見出し画像

ハッピーキャンパスライフ 6 【嵐山】




たった一瞬、泣きそうな顔をするだけで、泣かない。
そんな彼を見てると自分のことを見てるみたいで苦しくて、胸の痛みを誤魔化すために嘘をつくような笑顔が浮かぶ。こんな時なのに、私ダメだな。笑顔に笑顔が返ってこないことすら不安になって、返答を待ちきれず先に声を出した。

「久しぶり」

何かを言いかけて、やめて、彼がそっと力を抜いて手が離れる。

「ごめん。連絡もせずに…こんな時間に1人で出歩かせてしまった」

あまりにも思い詰めた顔をしていたから、大丈夫って言葉を飲み込んだ。誠実な思いに簡単な言葉で返事をする気になれなかった。

「今日は、もう帰ろう」

言葉の後ろに見えた切ない気持ちが、会えただけで浮かれてた私の心を少し遠くに追いやる。
たしかに、今はもう2人で映画なんて観れるような関係じゃなかった。一度だけ頷いて、街の方に背を向けて歩きはじめる。

相変わらず会話もなかなか始まらなくって、どうしようもなく息苦しい。でももう、自分の心を自分で締め付けるのはやめるんだ。今は彼がどんな気持ちでここにいるのかを、しっかり考えてあげたい。

繁華街を外れて人の気配が少なくなるに連れて、沈黙がより際立った。隣を歩く彼の手を、一度だけでも私が繋いで歩けたら…どれほど良かっただろう。
でも彼はそんなつもりで今日、来てくれたわけじゃないんだ。ただ優しすぎて一度した約束を破れなかっただけ。こんな私のことをまだ、見捨てることができないだけ。私がその優しさに甘えすぎてしまったせいで、この前はお互いに傷付け合う結末となってしまった。今日はもう最後だから、思い残すことがないように、改めて気持ちを伝えよう。
そう決めたのはいいものの、初めの言葉がなかなか出せず、思い悩んでいるうちに気が付くと家の近所のよく知ってる道を歩いていた。
団地の近くにある小さな公園の前までくると、彼はピタリと足を止める。一歩遅れて、私も立ち止まった。

「本当は今すぐ家まで送り届けてあげるのが正しいことだって、わかってるんだ」

いつもより覇気のない声でそう言い、ずっと俯きがちだった顔をやっと上げる。

「でも30分だけ、話をさせてほしい」

私の目を捉えた瞳に真剣な光が宿っていて、目が合っただけでなんだかどうしようもなく懐かしい気持ちになった。

「うん」

正直、その話を聞くのは怖い。でもちゃんと向き合って彼の本音を受け止めたいし、そのためならもう傷付いたって構わない。

背もたれのないベンチに並んで座ると、彼は膝に置いた拳をぎゅっと握り締めながら地面を見つめた。緊張して強張っている顔が何だか似合わなくって、つい笑っちゃう。

「えっと…何か付いてるか?」
「緊張してる?」

私がいつもの調子で聞けば、彼も少し表情を緩めて困ったように笑った。

「するだろ、普通に…」

だよね、普通の人だもんね。
そういえば食事に誘ってくれた時もこんな感じだったし、嵐山って意外と緊張しやすかったりするのかな。テレビのインタビューとか本当にちゃんとできてるんだろうか。君がテレビに出てるとこ、わざとチャンネル変えて見ないようにしてるから知らないけど。
嵐山は少し笑って緊張がマシになったのか、ふぅ…と短い息をついてから、顔を上げて、目を合わせる。

彼の瞳の中で煌めく光。よく見るとそれは、私の形をしてた。

「俺は、君のことが好きだ」

風に吹かれて、木の葉がさぁっと音をたてて揺れる。

「自分がこんなことを言える立場ではないことも理解してる。今日が終わったら全部、嘘にしてくれたって構わない」

街灯の光がスポットライトみたいに当たって、地面に私達の影が伸びていた。時間、景色、音、夜の匂い、丸ごと心の中に落ちていく。もうきっとこの瞬間を忘れることは、永久に出来ないだろう。

「ずっと、君と一緒にいたい…」

嘆くような声が空気に溶けて消えていく。あまりにも予想と違った展開に、呆然としてしまって何も言葉が出てこない。
彼は私の反応を窺いながら話を続ける。

「今まで自分のことは何だって投げ出して、手放してきたんだ。何を天秤にかけたって『これでいい、間違ってない』って思えた。でも君だけは…どんなに頑張っても諦めがつかなかった」

泣きたい時に泣く、そんな簡単なことが出来ない自分が嫌だった。でも嵐山は、1人で泣くことすら出来なかったのか。
今まで彼が、誰かのために自分から切り離してきたものは一体いくつあるんだろう。私はそんな彼のために、何ができるのだろう。

「ずっと傍にいられないなら、これ以上寄り添うべきじゃないって自分に言い聞かせても、君と一緒にいるとそんな自分の声も聞こえなくなって…ただ楽しくて、居心地が良くて…もっとこんな時間が続けばいいなって、どんどん欲張りになってしまうんだ」

ずっと誰かに貰いたかった気持ちを、他でもない彼がくれる。でもその声はどこか苦しそうで、自分を責めるような言葉を選んで使っていた。どうしてそんなに、自分の気持ちを独りよがりみたいに扱うんだ。もっと自分を大事にして欲しい。でもそう言えなかったのは、自分にも心当たりがあったから。

「君は俺に恩を感じてたり、友人の1人として好いてくれて、一緒に居たいと思ってくれてるのかもしれないけど…俺は違う。もうずっと前から恋愛感情を持って君に接してた。でも勇気が無くて、言えなかった」

言いたいことはあるけどまだ口は挟まず、彼が声にしなかった分の気持ちを汲み取るため想像力の手を伸ばしてみる。
彼のことだから、行使したのは自分を守るための勇気じゃなくて、私を守るための勇気なんだ。
だって恋人同士とはいえ、「ずっと傍にいられない」なんて人と人が関わる上では言うまでもない当然のことだ。誰もがそれを見て見ぬフリするけど、彼がそう出来なかったのは相手が他の誰でもない、私だったから。彼が、たった一人の嵐山准だったから。

「他の人なら当たり前に一緒に過ごせるような時間も、俺とでは簡単に手に入らない。きっとたくさん寂しい思いをさせるだろうし、また君を1人にさせてしまう日がくるかもしれない」

降り始めの雨のようにぽつぽつと、彼の口から言葉が落ちる。それは本当に“かもしれない”に過ぎないのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

「…だから、一時の感情ではなくて…君の将来まで見据えて決めてほしい。お互いにとって、大事なことだから」

嵐山は、どうしてこんな風に考えるのかな。私の気持ちはどうすれば彼に伝わるだろう。彼が今見据えてる将来に私はいるのだろうか。わからないことが多すぎて私の中で大渋滞を巻き起こす。でも言わなくちゃいけない言葉が使命感に駆られてパッと飛び出した。

「もしも私たちがお互いに傍にいてほしい時、一緒にいられなかったとしたら…気持ちは離れてしまうかな。私は、他の誰かに嵐山の代わりが務まるとはどうしても思えない」

また風が吹いて、視界の端っこで葉っぱがひらひら舞い落ちる。でも、それどころじゃないの、今。

「嵐山のことが好き。君が伝えてくれたのと、“同じ好き”だよ」

風の音が遠くて、心臓の音が近かった。もうこの気持ちは、頭で整理整頓して考えるよりも直接声にする。

「ずっと言いたかった。あの日、家に呼んでくれてありがとう。一緒にご飯を食べてくれてありがとう。私の世界を素敵な色で満たしてくれて、本当にありがとう。
嵐山は誰かを守るためだけの存在じゃない。情けなくても、頑張れなくても、何も救えなくたっていいんだよ。君が手を差し伸べてくれたから、私は諦めないでいられた」

それは、もちろん今も。
見逃してしまうくらいの一瞬、彼が瞳を揺らす。でもすぐにぐっと押しやって、自分を戒めるみたいに言った。

「君がどれだけ俺のことを、ただの嵐山准として見てくれたとしても…俺はボーダーの人間だ。何かあった時には最前線で戦って、死ぬ覚悟だってある」

今までその覚悟は私に見せないように、何度も我慢して言葉を飲み込んでくれてたんだろう。世の中には知らない方が幸せに過ごせることがある。でもそうやって作った幸せは、足場が悪いから簡単に崩れてしまう。嵐山は本当に真剣に、私と向き合ってくれているんだ。

「…誰かのために死ぬことを正義だと思ってるわけではないし、そう簡単に倒れるつもりもない。ただ、この仕事をする限りは俺より先に誰かを死なせるわけにはいかないんだ。目の前にいる知らない人を守って死ぬことと、君のために生きることが天秤にかかっても、俺は前者を選ぶと思う」

それは今日かもしれないし、明日かもしれない。数十年後だとしても、きっとこの道の先に待ってる未来の話なんだ。
そんなの嫌だから何がなんでも生き残って欲しい、本当はそう言いたかったけど…それ以上に、彼の意志を受け入れたいと強く思った。だって私と出会うずっと前から、君はそうするって決めていたんだよね。

「それでもいい。どんなに傷付いてもいいよ。きっと嵐山は一緒に傷付いてくれるから、寂しくない。1人になる時も、一緒に1人になろう」

きっと幸せに手を伸ばすのは、不幸に耐えるより勇気がいることだ。恋なんて諦める方が絶対楽なんだもん。

「私たち2人で、幸せになろう。大丈夫だよ、絶対なれるよ」

好きって気持ちだけで人は一緒に居られない。それなら、どうすればいいのか二人で話し合って考えようよ。こんな風に、公園のベンチに座って。

彼はすぐに返事をしない。ただ何も述べずにゆっくりとこちらに向かってくる手を見つめるだけの時間。
風がやんで、街灯に照らされて光る地面の上で、私たちの影が重なる。彼の体温が伝わって、耳を澄ませば心音が聞こえて安心した。あぁ、夜の公園なのに嵐山の家の匂いがする。

「最初、君に好きだって言われた時…勘違いするなって自分に言い聞かせることに必死だった…」

すぐ耳元で響く声が少し不安定に震えていて、彼の背中に回した手に少し力をこめてみる。

「でも本当は……息が詰まるほど嬉しかったんだ」

一人になりたくなかった。合コンに行きたくなかった。諦めたくなかった。彼がヒーローでいなくてもいい場所になりたかった。
一度捨てたものと同じものはもう手に入らず、心に空いた穴も二度と埋まらないなら、もっと大きくて暖かい毛布で彼の心を包んであげたい。もしもそうやって君の一部として一緒に生きられたら、どんなに幸せなんだろう。

月が私たちを上から見下ろしていた。
嵐山が今何を考えているのかと、私も静かに考えている。でもなんか、同じこと考えてるような気がする。



**

「いやいやいやそんな、そこまでしなくても大丈夫だって」
「ごめん、これだけは譲れない。頼む、ご両親に会わせてくれ」

今、これから末永く仲良くするつもりだった彼と、早速私の家の前で揉めている。

「いきなり嵐山が現れたら腰抜かすよ私の親。友達だったことすら知らないんだもん」
「でも、今日を逃したら次いつ会えるかわからないだろう。なるべく早い方がいいんだ」

珍しく家の中に点いてる明かり。土曜の夜ともなれば流石にうちの親も帰宅しており、彼はこのチャンスを逃さまいと食い下がってきた。
ちょっと前までは頑なに家に上がらなかったくせに…どうやら折れるつもりは全くないようだ。

「…わかったよ。じゃあ先に事情だけでも説明してくるから、玄関でちょっとだけ待ってて」
「ありがとう、よろしく頼む」

ここで騒ぎになってしまうのも不本意なので、渋々家の鍵を開けて、嵐山を玄関に招き入れる。彼の意志の強さは敵に回すと恐ろしいものだ…

「ただいま」と一声かけてみれば、リビングから『おかえり〜』と返ってくる。そんな呑気にしてられるのも今のうちだぜお母さん。リビングに繋がる扉を開けて、テレビを見てるお父さんとお母さんの元にさささっと近寄る。

『おかえり、遅かったね』
『晩御飯何か食べたの?』
「あー、うん」

どう切り出そうかと考えながら、なんとなくテレビに移した視線。そのせいで用意してた言葉がポンっと勢いよく飛んでいった。
よりにもよって、テレビ画面に映ってるのは嵐山准だった。
驚いて口を開けたまま硬直していれは、お母さんがぺらぺら語り始める。

『この子ほんとにすごいよね〜知ってた?アンタと同じ歳なのよ』
「へ、へぇ〜」

知ってるも何も…今ウチの玄関にいるんだよ。背中に妙な汗をかく。

『どうかしたのか?何だかいつもと様子が違うけど』

心配そうに窺ってきたお父さんのおかげで本来の目的を思い出し、何とか軌道修正を始める。

「あのさ…えっと。突然でごめん。お父さんとお母さんに、会って欲しい人がいて」

テレビの電源を消してから、しっかり2人に向き合って告げた。

『彼氏ね!?』
『ち、ちょっと待ってくれ!そんな急に言われても!今お父さんパジャマなんだぞ!?しかもユニクロのセール品!』

血相変えてソファーから急に立ち上がり、アワアワしはじめた両親にジェスチャーで待て!を示して動きを停止させる。

「お、落ち着いて…皆さん。多分そんなのどうでも良くなるくらい、びっくりすることになる」
『そ、そんなに…!一体どんな子なの!?』
『ごめん、とりあえずレッドブルを飲ませてくれないか』

お父さんについた悪い社畜癖が、疲れた身体にカフェインをキメさせようとする。翼を授けてはならない。冗談なしにそのまま天まで昇ってしまうから。

「2人とも動かないで。えっと…今、その人玄関にいるの。こっちに呼んでもいい?」

両親は顔を見合わせて、ソファーにもう一度ゆっくり腰を下ろす。お父さんがゆっくり目を閉じて、そのまま頷く。

『…あぁ。勿論、上がって貰いなさい』
「ありがとう」

ひとまず、大きなパニックが起きなくて良かった。いや起きるとしたらこれからだけど。
私は早速玄関の方に戻って、待たせていた嵐山に家に上がるよう促した。
彼はおじゃまします、とリビングにも聞こえるように一言告げて、靴をきちんと揃えてから上がった。私の家に彼がいるのは少し不思議な気分がする。背景ちょっと浮いてるCMみたい。そんな呑気な感想を頭のノートに書き残しながら、リビングの扉を開けた。

「夜分にすみません」

私の後に続いて部屋に入った彼の声で空気が、まるで凍ってしまったようにシンと静まる。それでも彼は動じず、毅然とした様子で私の横に並んで両親と顔を合わせた。

「初めまして。嵐山准と申します」
『わぁ…』
『嘘でしょ…』

我が家にキラキラオーラを撒き散らしながら突然現れた爽やかイケメン。さっきまでテレビの中にいた人物を目の当たりにして、両親は漫画のように目を丸くする。
あぁ、もうどうにでもなれ。芸能人がきたぞ。

「連絡もなしに、突然押しかけて申し訳ありません」
『い、いえそんな!気にしないで』
『とりあえず、座って話そうか』

彼が深々と頭を下げれば、2人はやっと正気に戻って、座卓を挟んで向かい側に座るよう促した。
まさか今日こんな光景を見るとは思わなかったな、と感じながら両親と向かい合う。私の隣にいるのはたしかに嵐山准。

『…あの…うちの娘とはどういう関係で?』

まず一発目、お父さんが一番疑問に思ったことをおずおずと嵐山に問う。彼はいつものようにピンと背筋を伸ばして、綺麗な正座をしている。自分の家だけど、私も釣られて背筋を伸ばした。

「はい。娘さんとは同じ大学で、以前から友人として親しくさせて頂いてます」

それはそれは、いつも娘がお世話になっております…いえ、こちらこそ。そんな定形通りのやりとりを結んで、両親が彼のキラキラオーラに少し慣れてきた頃。

『何でこんな有名人と知り合いだってずっと教えてくれなかったの〜!?』
「いや〜…まぁタイミングが無かったというか…」

お母さんが身を乗り出して半ギレ状態で私に詰め寄る。あなたがミーハーのおしゃべり番長だから今まで言わなかったんですよ。

「えっと…時々一緒に晩御飯を食べてくれたり、実は前々から嵐山の家の人達にもすごくお世話になってて…」
『あ〜!たまに夕方になると誰かの家に行ってたのってそれ?』

『夜までにはいつも家に帰るから家庭教師のバイトでもしてるのかと思った』って。いつも家にいない筈のお母さんが何で知ってるんだ?

「え、もしかしてスマホにGPS仕込んでる?」
『当たり前よ。あんたちょっと前まで夜も平気で出歩いて家に帰ってなかったじゃない。常に居場所は把握させて貰ってるわよ』

な、なんてことだ……知らなかった。我が家はTOP OF 放任主義じゃなかったのか…まさか常に監視されていたなんて。

『でもほんとに驚いたよ…丁度さっきまで君のこと、テレビで見てたんだ』
「そうでしたか、驚かせてしまってすみません」

まさかのカミングアウトに私がショックを受けている間に、お父さんがさっと話をすり替えた。

『いや、それよりも…今日は僕達に言いたいことがあって来てくれたんじゃないのかい』

本題の入り口に立った時、横目でちらりと彼の様子を窺った。嵐山は真っ直ぐに前を向いて、揺るがない意志を訴えるような目をしていた。公園でのグズグズ緊張していた顔とは大きな違いだ。すごく頼もしい感じがする。

「今まではお互いに友人の1人として支え合ってきましたが、2人で話し合い、もっと傍で寄り添いたいと強く思いました」

あぁ、もしかしたらこういう感じなのかな。インタビューされてる時の、みんなが知ってる嵐山准って。

「真剣なお付き合いをさせて頂きたいと考えています。どうか娘さんとの交際を、許していただけませんか」

心臓がうるさくて、時計の秒針も、空気清浄機の音も、お母さんの小さい悲鳴も聞こえなかった。
私たちを交互に見て、お父さんは静かに頷いた。

『2人で決めたことなら、文句はないよ』

もっと色々と聞かれると思って身構えていたから、迷いもせずそう返ってきたのが少し意外だった。肩の力がふっと抜ける。

「ありがとうございます!」
「お父さん、お母さん…ありがとう」

彼と私が同時に頭を下げて言うと、『さっさと顔あげないと写真撮っちゃうぞ』なんてお母さんに脅される。冗談か本気かわからなくて咄嗟に顔を上げると、彼も隣で全く同じ動きをしていて、顔を合わせて笑った。何かこれ、間抜けみたいだね。

『嵐山くん。この子は、自分より他人のことを優先する癖があるんだ』

我慢してるから誰も気付かないのは当たり前だと思って、諦めていた。でも、本当はずっと気付いて欲しかった。

『それは彼女の美徳の1つでもあるんだけれど、もし悪い方向に働いた時は、どうか助けてあげて欲しい』
「はい」

もしかしたら、気付いてないのは私の方だったのかもしれない。
深く頷いてくれた嵐山を見て、ぼんやりとそんな風に思った。



**

嵐山を見送るために家の前に出てもなかなか離れられなくて、「気を付けて帰ってね」なんて言いながら私達は手を繋いでしまっている。

「副くんと佐補ちゃんに、早く会いたい」

沈黙が訪れたら彼が帰っちゃいそうだから、わざと声に出して呟く。
直接会ってこの前ごめんねって早く謝りたい。2人のことを考えながら空を見上げると、2つ並んでる星を見つけた。

「君が帰った後…しばらくみんな元気無かったよ」
「その節はほんとに…」

思い出しただけで胸が…!あぁ…嵐山兄妹から元気を奪うなんて、私の人生最大の罪。今度彼の家に行くときは、ドーナツをたくさん買って持って行こうと決意する。

「あははっ、でも諦めなくて良かったな」
「…うん」

彼がぎゅっと手を繋いで、私の目を見て言ってくれた言葉。心の底から同意する。

「俺も早く教えてあげたいなぁ…」
「私も2人の反応見たい…ね、まだ内緒にしててよ。一緒に言いに行こう?」
「ん〜〜…無理かも。俺今すっごい浮かれてるから、黙ってても多分…ていうか家帰った瞬間絶対にバレる」
「表情管理!しっかり!」

たしかにさっきから表情がぽやぽやと緩みきっている。彼は本当に大丈夫か?繋いだ手を上下に振って正気かどうか確認してみるけど、されるがまま状態でどうも正気ではなさそうだ。

「なんかずっと、気持ちがふわふわしてて」

そんな可愛いこと言ってどうするつもりなのかな。サンリオキャラクターとコラボでもするのか?

「帰り道ほんとに気を付けてね。頭上とか足元とか」
「うん…」

怪我しないかわりと本気で心配してるのに彼の返事はまだどこか心此処に在らずな感じがして。タクシー呼んであげようかな。でもこの人絶対断るだろうな。

「手、離さないの?」

自分からは離せないので役割を押し付けるみたいに聞いてみると、「う〜ん…」と唸って、彼は繋いだ手をそっと頬に当てた。

「…このまま持って帰りたいなぁ」
「そっ、そういうこと言うの!?」

なにこれ、乙女ゲーム?嵐山准のスチル回収しちゃった…なんて馬鹿みたいなことを考えて頭の中を上書きしないと、彼の言葉が頭の中で反芻して、恥ずかしくてパンクしそうだった。

「うん…でも、まだ我慢する」

ちょっと照れたように笑いながらそっと手を離して、今度はその手で私の頭を撫でてくれる。

「大切にします」
「大切にも、されてください」

私の返しに彼が「はい」と優等生の返事をして、今度は2人の隙間を埋めるみたいにぎゅっと抱き合った。やっと手を離したのに…『バイバイ』がまた遠のいた。
上着を着てるせいで体温はよくわからないけど、彼の息遣いが近くで聞こえて安心する。同じ調子で呼吸をしてみようかな。それが何になるかはちょっと謎だけど。

「次、いつ会える?」

耳元で聞こえる声がくすぐったい。また会えるなんて当然なことなのに、なんだか奇跡みたいにも感じる。

「いつでも会えるよ」

調子のいい返事をすれば、彼はくすくす笑いながら「明後日、一緒に晩御飯食べよう」って誘ってくれた。彼の腕の中でうん、と頷く。

「また会えるってわかってる今日の方が、離れるのが難しいな…」
「ほんとに…」

私達の間に今働いてる万有引力、超不思議だよね。夏休みの自由研究の課題にして、検証してみようか。
毎回こんなにも離れがたいと、これから会う度に苦労しそうだ。

「嵐山准くん、1ついいですか」
「はい。いくつでもいいですよ」

めちゃくちゃスマートなタイプの全肯定bot。そのカッコいい返し、流行ってるのかな。
まだまだ話し足りないけど、時間は無限ではないし嵐山はもうそろそろ帰らなくちゃいけないから、なるべく今日言っておきたいことを頭の中でピックアップする。

「私は…まだまだ未熟で、自分のことすらちゃんと出来なくなっちゃう時があって…生きるのってとても難しいなと思う日々なのですが」

私の中にある自画像は、他人の評価で構築されてる部分が多くを占めていて、自分から『他人』を抜いたらたちまち全部崩れてしまいそうで怖かった。

「でも、もう自分を可哀想なんて思うのやめたから。代替品は、もういらない。夜にバイトもしないし、単位も落とさない。准くんと会えない時は、私は仲良しの友達と遊んでるから。寂しい思いをさせるとか、そんな風には考えなくていいよ」

神様がひとつだけ、私たちにくれたもの。
それは私が私らしく生きる権利。彼が彼らしく生きる権利。でもそれを行使するかしないかの最終判断は結局自分でしか下せない。友達でも、恋人でも、親でもない。だから、お互いをお互いの道にずるずる引き込み合って、自分を無くしてしまうような寄り添い方はしないでおこうね。

きっと気持ちは伝わったのだろう。彼は「うん」と頷いて答えてくれた。

「俺からも1つ、いいですか」
「いくつでもどうぞ」

自分で言ってもかっこいい返し。彼は少し笑って、照れくさそうに声を潜めた。

「良かったらこれからも、准くんって呼んで」

調子乗った部分をたまたま拾われてしまったみたいだ。もしかして私、いじられてる?でもそんな風にお願いされたらもう、「うん」って答えるしかないんですが…!

名残惜しく思うような沈黙の後、いよいよ別れの時間がきた。

「よし…せーので離そう」
「せーのっ」

スッ、とケーキが切り分けられるみたいに離れる。
聞き分け良く離してしまったことが勿体無かったような気がして、彼を見ると困ったように微笑んだから、もしかして同じことを考えたのかもしれない。

「じゃあまた、明後日」
「うん。気を付けてね」

手を振って去っていく姿を、立ち止まったまま見送る。

静けさが煌めく、そんな夜。まだ夢の中みたいな不思議な心地で彼の背中を見つめる。
もしも人生の中で彼と会える回数がもう最初から決められてるとしたら、私はあと何回彼に会えるだろう。私たちは会うたびに数を消費して、減らしていくことばかりしているのかな。別に虚しくはないけど、そうだとしたらちょっと寂しいね。

私たちの間にある溝は簡単に埋められるものじゃないかもしれないけど、いつか、橋を架けていつでも会えるようになったらいいな。約束なんてしなくても。これからは、彼と2人で。

「准くん!一緒に頑張ろうね〜!!らぶ!」

お腹の底から声を出す。恥ずかしげもなく両手指ハートフル装備、これはガチ中のガチの気持ち。
少し向こうで立ち止まった彼は、パッと笑顔を浮かべて振り返る。

「うん、俺も好きだよ!」

真似して投げてくれた指ハートは落とさないようにキャッチして、ポケットの中に大事にしまった。

心の真ん中がぽかぽかする。これは、彼が私に灯してくれた光の温かさ。
この温もりさえ無くさずに持っていられたら、間違いなく私はエブリデイハッピーデー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?