これからやりたいこと

小学校の卒業文集に、『将来は保母さんになりたい』と書いていた。
当時はまだ、その呼び名がこの職業を表すものとして一般に使われていたんだよね。そのあとすぐに保育士が主流になったとは思うけど、社会の中にある常識とか価値観て、10年20年でだいぶ変わるよなと思う。

小学生の頃は、23歳で結婚して子どもを9人産んで家族でサッカーチームを作りたいと思っていた。
せめて小6では性教育がちゃんとされていないと怖いな、と今なら思う。
やたら貞操観念の強いまま20歳を迎えた後で、突然目の前に様々なコンテンツが溢れていることを知り、結婚どころか付き合ってすらいなくてもみんな普通にいたしてらっしゃることを知らされ、セックスって子どもを作るためだけにするものではないんだ、と初めて気付き衝撃を受けすぎて世の中が怖くなったのを覚えている。
大人の言うことなんて嘘ばっかりだった、と思った。
性教育は重要だ。同意の話とかは、中学生でやってほしい。と今なら思う。

中学生になるとテレビドラマの影響を受けまくって、将来は弁護士か裁判官か検察官になりたい、そのために勉強しなきゃ、と思っていた。
刑事ドラマも好きで見ていて推理していく段階は好きなのだけど、証拠が揃って逮捕されていく人を見てはぁ良かったとは思えず、刑事には憧れなかった。
当時は犯罪心理学に興味があって、罪を犯す人の生育環境や犯罪を犯したときにその人が置かれていた状況や人間関係とか、社会情勢とか、そういうのを一旦考え出すとどうしても「自分にも可能性があるよな…」と思って考えるのをやめられなくなった。

9.11のあと、アメリカがアフガニスタンに空爆をすると決めて、日本がそれを支持すると言い出した時に、私は初めて「は?ふざけんな、やめて」という思いを日本政府に伝えようとして家のパソコンから内閣府かどこかにメールを送って、それが親にバレてなんか怒られた。
当時の朝日新聞に現地に行って話を聞いて回っているICUの学生の記事を見つけて、私はその人から現地で生きる人たちのことを教えてもらい、自分と同じように学校へ行ったり好きなことを見つけて遊んでいる同い年の人たちの頭の上に爆弾が降ってくることを想像して怒りながら怖くて泣いたりしていた。

カナダでは12歳の少年が、児童労働をなくすために団体を立ち上げたりしている。
子どもだって何でもできるはずなのに、私は、何にもしていない。
どうしたらいいかわからないし、親はもちろん、先生たちに聞いてもわからなかった。
もっと友達と深い話をしたら良かったのになぁ…。

私は今すぐできることは自分にはない、勉強しなきゃ、と思って大学に入ったけれど、恵まれた環境で勉強して就活して働いてしまいそうな怠惰な自分に気付いて、なんか違うなと思ったし、世の中のことを知らなすぎるのでぬるま湯から出なければ!!とちょっともう強引な思考回路で、大学を辞めた。

バンドをやっていて出会う人たちの、音楽を通してのみ繋がる感じ、私の周りに長らくあった偏差値教育とか学歴がどうとかいう価値観の一切ぶっ飛んだフラットな空間に身を置いて、やっと人生が始まったと感じた。

3.11は、再び私を社会の中に引き戻したけれど、私は自分のやるべきことがよくわかるようになっていた。

知らなかったら学べばいい。
理不尽には声をあげる。
誰かの思惑ではなく、自分の意思で行動し、考えて、決める。
一人で大きなことはできなくても、誰かと一緒にやれば、一人でやるより面白いことができる。

自分が自由に生きることを選択して初めて、他人の自由にも本当の意味で興味を持てるようになった。他人にも思いや考えがあり、それは、話をしなければわからないものだと知った。
そんな当たり前のことに気がつくのに25年くらいかかった。

再び保育に目が向き始めて、3年間いろんな保育園で働かせてもらい、やっと受験資格を得て保育士になった。
30歳の誕生日に証書が家に届いた。

今は毎日のほとんどの時間、保育のことを考えている。
子どもたちと過ごす毎日があまりにも最高なので、どうしたって今の社会の理不尽を少しでも多く取り除いておきたいなと思うし、それぞれが自分を出して伸び伸び生きられるようにしたいなと思う。

社会の中にある常識とか価値観て、10年20年でだいぶ変わるんだよ。
変えられるんだってことを、私は知ってる。

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