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褒めることが苦手

こどもの頃の記憶

このnoteにも、残しておこう思う。

誰かを褒めることが苦手。
褒めていたつもりでいたのに、
友人や同僚、身近な人からあまり、「人を褒めないよね」と言われることが多い。
『えーっ、ちゃんと褒めているのに…』と思うことがある。
「○○ができていて、凄いね」とか、「○○が○○で素敵だね」とか、言葉で伝えていたはずだったのに伝わっていなかった。

なぜだろう、なぜ、そんな風に言われてしまうのだろうと、ずーっと思っていた。
そして、記憶を辿り小さい頃を思い出した。

そう言えば…
母に、褒められた記憶がない。
認めてもらえたという記憶ない。
そして、「○○をやりたい」ということに対して、否定されるというか、反対されることが
多かったなぁと。

例えば、
小学生の時、テストで「○○点だったよ」と、言った時、「頑張ったね〜」とか、「勉強を頑張ったからだね」とかはなかった思う。
「お手伝いしてくれてありがとう、助かったよ」とか、「○○してくれて、嬉しいよ」と、声をかけてくれた記憶もない。
今だから思うことだけど、認めてもらえたと感じる感覚はなかったんだ思う。


そして、『幼稚園の先生になりたいから、専門学校に行きたい』と言ったとき。
これは、今でも忘れない。
『ダメ!』だった。理由もなく。
だから、「いいよ、それなら、自分でバイト
して、専門学校に行く」と言ったことを覚えている。

これは、意地になって、本当に自分でバイトして専門学校へ行った。


大人になった今でも。。。

大人になった今でも、認めてくれているな〜と感じることはないかもなぁ。
何かと否定から、反対されることから入る。
応援してくれるということはない。
だから、何かしようと思う時は、事後報告。

残念だけど、今まで何か悩んだ時に、
母親に相談するということは出来なかった。
今も、相談することはない。
認めてもらえないから。

認めてもらえた経験がないと。。。

意識はしていないけど、知らず知らずに人を
認めることが出来なかった。
自分にも、他人にも厳しかったんだと思う。
今思えば、「凄いねー」と、言ってたけど、
心の奥で認めていなかったかも。
素直に、相手を認められなかったんだと。
嫌な性格。

「思いやり」「人には優しく」と、思っているし、もちろん大切だと思っている。
心掛けている。
でも、心の奥で底には、何か足りないものがあるんだろうと思う。
きっと、「私を認めて」「私を褒めて」が強かっんだろうなぁと。

だから、「人を褒めないよね」と言われてしまうし、心が伝わらなかったんだと思う。

自分と向き合ってから

自分と向き合い、自分は自分のままでいい。
そう思えるようになってから、他人を認められるようになった思う。
優しく慣れてきたと思う。たぶん。

誰かに「ありがとう」「嬉しい」と言われると、やっぱり嬉しい。
だから、私も「ありがとう」「凄いね」を
素直に伝えたい。

そして、母は不器用な人なんだと思う。
こどもを心配しない親はいないと思うから。
私から、母に優しくしてあげたい。

でも、やっぱり、何かあった時は、事後報告だけど。


自分に正直に
自分に優しく

自分と、人は違う
認めることから




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