高校生クイズ

「高校生クイズ近畿大会」のディレクターを1992〜1994年、3年間やった。

スマホもパソコンも無い時代、高校生にとって1年に1回の一大イベントだった。近畿二府四県から、始発に乗ってでも会場に駆けつけるチームもたくさんいた。あの伝説のクイズ番組、「アメリカ横断ウルトラクイズ」が終わった頃の事である。

1万人を超える高校生が大移動する「YES-NOクイズ」。高校生の生き生きとした表情を、ヘリコプターのカメラを含め、12台のカメラが追っかける。

毎年、真夏の炎天下、勝ち抜けた高校生に昼の弁当や冷たいお茶を配るスタッフ、勝者と敗者の移動に携わるスタッフも一緒にクイズ会場を移動する。1日で全てを収録しなければならない「高校生クイズ」の現場は、人と人の繋がりで成り立っている。

収録が終わると、地獄の編集が待っていた。30時間以上回ったVTRを85分にまとめなければならない。

3倍速でプレビューし、いいコメントやリアクション、表情があったら、すべて紙に記録。このプレビューに丸3日。

編集が始まる。参加してもらった高校生の、プレビューで記録したコメント・リアクション・表情を確認しながら編集。良い素材を切るのはつらい。身を切られる思いがする作業。朝10時に始まって、深夜まで、この過酷な作業が2週間続く。
編集が終わった時は思わず、心の中で、「万歳」をした。

後は、MA。音楽や効果音を付けていく作業である。実は、収録当日、僕の中である曲が鳴っていた。サザンオールスターズの「旅姿六人衆」。音効さんに編集している時から、エンディングでかけて欲しいとリクエストしていた。

音効さんは、曲の入るタイミングを探っていたが、苦戦している。しかし、大胆にも福澤朗さんが決勝を勝ち抜いたチームをインタビューする前に曲をスタートさせた。曲のサビで、エンディングに入り、高校生達の「喜び」「悲しみ」「驚き」「笑い」、様々な表情がオーバーラップ。高校生1万人のひと夏の青春も終わりを告げようとしていた。

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