⑤私が手術台の上で『みなさん、よろしくお願いしま〜〜す』と大きな声で言った日の前後のはなし=その⑤
あっという間に手術は終わりました。
感覚で言うと5秒ぐらい 笑
この感覚、全身麻酔の手術を受けたことがある方なら分かると思います。
さっき温かく優しい「頑張りましょうね」で送り出されて、5秒後に目が醒める感じ。
何なら、まだ手術終わってない?手術を受けてないかもみたいな、
まさに秒で即。
麻酔明けの世界はモノクロ
これは人によって違うみたいです(わたし調べ)
何となく目が醒めて、ぼやんと視界に入って来た景色は
色のないモノクロの世界でした。
何度かまた少し眠り?目を醒まし?を繰り返しながら、遠く近くに電子音が聞こえ、人々が忙しく動いているような気配、雰囲気。
いつ頃からか、色が戻ってきて。
寒さで命の危険を感じた
実は時系列の記憶曖昧。。
すごく寒くて寒くて、ほんと怖いくらい寒くてまさに恐怖。
身の危険を感じながら足をバタバタし「寒いです、寒いです」と声を出す。
寒いというか、全身が冷たい、全身が冷え切っている。
私はこのまま・・・と、終わりが頭によぎった、実は。
身の危険も何も、さっきまでお腹ぱっか〜〜んしていたわけですから、そっちの方が身の危険です。しかし、それは眠っていた。
記憶がないものに身の危険もなし。
もう、目が醒めてしまっている。
この寒さが手術後マックス怖いポイントでした。
看護師さんが体を摩ってくださり、『体温が戻って来ているからですよ、大丈夫です』(多分)と電気毛布を身体に掛けてくれました。
大丈夫と言われても、信じられません。
経験値が低すぎます。恐怖しかなかった。
少し体が落ち着いてから(時系列は曖昧)
ティッシュはセレブの方がいい
看護師さん?が「ご家族さんに来てもらいますね」と
ICUの外で待機していた家族を呼び入れて下さり。
家族の皆さんとご対面。
ベッドの周りをみんなが囲んで私の顔を覗き込みながら、それぞれの私の呼び方で呼び掛けてくれる。
わたし、いきてる(大袈裟ですみません)
みんなに頑張ったねと言われ、私何もしてないのに笑、涙を流す笑、
息子が枕元にあった(入院準備で持って来たの私)硬いティッシュで私から溢れる生還の喜びの涙をチョンチョンと拭いてくれました(多分)
これ書きながら改めて、、
高級ティッシュを枕元に準備しておくべきであった。
まあまあの頭痛、吐き気、翌朝病室に帰るまでの記憶はあんまり残っていないけど、
この記憶は残っている。
ICUでこんな状態、寝る前の歯磨きいる??これいる?
要らないに一票。
家族のみなさんが教授先生から説明を受ける
(これは後日家族から聞いた内容です)
私とご対面した後に家族たちは執刀医の教授先生から手術後の説明を受けました。
私のお腹の中から取り出した(フレッシュ)少し前まで私のお腹に中にあったそれたちを見せてもらいながらです。
(これ、実に羨ましい、笑)
これが胆嚢で、ああでこうで、リンパ節はこれで、、
第一リンパ節(胆嚢に一番近い場所にあるリンパ節)に炎症があり手術中に簡易検査を行ったこと、その簡易検査で炎症しているそのリンパ節に癌化が認められなかった(=胆嚢には癌はなかったと考えられる目安)
これから詳しく検査を行いますが、「癌化していなかったと考えます。」
家族たちは胸を撫で下ろし、教授に聞いてみます。
スマホ片手に
「これ写真、撮っていいですか?」
教授にダメと言われて、スマホ仕舞う 笑
このエピソードは、実に私の血族らしいエピソードです。
こんなレアケース、記念に残したい 何の?笑
分かる、非常に分かる!あっぱれ!!
私も現物を見たかった。なんなら動画で欲しかった。
いいな家族の皆さんたち。と、今でも思っている。心から。。
2ヶ月間を走った私の手術はこの日で終わりましたが、まだ話は続きます。
手術は終わりましたが、ここからが開腹手術後の苦しみの始まり。
開腹手術は身を切るだけではなかったのだ、そうか。
と、当たり前のことをじわじわ術後に気がついていく様子。
お腹を20センチ以上も切るということは大変なことです。
続きは⑥で。
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