世代
私はオカシナサンニンというアコースティックのユニットをやっている。
そもそもそれぞれ別々の音楽活動をしていたので、1年に4回くらいしかライブをしないゆるやかなユニットだったが、メンバーの一人が父親となり「育休だね」とライブの頻度を年に1回にしていたところでコロナ禍がやってきて、ほとんど何もやらない2年間を過ごした。
時々集まっては近況報告をしつつ、ハイスタとかブラフマンとかRATMとかのライブ映像を観て、それからニールヤングの話をしたりしながら、今度カバーするのはこの曲がいいと音楽を聴かせ合う。もはや音楽活動というよりは、友達の家で遊んでるだけやな。笑
ゆとりとかさとりとか、自分たちが敷いた教育制度の賜物をバカ扱いしてくる大人たちを睨みながら、でも別に関係ないし、俺らは俺らだし、と自分の楽しいことを見つけて遊んできた私たちの世代。
8年前にはそんな歌も作ったけれど、今はすっかり私たちも大人なので、冷めてばかりはいられない。
“今”の歌を、今年は作りたいと思ってる。
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市民運動の中では、世代を超えてとか、世代交代とか、世代が話題になることがよくある。
私は3.11の後に初めてデモを目の当たりにして、人々の怒りの強さに泣いてしまいながらも自分もやらなければならないと思ってやっとの思いで立っていたところから、市民運動というものがあることを知り、今に至る。
その中で、世代というのは交代するものではなく、引き継ぎながらアップデートしていくものだな、ということに気づいた。
これまでずっと、長い間様々な理不尽と向き合ってきた人たちが、もうほとんど70歳を超えている。
数年前にはまだなんの気負いもなく好き勝手に意見を述べるだけで何かをやっている気分を味合わせてもらえたのだけど、今私はもう少し責任を持っていろんなことをやっていけるようになったし、やっていかなきゃいけないと思っている。
引き継ぎながらアップデートしていく。
最近それが少しずつ、形にできる兆しが見えてきた。
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生き延びて会いたい人がたくさんいるので、みんな生き延びてください。
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