乙女ゲームやってヒロインに負けた話(『ピオフィオーレの晩鐘』オルリリについて)

『ピオフィオーレの晩鐘 -Episode 1926-』

オルロックルートのハナシ

※これまでの経過


※ネタバレ注意

前作。物語の舞台ブルローネで血みどろの騒乱に身を投じ、辛くも「教国」の庇護下に逃げ延びたヒロイン・リリアーナとそのお相手オルロック。

そんな二人がようやく手に入れた平穏な日常――続編『1926』はそんな一幕からスタートする。

「教国」の子どもたちを世話しながら、慎ましくも穏やかに過ごすリリィとオルロック。これには思わずにっこり。なんといっても前作『ricordo』はその大半が「隠れ家で息を潜める」or「手のかかる老鼠との陽気な日常」で占める割合が9割に及んだのだ(※筆者の体感です)。こちらとしても感慨はひとしおである。穏やかオルリリ。いいじゃないの。

先に前作を「過酷な運命に翻弄された二人が辛くも逃げ延びた」物語と評したが、考えてみれば二人が結ばれたのはそんな運命あってこそ。うんうんよかった。これはもうさすがにあとはファンディスク的ほんわか展開だろう。油断慢心、前作の終始キナ臭い展開により私の嗅覚は死んでいた。ある晩、不意にオルロックから呼び出され「きゃっプロポーズかしら」などと浮ついた我リーナをオルロックは一蹴、告げられたのは会社からブルローネ転勤の命が下ったとの相談であった。

オルロックの上司エミリオ。幼い風貌ながら微妙に野太い声が癖になる、教国の聖職者兼中間管理職の苦労人である。

このエミリオという男、裏でなにやら暗躍していたかと思えばふらりと二人の前に姿を現す。他ルートをおやりになっている乙女各位からすれば「また出たよ」というところだろうが「オルリリのリリィ」に憑依プレイしている私にとってはその神出鬼没ぶりはなかなか驚異的であった。高貴さゆえ夜間でも発光する体質も相まって出くわすたびにリリィより先にガチめの悲鳴を上げてしまったのはいい思い出である。「銃声」「オルロックがコートをかけてくれた路地裏に響いた雷鳴」と並んで「エミリオ」は三大・我リーナの寿命を縮めるピオフィびっくりポイントとして数えられている。

閑話休題。とにかく、教国になんだか根が深い彼からの勅命である。なにやらオルロックの後任たる使徒(候補)が不穏な動きをしているのでうまいことやってくれとかなんとか。あんまりだ。かくて二人はあの惨劇の舞台に舞い戻ることになるのであった。

『1926』はオルロックが過去を清算する物語である。

1つは「使徒」という過去。オルロックにとって、かつて身を投じた主のため率先して血を浴びるその生き方は、同時に幼いころのかけがえのない思い出と結びついていた。ゆえに悔い、反省し、回心する、ただそれだけで解決する過去ではない。それはオルロックという青年の生を根源から否定することになってしまう。
もう1つは「ブルローネ」での出来事。前作、作中のメインキャラクターの一人を手にかけたオルロック。そのときに誓った「罪を背負う」という宣誓は、今作で、その行いを糾弾する他者を通じて試される構図となる。

オルロックが、この2つの過去と向き合い折り合いをつける過程において、ヒロイン・リリアーナは「聖女」として立ち会っている。立ち会っている。大事なことなので二回申し上げた。立ち会っているのだ。私見であるがリリアーナは「立ち会っているに過ぎない」。ここに私はオルリリの尊さを見る。

本作は乙女ゲームである。女性向け恋愛ADVである。プレイヤーには、リリィとして重要な場面の選択肢が委ねられている。オルロックのパラメータを刺激する選択肢、リリィの回答は終始一貫して「大丈夫」を伝えるものだ。「ああして」「こうして」をリリィは求めない。「私は大丈夫」「私はあなたを応援する」だから「あなたはどうしたい?」と、リリィは言外に、オルロックに伝え、導いている。私は驚いた。乙女ゲームのヒロイン様がこんなにも自分を押し殺すものかと。すぐのち慄然とした。これ、分かってやっているのだとすればこのリリィという女は只者ではない。その言動はもはや聖女と形容するほかあるまい。「鍵の乙女」を襲名しているだけある。

物語の佳境。オルロックは、リリアーナに危害を加える恐れがあると認めたある男に、「容赦なく」凶刃を振り下ろす。それまで、前作から通じて「人を殺すことはいけないこと」を学び、罪を背負い、迷いながら生きることに光を求めたオルロックが、最後に下した決断。直後、リリィを振り返るオルロックの迷いのない笑顔を、私はたぶん一生忘れない。

オルリリは尊い。

この感想は本音である。本音であるが、私は、振り向いたオルロックの笑顔も、それを受け入れ陽光のなか言葉を交わすリリアーナも、なにもかも分からなかった。いや分かる。二人がどうしてここにたどり着いて、なぜ笑顔で、このときにこそ愛を誓うのか。分かるから分からない。

「リリアーナは聖女」と表現するのは私なりの決別である。『ricordo』のプレイから日が経っていたことも、少なからず影響していただろう。私はリリアーナ・アドルナートとして、命を救ってくれて、右も左も分からないくらい純粋な青年に恋をしていた。そんな私が甘かった。リリアーナはオルロックに恋をしているかもしれない。けれどそれはかっこいいとか強いとかそんな陳腐なことではない。リリアーナは、オルロックという青年の、存在そのものを愛したんじゃないか。「存在そのものを愛する」という表現こそ陳腐で恐縮だが、それ以外に表現が見当たらない。

振り向いたオルロックを見たとき、正直、私は躊躇った。語弊があるかもしれないが、人を殺すことに、もっとためらいを見せるオルロックでいてほしかった。けれどリリアーナはオルロックを温かく迎えた。それは、当然、「助けてくれてありがとう」もあろうけれど、そうでなくても、リリアーナはきっとオルロックを肯定しただろう。すべてを受け止めるのだろう。この場面で、決定的に、私(プレイヤー)とリリアーナは引き剝がされた。あとに残された私はヴェネツィアに訪れたなんだか可愛いカップルを、なんでもない星空を眺め、本当に幸せそうな二人を、何の関係もないのにこれからも幸せであれと願ってしまうバールの店主の気持ちで見送る。そんな気分である。

オルリリは、尊い。これに尽きる。逆にこれ以上の感想はないのだ。

残念ながら、私に「オルロックくん素敵」とかいう資格はない。どこまでいっても「オルリリ最高」。問題はこれをプレイさながら気づかされた、あの衝撃である。こちとら入り込んでいた。そう思っていたらリリィに全部持ってかれた。そんな感じだ。私はプレイヤーであるにもかかわらず、ヒロインの座をリリアーナ・アドルナートに奪われたのだ。こんなに悔しいことはない。

乙女ゲームの過酷さたるや。

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