「なんばグランド花月」オープン
1987年11月、僕はオープンした「吉本会館(現・なんばグランド花月)」の裏手に止まった中継車の「ディレクター席」に座っていた。
当時、僕は、「朝の連続ドラマ」のAP(アシスタント・プロデューサー)をやっていて、休暇をが終わって出社したら、「2時のワイドショー」の「中継ディレクター」に決まっていたのだ。
「吉本会館」のオープンを記念しての特番。全編、中継で構成される、ちょっと不思議な番組だった。
番組の構成はこうだ。
「吉本会館」の表から「NGKスタジオ(「吉本会館」内にあるテレビスタジオ)」のリポーターが島田紳助さん。
社員の方々が働くオフィス・フロアーで、横山やすし・西川きよし、桂三枝、御三方の鼎談。
そして、明石家さんまさんが名付け親である「吉本会館」の地下にあったディスコ「デッセ・ジェニー(「銭でっせ」を逆から読んだ造語)」のリポートをダウンタウンのお二人。
まず、打ち合わせを進めて行くと、ダウンタウンのお二人が生中継直前まで明石で営業が入っている事が分かった。
さらに、本番当日、吉本の社長に「社員が働いているオフィス(世間に見られることのない裏側)」での、やすしさん、きよしさん、三枝さんの鼎談を楽屋に移す様にと言われた。
後で考えれば、吉本の社員が働いているオフィスで「芸人さん」の鼎談を生中継しようとするのが無謀である。
慌てて、カメラと照明を楽屋のフロアーに降ろす。狭い楽屋のフロアーだ。やすし・きよしさん、三枝さんは10分弱なので「立ち」にした。
生放送スタート。事前にバタバタした割に本番はスムーズに始まった。
ところが、ところがである。
やすしさん、きよしさん、三枝さんの「スタンバイ画面」を見ていると、横山やすしさんがにこやかに笑っている。
横山やすしさんがいつもの「やすきよ」の立ち位置と逆の所にスッと立たれたのである。
「スーパーテロップ」は3人の並びで作ってあり、本社「サブ」で入れる事になっている。
当時は、その場で「スーパーテロップ」を直す事など不可能だった。
3人の「スタンバイ画面」が本社にも映っている。
「やすしさんの立ち位置を変えてくれ!」
中継車の中に鳴り響く声。矢の様な催促。
僕もフロアーディレクターにその旨を伝える。
しかし、「超」が付くくらいご機嫌に三枝さん、きよしさんと話している横山やすしさん。
誰も怖くて、立ち位置の事など告げようが無い。
そうこうする内に、3人の鼎談に入ってしまった。
本社「サブ」の事だから、「スーパーテロップ」をどうしたかは知る由もない。
鼎談は無事終わり、ダウンタウンのお二人もギリギリ明石から無事入って、「デッセ・ジェニー」の紹介を終えた。
僕はフロアーディレクターをやってくれた「ITS」のスタッフに「お疲れ様!」を言い、会社へと帰った。
長くも短い一日だった。
あれから、36年。NGKなんばグランド花月は「笑いの殿堂」として、365日休む事無く、たくさんの人を「笑いの渦」に巻き込んでいる。
あの時、三枝さん、きよしさんとご機嫌で笑いながら喋っていた横山やすしさんもこの世を去った。
人々の悲喜交々のひとつのスタートが1987年11月にあったのかも知れないなぁーと僕は思う。
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