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ロックの思い出 ポンさんの思い出


ポンさんとのふれあいは今から10年位前だろう。



僕は当時、膀胱がんの療養中で実家にいて、ニコニコ生放送でDJをしていた。所謂、生主とゆうやつだ。



あまり人気のある放送ではなかった。



ある夜午前3時頃、放送をしていると、ポンですと、ニコニコ生放送特有のパソコン画面の右から左へのコメントが流れた。



ハンドルネームもポンだったので、僕はラフィンノーズのポンさんですかと聞いた。



そうです、とコメントが流れた。


その時何の音楽をかけていたかは忘れたが、ポンさんはそれを遮って、リクエストえーの?ギズム聴こうぜ!、ギズムかっこええやん!、と言ってきた。



僕はギズムをかけた。


ギズムとは、日本のハードコアパンクバンドで、ライブでお客さんに火炎放射するとゆう噂の、凶悪なデスバンドだった。



デスメタルのデスボイスとゆう歌唱法は、このバンドのボーカルの横山SAKEVIさんが発明したものだった。


名盤と誉高いハードコア不法集会とゆうオムニバスに、ギズムもポンさんのラフィンノーズも参加していた。


80年代自主制作のPOWとゆう、2号出た雑誌があったのだが、その共同編集をポンさんとSAKEVIさんはしていたように記憶している。


ラフィンノーズは、メジャーとは契約せず、自分たちのレーベルから音源を発売し、ライブも自分達で開催して、真の意味でのインディペンデント、インディーズだった。


ポンさんは、ラフィンノーズのボーカリスト、チャーミーさんは、バンドのスターだから、自分が裏方をやるんだ、とゆうことを言っていた。ポンさんは社長だった。


パンクで飯食ってますから、の言葉には重みがあった。

僕は、僕にもラフィンノーズの商品を売らせてくれないかと、冗談で言ってみた。



ポンさんは、ええよお、と言った。


電話番号が右から左に流れた。


東京の仕事が多い為、自分は今一人東京に借りている部屋にいる。多分、大阪に会社があるのだろう、会社の電話番号だから、電話してみろとのことだった。


ポンさんは、深夜暫く来てくれた。


ギズムを聴きながら話をした。


偽ポンが現れるまでは。


噂によると、当時の2チャンネルに、僕の放送にポンさんが出没するらしいと、スレッドが立ったらしい。


放送はポンさんであふれた。


後日、教えられた電話番号へ電話してみると、女性にポンの言うことは信じないでください、と言われた。



I can't trust woman.

#創作大賞2024
#エッセイ部門

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