呼んでいること、
原発内のブロック制御室のメーターと卓上ボタンの配置が教会の祭壇のようであったこと。

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3日目の晩、ゾーンからキエフに戻ってきました。
前日夜は、シロタさん宅で我々の質問が止まらず、結局チェルノブイリを出たのが20時過ぎとかでキエフのホテルに戻ってきたのは22時!
そこからホテルのレストランでラストオーダーギリギリ、途中照明半分落とされた(日本だったら蛍の光流れてた)中でかろうじて夕食をいただいた。

この日は世界遺産である聖ソフィア大聖堂へ。

ドーム状の屋根は13あり、キリストと12の使徒を表している。
もともと建立された1037年はビザンチン様式で茶色いレンガ壁に鉛のドームだったが、13世紀にモンゴルに大部分を破壊され、17世紀改築された際にゴージャスなウクライナバロック様式になった。
ウクライナバロック様式は独特の可愛らしいデザインで、鮮やかなパステルカラーの緑色の壁とドーム型の屋根。
大聖堂前の塔はまるで精巧な線画が描かれたアイシングクッキーのよう。

中に入ると、内部は10世紀のままにされていて、正面天井にはモザイク画のキリスト像と弟子たち。そして受胎告知の絵が描かれていた。

ガイドさんの説明では、この受胎告知のモザイク画は、
天使ガブリエルがやってきて乙女マリアに「神の子キリストをお腹に授かること、そしてその子がやがて死ぬこと」を告げ、そしてマリアは「嬉しくて悲しい告知を引き受けます」と応えているシーンなのだという。

これまで私が知っていた受胎告知は、「ガブリエルがマリアにイエスの妊娠を告げる」のみの認識だったが、初めてイエスが死ぬことも同時に告げているという説を聞いた。

昨年、國分功一郎さんの『中動態の世界』や
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』で描かれた世界観ーーー
定められた運命(自分のコントロールの手を超えた)を受け入れる姿(能動的受動とでも言えばよいのだろうか)を思い出した。
過去・現在・未来の時間軸は人間が発明した近代文明の一つであり、
必ずしも人間が掌握できるものではないのだ、という思想をそこから学んだ。
ソフィア聖堂の受胎告知も、悲しい運命が待ち受けていると知っても、それを受け入れるマリアがそこに描かれていた。

聖堂の中にはソフィア聖堂を建立したヤロスワフ王の棺があった。
骨は色々な事情でアメリカにあるらしい。
ヤロスワフが治めていた12世紀のキエフの町の模型があったが、カルカソンヌのような(進撃の巨人のような)城壁で囲まれた町だった。
中心にソフィア聖堂があり、政治、軍事もここから行われた。
図書館は貴重な施設で、本は盗まれないよう、鎖や呪いがかけられていたという。

同行講師の東浩紀さんが補助線を引いてくれたおかげで、一見関連のなさそうなチェルノブイリ原発とソフィア大聖堂の接点が浮き上がる。
原発の石棺とソフィア大聖堂の石棺。
教会中央奥の銀の扉の向こうが神の領域であるように、
原発制御室において卓上ボタンの向かい壁におびただしく設置されたバロメーターが原子力=神の領域として配置されているかのように見えるなど、
あらゆる場面で宗教的なリソースを意識的または無意識的に導入しているのが見受けられた。
目に見えない放射線と向き合わなければならないということ…そのことも宗教的なものに繋がる理由の一つだろう。

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続いて向かったのは
「第二次世界大戦におけるウクライナ歴史博物館(旧大祖国戦争博物館)」。
ここはもともとソ連が第二次世界大戦の独ソ戦についての博物館として建てたものだが、ウクライナが独立してから少しずつ視点が独ソ戦→現在のロシアとの戦争(東部戦線)へ変わっていっているのを感じる内容だった。
ここではウクライナで現在膨れ上がるナショナリズムを強く突きつけられた。

入ってすぐの一階フロアに広がっていたのは、まさに現在進行形のロシアとの戦争、東部戦線の生々しい展示だった。
銃弾を受けた戦車、活躍した兵士(今も生きている)の蝋人形や写真。
外ではウクライナ国旗色に塗られた戦車に乗って遊ぶ子どもたち。
2016年の前回のチェルノブイリツアーではこの展示はなかったらしく、ユーロマイダン以降、着々とナショナリズムが膨らんでいるようだった。
まだ評価の定まっていない現在進行形の戦争を公的な博物館が大々的に展示することの意味。こうやって無意識のうちに戦争が日常の中に溶け込んでいくのだなと思った。

メインの展示では、特にナチスによるウクライナのユダヤ人の虐殺に関するものがが印象的だった。
ウクライナにはアメリカに次いでユダヤ人が多く200万人もいたのだそう。
キエフの人口の4分の1がユダヤ人。その大部分がバビ・ヤールという崖でいっきに虐殺された。(DAY 5で訪れる)

↑日本兵の国旗の寄せ書きもあった。

↑博物館の最後の展示室。壁には無数の写真。戦争に行った兵士とその家族たちのものである。中央のテーブルには兵士が戦地に持参した水筒が右側に、左側には彼らへの慰霊を込めたガラスのコップが配置されていた。テーブルのガラス板の下にはさまれた手紙は無事を願う母親からものだという。

もともとソ連が設立した博物館であっただけに、近代技術のシンボルであるコンクリートをカットして作られた兵士たちの彫刻、ドームの天井に設置された巨大なソ連の紋章など、ソ連らしい誇らしげな意匠に心が揺さぶられた。

今回の旅を通じて、ソ連のデザインに正直とても惹かれた。
建築、紋章、ロゴ、看板、ポスター、どれをとってもめちゃくちゃエモい。グッとくる。
原発事故もあり、結果的にソ連は崩壊したが、ハイテクノロジーで、芸術・デザイン性も高いときたら、最強にかっこよくてヤバかったのではないかと思った。
権威×ダサい 
であれば、ダサいという一点によって国民の心を引きつけることは難しくなるが、逆に
権威×かっこいい
はかっこいいという一点によってまるっと支持されてしまう恐れがあると思う。だから芸術的に素敵な人、センスのよい人が権威とコラボしてしまうと一番ヤバいのだと思う。無論、正しさとかっこよさが両立しているのが理想なのだろうが(アベンジャーズやバーフバリ的な笑)、なかなか難しい。

ソ連の一連のかっこいい意匠はどういうコントロールで実現したものなのだろう…。
今後調べていきたい。

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ゲンロンproduce企画の最後は、
写真家ヴィクトル・マルシチェンコさんの写真学校でお話を伺った。

↑会場はコンクリート打ちっぱなしのギャラリースペースのような場所。おしゃれなバーカウンターもあり、DJスペースもあって夜はクラブイベントにも使えそうな雰囲気だった。

マルシチェンコさんは事故後2週間以内にチェルノブイリに行き、現場を撮影。
写真学校で若手の育成を行いながら、現在に至るまでチェルノブイリ関連作品を制作されている。
マルシチェンコさんが見てきたチェルノブイリ・・・
90年代は、打ち棄てられた家や食べ物を目当てに全ソ連の浮浪者たちがゾーンに住みに来ていたという。
2000年代には、チェルノブイリでの仕事は金回りがよいということで若い労働者が働きに来ていた。2週間働き、2週間休むというルーティン。女性も逞しく働きに来ていた。

2011年にチェルノブイリ25周年のプロジェクトで制作した、原発元作業員25名、事故の年に生まれた若者25名にインタビューした映像を見させてもらった。

「あなたにとってチェルノブイリはなんですか?」
作業員の多くが「人生をだめにした事故だった。」と答え、
若者の多くが「親から聞いたがよくわからない。」と答えていた。

『1986 ふたつの視点』と題される動画作品はこちらでも公開されている。
https://youtu.be/SAe6RihXQdU

また、マルシチェンコさんが撮った東部ドンバス地域の炭坑夫の写真も紹介された。
21世紀に入り、石炭の価格が安くなったことで炭鉱が閉鎖され、多くの炭坑夫たちが失職した。閉鎖後も勝手に掘り続け、自分たちで石炭を売ってぎりぎりの生活を送っている人もいるのだそう。
事故を起こした原発は黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉というタイプのもので、これにもドンバスの石炭はばりばり活用されていたのだろう。
福島も元々炭鉱があったが炭鉱が衰えて原発ができた背景がある。

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夜はグルジア料理のレストランでフェアウェルパーティー。
(本当に夢のようにあっというまの旅行で寂しい…!)
ツアーを現地でコーディネートしてくれたジャチェンコさんからサプライズプレゼントでウクライナ民族刺繍のブラウスをもらい(なんと背中にはCHORNOBYL・FUKUSHIMAと書かれている)みんな大喜びでその場で着て記念撮影!
そのままホテルのバーでも朝4時まで語り明かしました。

#ゲンロン #チェルノブイリツアー2018 #chornobyl #nofilter


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