20191214 「扱いやすい人」
大学時代の友人が静岡にやってきてくれた。
彼女とは通っていた大学も違うのだけど、当時入っていたバンドサークルの合同ライブで知り合った。
打ち上げの飲み会でたまたま隣になって話して連絡先を交換して、それ以来3年に一度くらいのペースで食事に行っている。
今度、共通の知り合いがライブをやることになって、一緒に行きませんかと誘ったところから久しぶりに連絡を取った。
聞けば静岡に一度行ってみたかったということで、エスコートを買って出た。
「一人で行動するのが好き」。
そう話す彼女は、身軽に待ち合わせ場所に現れる。
今回会うことになったのは、実に簡単なやり取りの結果だった。
「ぜひ静岡きてください。案内します」
「いいですね。12月比較的余裕ありますよ」
「では、●●日か××日は?」
「●●日で!駅まで行きますね!」
これだけだ。
当たり前のようだけど、簡単に日取りを決めて会えるというのは、奇跡に近い。
知り合いのたくさんいる東京を離れて思うのは、人のフットワークは案外重いということ。
「いつか行くね」とよく声はかけられるけど、たいてい来ない。だいたいこっちから行く。
いつ会おうとスムーズに日が決まり、本当に会う。
慣れない土地で一人暮らしをする身として、それに応えてくれる知り合いの存在は暖かくて、ほんとうにありがたい。
1日かけて、美術館をいくつか巡った。
こちらを変に気に掛けるでもなく、でもなんとなくお互いの歩調を合わせながら、言葉少なにぷらぷらと。
特別親しい友人でもない。気の置けない幼馴染でもない。ましてや恋人同士でもなければ、彼女の恋人のことなど知らない。
でもすごく居心地がいい距離感。
日取りを決める時のスムーズさからなんとなくわかっていたけれど、それってたぶん、彼女が「扱いやすい」人だからなんだと思う。
都合のいい女、とか、そういうことでは全くなくて。
こちらの投げかけに、安定したテンションで返事をくれる。
好きなものが一貫していて、こちらから次はどこへ行こうかと提案しやすい。
彼女と話すことで、こんな話をしてこんな気持ちになれると想像がつくこと。
時には想像を超えたワクワクをくれる人が恋しくなる。
でも、たとえ想像の範囲内だとしても、予想したものを予想した通りに分かち合える相手というのは、かけがえのない存在だ。
彼女にとっても、僕がそういうふうな「安定した」存在だったらいいなと、考えたりする。
恋心ではないけれど、一緒に過ごすならこういう人がいいなぁ、とか、まだ見ぬ未来のお嫁さんに思いを馳せたりもする。
帰りは東京のほうまで車で送った(ついでに今夜は僕も東京の実家に泊まるよ、なんて調子のいい理由をつけて)。
好きなアーティストの話題になって、僕の大好きなシンガーの名前が挙がったから、5月に東京でライブがあることを教えた。
彼女は事も無げに、
「じゃあよかったらチケットもう1枚取っておいてくれませんか」と笑う。
ピンポイントで埋まった半年先の予定。
お互い仕事もあるけれど、この予定は絶対にドタキャンされないだろう。
そんな確信が、心の中を少しだけくすぐる。
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