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渡辺文雄さんとの思い出

旅番組「遠くへ行きたい」が今年秋、放送50周年を迎える。
※この原稿を書いた当時。

旅番組「遠くへ行きたい」

この番組は、大阪万博が開かれた1970年、国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンの一環として始まった。

俳優・渡辺文雄さん



月1回のレギュラーだったのが、俳優の渡辺文雄さん。プロデューサーの僕はナレーション原稿をチェックしていた。

渡辺文雄さんのナレーション録りが終わると、渡辺さん、スタッフと赤坂の居酒屋で呑むのが恒例になっていた。

ヤクザを演じる渡辺文雄さん



渡辺さんとするのは決まって映画の話。「怖いヤクザの親分を演じるにはどうしたらいいと思う?」こんな風に渡辺さんは僕に訊く。答えられない僕を見て、「周りのチンピラ達が騒ぐのさ。親分は静かにしていればいるほど、怖い」と答えてくれる。

渡辺さんは「五社協定(映画会社五社が協定を結び、所属俳優が他社の映画に出演するのを禁じた規則)」とは無縁で活動していたので、すべての映画会社の映画に出る事ができたそうである。

松竹映画の巨匠・木下惠介監督



木下恵介監督作品「笛吹川」に出た時の事。

暑い夏のロケ。監督が本番にいかないので、主演女優・高峰秀子さん始め、俳優陣は着物の胸許を少し開け、団扇で扇いでいた。しばしの休憩である。

女優・高峰秀子さん



突然、木下監督が高峰秀子さんに「土手に上がれ!」「走れ!」「止まって右を向け!」と立て続けに怒鳴った。出来上がった映画では、驚いた事にこのシーンがいちばん感動するシーンになったと、渡辺さんは言っていた。

渡辺さんとは、この居酒屋で毎回映画の話を5時間位した。オススメの映画もいろいろ教えてくれた。映画の話ができるので、渡辺さんのナレーション録りの日が本当に楽しみだった。

渡辺さんのロケ地、長崎県対馬に陣中見舞いに行った。風の強い対馬空港への着陸は3度目で成功。

ロケ隊に差し入れのウィスキーを渡し、夜、渡辺さん、スタッフと地元の料理が味わえる居酒屋へ。酔うほどに、「旅の話」に花が咲く。

「遠くへ行きたい」の収録は当時3泊4日。旅人にはマネージャーは付かない。スタッフと共に「実際に旅をしている気分」を味わって欲しいからだ。

どんな映画の話をしても、ボールを投げ返してくれた渡辺文雄さん。

2004年夏、雲ひとつ無い空。青山葬儀所、たくさんの人が集まっている。僕は渡辺文雄さんを見送った。時間を忘れてした映画の話が二度とできないと思うと、僕の目から涙が溢れ出て止まらなかった。

享年74歳。

あれから20年の歳月が流れた。

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