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チェルノブイリツアー DAY1

チェルノブイリツアーproduced byゲンロン
に行ってきました。
廃墟と化したユートピア、SF映画に迷い込んでしまったようなファンタスティックでスリリングな5日間。
現地で取った膨大なメモから抜粋してご報告。
↓↓↓

【チェルノブイリ・ダークツーリズム】
DAY 1 キエフ 0.03〜0.08μSv/h
■チェルノブイリ博物館
■キエフ独立広場(ユーロマイダンの現場)

初日はキエフ市中心部にある国立チェルノブイリ博物館へ。
かつて消防署だったが、原発事故対応で亡くなった消防士たちへの慰霊も込めて博物館に改装した場所。

入口から足を踏み入れた途端、頭上には多数のこいのぼりが原発事故で滅びた地名の標識と共にぶら下がっており驚く。

壁には福島へのメッセージ、中央には浴衣の女の子とウクライナ民族衣装の女の子が手を取って踊っているお人形、ウクライナのシンボルであるコウノトリと日本のシンボルである鶴の展示があった。

黒、赤、紫のライトアップ、
正教会の入口やノアの箱舟を模したインスタレーション、原発事故対応で身を捧げた作業員や消防士たちの顔写真が壁一面に連なる。

五感に突き刺さる非常にエモーショナルな展示方法で、一般的な歴史博物館にあるようなキャプションやデータ的なものはほぼない。
データ以上に、感情と象徴性を重視する作り手の意図を強く感じた。

こちらの新聞の写真、この左下のピンク色の記事が事故後3日目にしてようやく報道されたチェルノブイリ原発事故の記事。(めちゃ小さい!)
海外のNYタイムズなどはもちろん一面記事だった。ゴルバチョフによる公式発表も半月後。

当時原発オペレーターで、事故処理作業にあたったアレクセイさんと、放射能の漏出を抑えるためにヘリコプターから5千トンもの大量の砂袋を落としたパイロットのアンドレイさんのインタビューも聞くことができた。
夜中に事故が発生したとき、何も知らされず、翌朝通常通り出勤すると爆発していた。
事故前、既に原子炉に重大な欠陥がいくつもあったのだが、ソ連諜報組織KGBに口止めの署名をさせられており、行なった作業、損害、放射線量など全て話すことが禁じられていたという。
「当時、原発で働くことは大変誇らしいことで、同僚の多くは今も最高のエネルギーだと考えている。低価格でクリーン、そしてロシアなど他国に依存にしないナショナルエネルギー。
ただし技術の急進的な発展は必ず事故に繋がる。人間は、分かっていないということを理解しないまま原始人のように新しいものものに飛びつく。もっと慎重になるべきだ。」

こうやって近付いて色々な話を聞くと、原発賛成・反対の二項対立の間に多くの複雑な事情、事実、思想があることに気がつく。
単純化された二項対立に惑わされてはいけないと感じた。

幸いにも多量の被曝を受けた2人は今も治療を受けながら生きており、子どもも孫もいるのだそう。エンジニアだったアレクセイさんは今や詩人であると共に『ストロンチウム90』という画家グループを結成しているとのことで興味深かった!

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その後向かったのは、キエフ独立広場。
ここはまだ記憶に新しい2013〜2014にかけて行われた市民運動ユーロマイダンの現場となった場所。
アラブの春などと同様にSNSでの声かけで始まった、学生も多数参加した市民運動。
当時の汚職まみれ且つ親露派のヤヌコーヴィチ大統領がEU協定調印を棚上げにしようとしたことに抗議するための平和的な運動だったが、次第に過激化していき治安部隊によって100名もの市民が殺された。
今回私たちに日本語でガイドしてくれた20代の若い女の子たちも、実はユーロマイダンに参加しており、知り合いが亡くなったりしていた。
「これまで警官が市民を撃つなんてことはなかったし本当に驚いた。でも私たちは正しいことをしていると信じていたのでやめることはなかった。」
と真っ直ぐな目で熱く語っていたのが印象的だったが、あまりの純粋さナイーブさに戸惑いも感じた。
結局100人もの市民を殺してしまう結果を招きヤヌコーヴィチは退任したという。
抗議デモの行進と銃撃があった場所には亡くなった方の慰霊碑や写真、献花がたくさん。
しかしここで考えさせられたのが、独立広場では、この“自由のための市民運動ユーロマイダン”が東部戦線のロシアに対するナショナリズムに回収されて語られてしまっていたこと。ガイドの彼女たちもそれに自覚的か無自覚なのかわからない様子だった。


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