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パントマイムとジェスチャーの違い #4

《パントマイム》と《ジェスチャー》の違いを一言で説明出来るだろうか。

どちらも言葉としては何となく理解しているだろうし、フワッとしたイメージもそれぞれにあると思う。だが明確な違いを教えてくれと言われるとちょっと口ごもってしまうだろう。

壁とか鞄の技がある方がパントマイム!で、喋らずに動きだけで何を表現しているのかあてるやつがジェスチャー…あれ?パントマイムも喋らないから一緒?くらいの認識かなと思う

しかし、結論から言うとそれぞれはまったくの別物だ。

一言で違いを表す言葉を選ぶとすれば
パントマイムは【感情】で、ジェスチャーは【説明】となるのだが
今回はこの部分に関して深堀りしていきたいと思う

”感情表現”と”状況説明”

パントマイムとジェスチャーの違い。それはつまるところ目的の違いだ。

パントマイムは感情を表現するものであり、
ジェスチャーは状況を説明するためのもの

しかし、それぞれが違う目的を持っているにも関わらず、実際パントマイムをやっている人でさえ、これらは時に混同して表現してしまうことがある。共通点があるからだ。

”言葉を用いずに身振り手振りでメッセージを伝える技法のこと”

ここが一致してしまっているので同じもののように扱われてしまっているのではないだろうか。しかし、表現方法も目的も違うので自身は別物だと考えている。

さらに、パントマイムという背景の中で演じられる、状況説明を目的とした所作を”ジェスチャーマイム”と呼ぶ。リアルにお客さんとやり取りする時などに用いられる動作で、指を差してどこかを示したり、手招きなどもジェスチャーマイムとなる。

引き続きこれらを分けて考えてみよう

ジェスチャー(状況説明)

ジェスチャーの場合。ジェスチャーの目的を言うならば”相手に状況を説明する”ことではないだろうか。例えば『水が飲みたい』という文章があったとしよう。それをジェスチャーで表現するとこうなる。

水が=ペットボトルのようなものを持っている状況を再現
飲みたい=口に注ぐ動きを真似る

ジェスチャーであればだいたいこんな感じではないだろうか。水というものを普段どのように摂取しているかで、動作は水道で水をコップに注いだりなどに変わるかもしれないが、いずれにせよ口に注ぐ動きを表現することで伝えたい言葉を説明するだろう

パントマイム(感情表現)

パントマイムの場合。パントマイムの目的は

”観ている方を楽しませること”
である

楽しませるとは「表現している世界をリアルに感じてもらい感情を揺さぶること」だ。共感や驚き、笑いや泣きといったリアクションを引き出さなくてはならない。そのために必要な要素が感情表現なのだ。

同じ様に『水が飲みたい』という文章をパントマイムで考えてみよう。

水が飲みたい=水がない状況にいるということ
例えば砂漠や閉じ込められた閉鎖的な場所など。乾きに喉を押さえ、やがて動けなくなり、膝を折って座り込んだりする。水が入っていそうなものがあればそれを逆さに振り、空であることに落胆する。
そして、喉の乾きによる苦しみ、辺りに水がない焦り、このまま死ぬのではという恐怖、だれか助けてくれというパニック、助けを呼びたくても乾いて声が出ない、、

このように感情を動かし、その移り変わりを動作に置き換え、表現していくことで『水が飲みたい』という文章をパントマイムとして成立させることが出来るのだ

両者で一致していた動きもあったと思う。それぞれの説明の中で「水が入ってそうなボトルを振る」という動作が出てきたが、ここだけ見れば同じ動きだ。しかし、何の前触れもなくその動きをしたならばそれは状況説明を目的としたジェスチャーで、手をかけるまでの感情があってボトルを振ったのならパントマイムとなる

意図しないジェスチャーマイム

パントマイムという背景の中で演じられる、状況説明を目的とした所作を”ジェスチャーマイム(説明主体の表現)”と呼ぶと前述したが、これが意図せずそうなってしまうパターンは多い。

たとえば代表的なテクニックとして知られる《壁》という技を演目に取り入れたとしよう。ダンサーさんなども気軽に取り入れたりしているが、本人はパントマイムのつもりで演じていても、目的が変わるとジェスチャーマイムになってしまう。

ポイントは”壁があること”を見せようとしているのか”戸惑っている人”を表現しているかの違いだ。演出として不思議な技を見せるという狙いがあってのことなら問題ないが、壁という物質そのものは別に面白いものではない。その突然現れた壁に驚き戸惑い苦心し右往左往する人そのものや、その先どうやって切り抜けるかが面白いし見どころなので、状況説明として”壁があること”ばかりを表現し続けていても長くはみていられない。

意図して演じる

極論ではない。場面によっては自身が個性を発揮せず壁やその不思議なテクニックだけを魅せる作品や、全身を使って花や蝶々、風や炎などの森羅万象を感情表現無しで演じきる作品だってある。

しかし、その様な作品の中にも、ふとした瞬間の感情の流れは感じられるし、ジェスチャーマイムとパントマイムの違いを理解した上でやっていることだ。パントマイムの技だけを表に際立たせその物語性、即ち感情の変化をおろそかにすると、多くの場合、その場面やテクニックを説明するだけになってしまう。そうした時間はアクセントにはなっても一つの作品にはならないだろう

ジェスチャーの目的と同様に”状況を説明する”ことだけにとらわれるとジェスチャーマイム(説明主体の表現)となってしまうので、パントマイム(感情表現)を形にしたいのであれば、その状況を想像し感情の流れを紡ぐことを忘れてはならない

”心が動いて体が動く”。この順番が見て取れればパントマイムとして成立する。たとえフィジカル(振り付け)の面から創作したとしても、感情の流れがそこに納得できるだけあればパントマイムとして楽しめるのではないだろうか

感情が動くから”感動”する

パントマイムとジェスチャーの違い、何となく理解して頂けただろうか。
パントマイムとは一つ一つが物語であり、起承転結があって、感情の起伏のあるもの。その中においてテクニックが用いられる。ジェスチャーとは状況説明だ。

パントマイム作品とされているものの中でもひたすら場面を理解させるためだけの動きや、演じている人が感情をリアルに動かしていない、または感情の変化や流れに違和感のある時はジェスチャーマイムになってしまっていることがある。

パントマイムの嘘はバレる。嘘の目線だったり自分が感じていないものはお客さんにも見えはしない。演目の中で演じ手が本気で悲しみ、驚き、笑い、痛み、戸惑ってこそ、その空間のリアリティが伝わるし、観てくださっている方に同じような感情の起伏を生むことが出来るのではないだろうか。

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