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西加奈子「くもをさがす」


本書は、乳癌を経験した作家の体験記であるが「感動ポルノ」ではない。
非常にテンポ良くサバサバと事が進んでいく。
事が事だけに勿論、著者の不安や葛藤も描かれているが、同情や感動なんて求めてないのだろう。
湿っぽくなく正直に書かれている事に、同じ乳癌サバイバーである私は救われた。

もし読んでみようか迷ってる方がいるなら、
「大丈夫。読んでも貴方の選択を混乱させるような事は書かれてない」
「大丈夫。読んでも恐怖や不安を煽ったり涙腺を刺激したりもしてこないから」
と教えてあげたい。

ただし、舞台はコロナ禍の海外。
日本の病院とあまりに違い過ぎて参考にはならない。

それでも、たくさんの共感を感じ取ったし、励みにもなった。

中でも印象的だった話がある。

名前の話。
病院ではありとあらゆる医療行為の度、本人確認の為に名前を名乗らされる。
そして、日本の病院ではありえない事だが、患者を間違えたりもするようだ。
著者は、この名乗る行為、人間違えされ自分が誰なのかを訂正する事により、どこか他人事だった己の身に起きている事が、我が事として感じられるようになったと言っている。

その場面を読んでいる時、私は泣きながら笑ってしまった。

結婚、出産を経験し、殆ど専業主婦状態だった私は、日常的に使うのは夫と娘の名前ばかりで、自分の名前がどんどん影が薄くなっていく感覚にゾッとしていた。
数年ぶりに働き始めた際、必要な書類を記入していても、自分の氏名が直ぐに出てこない。
うっかり夫の名前を書いてしまいそうになり、その時は笑い話として消化したが、けっこうショックだった。

そんな私が自分の名前を取り戻したのは、他でもない乳癌によるものが大きかった。

日本の医療現場も同じで、検査や治療の色々な場面で、本人確認が行われる
「(氏名)です。
(生年月日)生まれです」
これを繰り返す内、だんだんと自分という存在の輪郭がハッキリしてくる感覚があった。
ただし、乳癌サバイバーという属性も付いてくる。一生なくならない厄介な属性だが、気づけばそれは私と言う人間を作り上げる一つの重要な要素になっている。

「皮肉なものだな」そう思ったら、何だか笑けてしまって、でも二度と乳癌ではない自分には戻れない事実に泣けてもきてしまった。

著者には是非とも続編を書いて貰いたい。
乳癌は再発転移のある病だ。
何年経とうが、乳癌サバイバーから再発転移への恐怖がなくなる事はない。
キャンサーフリーになり、日常を取り戻し、知らない人から見たら健康な人にしか見えなくても、乳癌サバイバーはずっと闘っている。
この長い闘いの日々をどう過ごしているのか、どう書くのか聞かせて欲しい。と願ってしまう。