「11PM」と雄琴温泉

「11PM」のスタッフで、琵琶湖畔の雄琴温泉に勉強会兼慰労会で行く事になった。当時、会社は開局1958年から何年かの間に入社した40代スタッフ、そして新卒定期採用の28歳以下と2つの世代に分かれていた。

雄琴温泉に到着。15時から旅館の大広間で勉強会が始まる。スタッフから、「11PM」をより良くする為、いろんな意見が飛び出す。年配のプロデューサーが言った一言から勉強会は紛糾する事になる。

若手から積極的に意見が出る中、「それはイレブン的ではない」とプロデューサーが言い出した。若手がこの言葉に猛反発したのである。つまり、「これまでのイレブンを壊して、新たな分野を切り拓いていく事」が大事だと。「イレブン的」という言葉を言ってしまった段階で、自ら保守に入っていると。

若手の代表はSディレクター。後に、「鶴瓶上岡のパペポTV」「大阪ほんわかテレビ」「EXテレビosaka」を作った人。

僕はSディレクターに「ミラノ・プレタポルテコレクション」という特番で付いて、生まれて初めて名前をテレビ画面上に出してもらった。岡山の親戚から見たよ、と連絡があった。とても嬉しかったのを憶えている。

15時に始まった勉強会は24時まで続いた。雄琴温泉の灯りが1つ、また1つと消えていく。はやる気持ちの若手。周りが真っ暗になった時、勉強会は終わった。

会が終わって、若手で麻雀をしていると、年配のプロデューサーが来て、麻雀に参加。世代関係無く遊んだ。そこには勉強会の遺恨は微塵も無かった。

「11PM」。摩訶不思議な番組だった。どんなテーマでも成立した。毎回、違うディレクターが登板しても、藤本義一さんの切り口で番組を放送していた事は大きい。

テーマを1つ決めて、取材やセットの発注、ゲストのキャスティングまで、全て1人のディレクターが行なう。今考えると、何て贅沢な番組作りだろう。

それぞれの個性を表現できる番組制作環境を与えてくれたプロデューサーにも感謝している。

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