見出し画像

チェルノブイリツアー DAY2

【チェルノブイリ・ダークツーリズム】
DAY 2 ゾーン
0.3〜1.5μSv/h 局所的に10μSv/h
■ゾーン(30km圏内立入禁止区域)
■原発4号機、5号機、貯水槽 全景
■原発 社員食堂
■プリピャチ
(原発に隣接したエリート都市。事故で全員避難し今は町ごと森に覆われた廃墟に。)
■サマショール(自主帰還者)のおじいさんの話
■シナゴーグ🕍
(ユダヤ人の宗教施設のちにKGB軍事施設へ)

到着して2日目!
ついにゾーン(30km圏内立入禁止区域) に突入。
来る前、日本では好奇心と恐怖心が半分半分で、むしろやや恐怖心が上回っており、小心者の私は吐き気すら感じていたのだが…、いざ目の前に迫ると、晴れわたった空が明るくて、木々がキラキラしていて、とても平和的な雰囲気。
一緒のメンバーも明るく元気で、ついにゾーン!イェーイ!みたいな感じで突入していきました。

そんなウキウキ気分で不謹慎な(?)私たちをゾーン入口の検問所で迎えてくれたのは、さらに何百倍も不謹慎なお土産屋ワゴンでした。
ディズニーランドのチュロスワゴンさながらの牧歌的なカントリーミュージックを流しながら、陳列しているのは観光地によくある「I❤️NY」ならぬ「I☢️chornobyl」の缶バッチや原発の写真のマグカップ。そしてガスマスクやガイガーカウンター、遊園地のようなノリの可愛いマップ。

唖然としながらもこのシュールな光景に笑うしかなく、
「こんな商業主義に走ってはいかんだろう」
「いやまじナイスでしょ、いつまでも喪に服しててもしょうがないし明るく行こうぜ〜!」
と私の中のPTAとアウトローがバトルを始めている間に皆がワゴンに並びだし遅れをとった!
無事に原発マークのペンとマグネット、マップを買った。笑

バスを走らせしばらくすると、原発一帯が見渡せるスポットで途中下車。

左側には事故機である原発4号機。
右手前方には事故によって被曝し手がつけられなくなった建設途中の原発5号機。
建設途中の原発とそれを囲む多数のクレーンは1986年4月26日に一時停止ボタンを押されたかのごとく同じ角度で硬直。
ソ連の計画では本当はここに10機もの原発を作り、ヨーロッパ最大の原発基地にして社会主義の国々に電気を売りたかったのだという。
再びバスで事故機4号機の目の前に移動。

放射線漏出を防ぐカバーである新石棺は2016年に完成し、世界最大のアーチ状建築物となった。
内部を減圧していて放射能が漏れ出ない仕組み。
新石棺の効果はテキメンで、旧石棺の時は4〜5μSv/hあった放射線が1.4μSv/hにも下がっていた!

その後、なんと、原発職員の社員食堂で昼食を食べた。
入り口にある全身の放射線量チェッカーを通り、本当に普通の社員食堂のような感じでトレイにボルシチと主菜と副菜とデザート、ジュースを乗せ完成。
なかなかの美味。

食後に向かったのは、原発に隣接するかつての衛星都市プリピャチ。

原発の建設がスタートした1970年から、その隣の土地に森を開拓して作られた街である。
プリピャチは原発職員のエリートたち、若い夫婦が住む、最先端で文化的な都市だったという。事故の発生した土曜日にはなんと、6件もの結婚式が開かれていたという。
有り余る電気によってかつては輝いていただろうネオンサインが朽ちた状態で今もかかったホテルやスーパーマーケット。
劇場などが入った総合カルチャーセンター"文化宮殿"に、立派なサッカースタジアム。

1986年4月26日の原発事故の翌日、"一時的な避難"という説明のもと、全5万人の住人が数時間で立ち去った。
多くの住居では洗濯物がはためいたままであった。
あの瞬間から放置され、廃墟となり、30年余り。
そこは今や初夏の生命力溢れた緑に包み込まれていて、天空の城ラピュタを彷彿とさせる。

プリピャチ名物(?)観覧車。

ここは1986年5月1日、原発事故の5日後にオープン予定だった遊園地。
ゴーカートや回転ブランコ、小さなバイキングは遊ばれることなく今も切なく佇んでいる。
(実はプレオープンしていたそうで、この観覧車で遊んでいる子どもたちの映像がある!)

その後、サマショール(自主帰還者)と呼ばれる、立入禁止区域になったにも関わらず自主的に戻ってきてこれまでの生活を続けた人たちの一人、イワンさんという81歳の独り暮らしのおじいさんの話を聞くことができた。

まぎれもなく世界レベルの超独居老人である。
庭で農業をしたり、にわとりやアヒルを飼って生活している。
イワンさんも当時は原発で運転手や機械関係の仕事をしていた。
事故が発生したときは、ロシアのせいにしたい人の捏造なのでは?と疑っている人もいたが、原発からのとてつもなく大きな雲を見て本当の事故だとわかったという。

イワンさんの言葉で衝撃的だったのは、
「チェルノブイリ原発事故はそこまで大きな事故ではなかった」
「何かの働きで大きく取り上げられすぎた。
ここから人々を追い出すためだったのでは」
と言っていたこと。

目に見えないものによって一瞬にして完全に奪われた"自分たちの日常"を取り戻したくて今まで必死に生きてきたイワンさんの本心ということなのか…、
勝手な憶測も気が引けるのでこの件はそのまま受け取ることにした。

最後に立ち寄ったのはシナゴーグ(ユダヤ教会)で後にKGB(ソ連国家保安委員会)の基地となった場所の廃墟。
ここで拷問や投獄を行なっていたということでなかなか怖い雰囲気だった。

この日、私たちはゾーン内の宿泊施設に泊まった。
観光客用のホテルはなく、原発関係の出張者用の宿みたいなところである。
原発社員食堂といい、宿舎といい、なかなかの身内感がいい感じ。笑

ガイドさんに言われた。
「君たちは既にチェルノブイリの家族だ。逃れることはできない。」

#pripyat #chornobyl #チェルノブイリツアー2018 #ゲンロン #nofilter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?