2020.10.26(MON)

仕事について。

最近思う事。
私はすでにこの仕事を始めて25年くらいになる。
初めは大学生のアルバイトからだったので、大して何とも思っていなかったし、正直、医療機関というのは大学生にとっては破格の時給の良さだった。
バイトにも関わらず賞与までくれたし、
それなりの融通も常識も当たり前に通ずる。
恵まれた環境で4年間バイトをした後、循環器に就職したのは今思えば当たり前の流れだったかもしれない。
循環器に7年務めた後、結婚して彼の転勤で大阪から東京、福岡へ。
福岡で初めて在宅医療に関わる。
初めはこれまた、そんなつもりは全くなくて
それまでクリニック勤務だったし、一度、病院でDPCの勉強をしようと思っていたんだけど、どうしてか院長に声をかけられて在宅部門へ移動になった。のちに、その在宅部門は院長のお気に入りばかりで固められた悪く言えば、喜び組のような団体組織だったんだけどw。

大阪から東京。転勤で福岡にきた私はそんなことは知るはずもなく
優しい先輩にたくさんの事を教えてもらいながら在宅医療の勉強を仕事をしていた。
在宅医療というのはまだ10年そこそこの点数解釈のわりには、かなり複雑化していて、最近は在宅医療に詳しい事務員というのが重宝されるらしくて
転職しないか?との声かけがありがたいことに結構ある。
福岡で仕事をしているときは、外来と在宅とのどちらの席もあったので、
病院のDPCの勉強はもちろん全くできなかったけど、
私の今のキャリア形成にかなり役に立った5年間だった。

福岡から兵庫へ引っ越してきて、
厚生局の面接を受ける。
というのも、福岡の時に厚生局から指導を受けて
どうもこうも良く分からない組織でずっと気になっていた。
関西へ引っ越してきて、すぐに医療機関へ入職してもよかったんだけど、
ハローワークで求人をみてから翌週の面接にトントン拍子で呼ばれたので
あまり深くは考えないで面接へ向かったら、面接にパスした。

国家公務員がどういう人たちかという事がよく分かった1年。
私は雇用延長は初めから考えてなかったので、1年で終了。
医療機関以外で働いたことのない私にとっては、いろんな意味で沢山勉強になったと思う。

退職してからすぐに今の在宅専門の医療機関に知り合いに紹介されて入職した。3年が経過。
今までは職場にたくさんの人がいた。
もちろん、医者も看護師もPTも検査技師も事務員も。
今の職場はいない。レセプト業務をしているのはほぼ私だけ。
のちに先生が知り合いの人を幾人か採用したけれど、私と同じ業務の人はほぼいない。

職場でいじめられたり、罵られたり、陰口叩かれたりも辛いけれど、
同じ意識下で働く同僚がいないというのはこんなにも鬱陶しい事なのかと気づいてしまってからは、かなり苦痛。

今、私が思う事は。
10代20代で経験したことは、年を重ねてから経験してももう遅いという事。
同じように吸収することは人生で二度と出来ないという事。
経験することは誰にでもできるけれど、若い時に感じたように自分で受け止めて自分のものにすることはもう出来ない。

私は若い時に恵まれていて、勉強したいことはいつも丁寧に教えてくれる先輩がいたし、もちろんダメな事を注意してくれた。
その時は「うるさい、ばばあめっ」と思っていたけれど、今思うと、
そのすべては私の糧となっている。
そんなこと、その時は気づかなかったし気にもかけなかったけど。

だから、自分は恵まれていたんだなということ。

今はいろいろと思うこともあるけれど、
いままでの私の仕事人生は恵まれていたんだよね、きっと。

「やる気になればなんにでもなれる」というけれど、
やっぱりそれはそうじゃない。
当たり前だけど、最近そういうことに気づいた。
悲しいけれど気づいてしまった。

あとどれくらい仕事ができるのか、最近は健康に自信がないのでわからないけれど、もうすこしは先の見えないまま頑張っていこうかなとぼんやりと思う。

それが幸せだと思えるまで。

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