今バズっているあのnoteを読んで思ったこと

こんばんは
あのブログを読んで思ったことをつらつら書いていこうと思う
誰かに伝えたいというより、自分でおもったこの感覚を文字に残したいと思って急にPCと向かい合っている。

そのバズっているあのnoteというのはこれだ

これを読んで思い出したのは、大学時代のことだ。
女子高から理系大学に入った私は、男女比が急に変わったことにワクワクを覚えていた。
中学は共学に通っていて、そこまで男子に苦手意識もなかったし、仲良くもしてたほうだし、何より全く恋愛という文字から遠かった高校時代を取り戻したかったのかもしれない。
少女漫画が好きな私が恋愛できらきらしてた日々にあこがれを持っていた。
高校時代がキラキラしていなかったかというとそれは違う。友達も多かったし、一生の友達にも会えたし最高の日々だった。ただ恋愛をしてなかっただけで。
そんなこんなでまあワクワクしながら大学に入学していった。

もちろん好きな人もできたし、彼氏もできたし、友達もたくさんできた。
私は楽しい大学生活を送っていたと思う。
好きなことを好きだといえる部活でいい人に出会ったし、それなりに好きな分野の勉強もできて、学部卒ながら楽しく研究もできた。(学部レベルではあるが…)

大学時代の違和感に気づいたのは、社会人になってからだ。
エンジニアとして入社した私は、第一希望の部署に入れた。
ここでの男女比は私一人だけ女だった。
にもかかわらず、今まで高校時代以来、自分が女だということを忘れるレベルで人間として生きているなあと思った。
これは周りの人がとてつもなく、気を使っているし、そのうえで3年でお互いを知っていき、関係を築いて行けたと思っているからだ。
この当たり前のように人間として関係を築けたから、私は私が過ごしてきた大学生活に違和感を持ったのだ。

とてもよくないことだが、
「あの女の子抱きたいんだけど」
「あの女はないよなあ」
とかそういうくそみたいな下ネタを言っている場にも参加していた。
お酒が入っていた、いないかかわらず、常日頃大学生男子と一緒にいて、一緒に参加してしまっていたあの空間をとても恥じている。

だから「ノリ」や「みんな」や「欲求」を、目の前の繊細な心より優先させてしまう。

今思えばこれだったし、私に傷つけられた人もたくさんいたと思う。
たぶん今も仲良くしている大学時代の同性の友達は私が仲良くしている男子と一緒にいないほうがいいよと言っていたのはこれも一因ではないのかなと思う。

社会人1年目の時、お互い気を使ってちゃんと人間としていられる環境を気づいた後に、大学の部活の集まりに参加した。
そこにはいつものように、セクハラされている後輩の女の子がいた。
その子に私は、
「セクハラされているこの環境に慣れてしまってはダメだよ」
となんと偉そうにそんなことを言っていて
「ほかの女の子がされたら怒りますけど、自分がされるならもういいやって思ってます」
確かこんなことを言っていたと思う。
その瞬間私は、こんな環境をそのまま引き継いでごめん。そう思ってしまった。
その子がいたポジションは、私がもともといたポジションだった。
客観的に見れば私もこんな感じだったのかなと思った。
そんなことないですよと笑って流し、同調していた。
男子が笑って下ネタを当たり前に言って、それを受け入れるこの環境が本当にくそみたいな環境だったんだなと。
中学のころと変わらないむしろオープンになったくそみたいな環境が今も普通になっていると思われるあの部活が変わることはあるのだろうか。

社会に出て、共通の友人とあの男子たちがセクハラで訴えられそうだよねって話したことを思い出す。
だけど男子たちは今も普通にセクハラなどもせずに、社会の歯車として回っている。
そんなあの男子たちが何も問題なく、普通に歯車として回っていることを願っている。

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