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当事者は、誰だ

今朝の、中国新聞一面記事。

別面でも解説記事がありました。

記事の書き方や専門家などのコメントからは、完全に「悪いこと」として扱われています。それは「あるべき姿ではない」と。企業が障がい者法定雇用率をお金で買うために代行ビジネスを利用している。そこだけ見れば、決して「良いこと」ではないでしょう。障がいを持つ方々が企業の所在地から離れた農園に集められ、農作業を行う。しかしその大半が休憩時間だったり、収穫された農作物は販売されるわけではなく、企業の社員や障がい者へ配布されるだけ。給与は10万円以上あるとはいえ、そこには障がいを持つ人たちの働きがい、やりがいなどは置き去りにされています。

それでは「社会の役に立っている」という実感は生まれない。「働く」という本当の喜びを手にすることはないでしょう。私たちの事業所では、製作している珈琲がイベントで売れれば、売り上げ金額を発表するし、SNSでレビューや感想をもらえれば、みんなにシェアします。自分たちの作っているものが誰かに買ってもらったり、喜んでもらっていると知ると、みんな嬉しそうです。その表情を見るたび、この体験こそが働く悦びなのだと実感します。その視点からみれば、この代行システムは「良くないこと」でしょう。

ただし、それは、ただのひとつの見方でもあります。「当事者の立場」で変わることも知ってほしいのです。

記事にあった唯一の「賛成」は、知的障がいのある子どもの親御さんの言葉でした。「障がい年金だけでは生活できない。良い話だと思う」と。親の立場なら当然そう思うでしょう。
しかしそれは、さらっと一行だけ。記事見出しに「賛否」とあるにしてはあまりに偏った構成だと感じました。果たして、この記事の当事者は誰でしょう?

例えば、我々のような障がい者就労支援施設B型の賃金は平均で月に1万6千円ほど。障がい年金と合わせても10万円前後にしかなりません。親としては、親なきあとに生きていけるのかが最大の不安です。「この子を置いて先に死ねない」障がいのある子を持つ親、特に子どもが成人して高齢になってきた親御さんには切実な問題です。もし給与で11~13万円もらえるなら、「働く悦び」はないとしても、ひとまずその心配はなくなるかもしれません。悦びかお金か。どっちかをとるなら、生きていくために必要な「お金」です。同じ境遇の私からすれば、障がいを持つ子が生活できるほどのお金を手にできるなんて、涙がでるほどありがたい話です。

そして恐れずに言わせてもらうなら。
社会、法律、企業、ビジネスの視点でみれば、専門家の方や記者さんからは否定や批判一色の記事ですが、しょせん貴方たちは「当事者」ではない。それぞれの立場の当事者から、もっと深く真相を取材し、発信するべきです。

当事者の一つ、企業からすれば、
法的雇用率に則り障がい者を数人雇うには、彼らにできる仕事やサポートできる支援員を用意しなければなりません。精神障がいや発達障がいを持つ方を受け入れるには相当の準備が必要なのです。簡単ではない。でも法は遵守しなければならないし、障がい者の働く場所は作りたい。だからその受け皿として代行業を利用してしまう。雇用率を金で買うのではなく、苦渋の選択である企業もいるはずです。十把一絡げではないと思うのです。

さらに私たちのような、利用者さんを企業へ送り出す側としては、雇用率を満たすために障がいを持つ方の受け入れや支援体制が無いまま、雇いいれた場合に起こることへの怖さがあります。
企業では障がいへの知識や対応がわからずに彼らを傷つけ、追いつめる。結果、職場で孤立し、鬱になったり、精神が破綻して障がいや病気がもっと酷くなってしまう。そうしてまた私たちの元に帰ってきたり、入院したり、最悪は命を絶つケースもあります。だとしたら、雇用率に囚われて安易に雇って欲しくないと思うし、無理に就職する必要もないのではと考えます。

ではどうしたらいいか?
簡単に解決する課題ではないですが、私からは二つ。一つは企業の受け入れ体制に対しての国からの支援の強化。障がい者雇用に付随する支援員の配置補償が必要だと思います。
もう一つは、一般企業に勤めなくても生きていけるだけの障がい者就労支援施設の賃金向上。そのためには、もっとビジネス感覚を導入した福祉事業所による売上アップが必須です。これも簡単ではありません。まさに私たちはそこを目指して日々努力し、アタマを悩ませているのです。

長文になったのでこのへんで(笑)

エミリィサンキュー。

就労継続支援B型エミリィプラス
代表 中満健


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