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ロックの思い出 山口富士夫さんの 思い出

山口富士夫さんとすれ違ったのは、2000年前後、高円寺の酔好とゆう居酒屋でだった。


当時、富士夫さんは、元フリクションのチコヒゲさんとのライブの準備のため、高円寺駅前のDOMとゆうスタジオで練習していて、それが終わると酔好へ寄るのが常だった。


僕は酔好の常連だった。



ザ・ダイナマイツ、村八分、ティアドロップス、など数々の日本の伝説的ロックバンドのギタリストだった富士夫さんは、僕にとってロックそのものだった。


ある時店が満員のところに、DOM帰りの富士夫さんが来た。



店を見渡すや一人の客の椅子を掴み、お前邪魔なんだよと、椅子ごと客をひっくり返し、ケンカになった。


ロックンローラーとして最高だったら、富士夫さんが社会不適合者でもどうでもいいことだが、こんな面白いエピソード書かずにはいられない(笑)



富士夫さんはよく、これも伝説のロックバンド、フールズのボーカル伊藤耕さんが当時やっていた、ブルースビンボーズとゆうバンドのドラマーで、DOMで働いていた秋山くんと、伊藤耕さんは当時大麻で捕まって刑務所に入っていたのであるが、その刑務所の耕さんへ、店の隅っこで手紙を書いていた。



その時、富士夫さんも覚醒剤で捕まって刑務所から出てきたばっかりのように記憶しているから、当時、富士夫さんと耕さんは娑婆ではすれ違いだったように思う。


僕が横から手紙を書いているのを見ていると、買ったばかりであろう携帯電話をいじりながら富士夫さんが、お前これどうすんだと聞くので、使い方を教えたりもした。



そんな時、チコヒゲさんはカレーを食いに行ってたりするのだった。

#創作大賞2024
#エッセイ部門

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