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夕立ち 【犬飼】

昨夜、二ヶ月前に別れた恋人と電話をした。
こちらはLINEもSNSもブロ解して絶縁していたのに、また誰かが私の連絡先を彼に教えたのだろう。
縦15行くらいに謝罪の言葉を並べてから、『あの頃に戻りたい』なんて感傷的にアピールしてくるからネコちゃんの可愛いスタンプでNOと送ると電話で逆ギレされた。

『いつまでもそうやって、人を馬鹿にして生きてろよ』
『お前のことなんて誰も好きにならない』
『文句あるなら殴りに来いよ』

洋画に出てくるクソ男の台詞みたい。なんて思いながら、ちょっと前まで好きだった人からの罵声をラジオのように聴いていた。オールナイトニッポン、本日のパーソナリティーは怒った人、ゲストは怒らせた人です。

彼が私に初めて告白してきた日のことを覚えている。寒い冬の日、委員会の集まりで5時まで学校に残っていた私を彼は外でずっと待っていて、白い息を吐きながら震えた声で好きだと言った。
人って短い間でもこんなに変わってしまうんだね。現実は醒めて欲しい夢に似てる。きっと彼はネコちゃんのスタンプに怒ってるんじゃなくて、私の舐めた態度が気に食わないのだろう。

恥を捨てて知り合いから私の連絡先を教えてもらって、15行の文章を推敲し、あの日寒空の下で一人で何時間も待っていた彼に、私は何も返せなかった。だから、彼の気がおさまるまでせめて黙って聞いてあげたい。
一方的に溜まっていた言葉を吐き出して、『もういい』と電話を切られるまで何ひとつとして言葉を返せなかったからサプライズで本当に殴りに行ってやろうかとも思ったけど、どうせ電車代と時間が無駄になるだけだ。
寝て忘れようとしたのに、結局夜中2時を過ぎるまで眠れなかった。


だから次の日、朝からバイトがあるのに寝坊した。夕方から雨が降るという天気予報を見る暇もなく、傘を持たずに家を飛び出した。
バイトは夕方までに終わったからギリギリ雨が降るまでに帰れると踏んでいたのに、電車に揺られている間に雨がザーザーと降り出して現在最寄駅で足止めを食らっている。

駅にあるコンビニの傘は売り切れ。雨はしばらく止まない。私の家まで徒歩20分。三大厄災揃い踏み。詰みだ。
頑張って罵倒にも耐えて頑張って朝からバイトして、この街を守るボーダーの一員でもある私が、何でこんな酷い目にばかり合わないといけないのか。あぁ、なんか今更腹が立ってきた。ヤケクソになってストーリーに今の気持ちを長文にして投稿してやりたい。フォローするくらいなら私の気持ちを知れよ。でも、知ってほしくない。無音カメラで撮った外の景色の写真に『傘忘れた☺️』と嘆くように付け加えて投稿した。どうせ既読がついても誰も見ていない。1秒もせずスワイプされて終わり。フォロワーが何百人いたとしても、私自身を見ようとしてる人なんて誰もいない。だから早くSNSなんてやめちまえ。


「よーっす、元気か?」
「うわ」
「うわって何だよ」
「冗談だよ、こんにちは。二人でどっか行ってたの?」

30分くらい経った頃、そのあたりの椅子に適当に座ってた私を見つけて声をかけてきた当真と、その隣でスマホを見てる影浦に挨拶をする。

「コイツと知り合いの飯屋で飯食ってきたとこ。お前は何してんの?」
「バイト終わって帰る途中」

なんて答えておきながら、椅子から立つ気配がないわたしを見て当真は「早く帰れよ」と笑った。すると影浦がやっとスマホから顔を上げてこちらを見る。

「傘忘れたんだろ?」
「え、何で知ってんの?」
「テメェでストーリーにあげてんじゃねぇか」

あぁ、忘れてた。てか影浦って私のストーリーとか見るんだ。もしかして今ちょうど見てた感じかな。呆れた顔向けるのやめてくれないかな。

「あー、なる。そうなんだよ。コンビニも傘売り切れててさ」
「お前運悪ぃな」
「うるさいな当真。君の傘荷物になるなら私が預かってもいいんだよ」
「ざんねーん、俺原付で来たから傘持ってませーん。けど優しいカゲくんが送ってくれるってよ」
「おい、勝手に決めんな」
「いやいいよ、悪いし。高3にもなって女子と相合い傘とか恥ずいでしょ」
「傘無しの身分で拒否んなや」

折角フォローしてあげたのに。何だかんだ言って入れてくれるのかな。

「まぁ影浦が勘違いされても困らないなら、私は気にしないけど」
「お前なぁ…素直に入れてくださいって頼めねぇのかよ」
「生意気言ってすいません、入れてください影浦様」
「ふん、わかってんなら最初からそう言えや」
「仲良いなお前ら」
「私が合わせてあげてるからね」
「おい当真、やっぱ俺先帰るわ」
「待って待って、冗談ですよ影浦様〜」
「うるせぇ!気持ちわりぃモン刺してくんな!」


**

「そんでよ、あいつの知り合いの店ってのがお好み焼き屋だったんだぜ。有りえねーだろ」
「マジか、同業者じゃん。美味しかった?」
「言えるか」

多分美味しかったんだろうな。

「今日送ってくれたお礼に、今度お店に友達連れて食べに行くよ」
「そりゃ有りがてぇけど、めんどくせぇのはやめろよ。お前のグループ、俺の苦手な奴多いんだわ」

私が学校でよくつるんでるメンバーを思い出すように影浦は言う。あからさまに顔顰めちゃって。

「一回腹割って喋ったら案外気合うかもよ。誰だって慣れてない相手には裏表あるし」
「はっ、お前が言うか?」
「笑わないでよ、こんな私にだって悩みはあるんですよ」
「そうかよ」

本音を言った時に深入りしてこないのは影浦の良いところだ。同じ傘に入っても決して距離を縮めようとしないから、足取りを速めることも緩めることもしないで楽に歩ける。

安全な歩道から角に差し掛かる場所で、バシャン、と水飛沫が飛ぶ。走りながら角を曲がってきた人が勢い余って水溜まりを踏んだ。

「わっ、すいません」

聞き覚えのある声にふと顔を上げる。目が合うと犬飼はあっと驚いたような顔をした。
でも、すぐ隣の影浦に目線を移して笑顔を浮かべる。

「へぇ、知らなかった。そこって仲良いんだね」

今日2回目のその台詞は、当真が言ったそれよりも幾分か嫌味のように聞こえる。

「別に仲良くねーよ」
「そう」

無愛想に返事をすると、聞き流すように私達2人の横を通り抜けていった。何あいつ態度悪。サイドエフェクトがなくても今の棘は刺さる。
影浦も隣で舌打ちをする。この2人が仲悪いって噂はどうやら本当のようだ。

「傘2本も持って何処行くんだろうね」
「お前、それマジで聞いてんのか?」

今度は本気で呆れてる影浦が私を見下ろす。
目が合ったとき、まさかとは思った。でもそんなはずない。一体誰が私のために、わざわざ時間を使ってそんなことするんだ。

「さっきから携帯見てねぇだろ」
「誰かと居る時に見るの失礼でしょ」
「いいから見てみろ」

マナーモードにしていた携帯の電源ボタンを押す。不在着信1件、新規メッセージ3件のアイコンが表示された。

そんなはずない、っていうのは私がそう思いたいだけ。


「影浦ごめん、やっぱり追いかけてくる」
「好きにしろ。でも金輪際お前らのことに俺を巻き込むなよ」
「マジでそれは約束する。あと本当に今度何かお礼するから」

傘の外に出て、冷たい雨に打たれながら走る。途中、水溜りを勢いよく踏んだ千五百円のスニーカーは律儀に靴下にまで水を浸透させてくれた。しっとり冷感、不快感。

「犬飼!」

やっとのことで追いついて、冷たい手を掴んで名前を呼んだ。彼は手を振り払うけど、立ち止まって傘に入れてくれる。

「俺の方に来るの、カゲに失礼なんじゃない?」
「ちゃんと謝ってから来たよ。それに、影浦にはたまたま会ったから入れてもらった。でも犬飼はわざわざ来てくれようとしたんでしょ。なら、絶対こっち追いかけるに決まってる」

言い切るまで、犬飼はじっと私を見つめていた。感情を交換するように目を合わせる。彼は今、少し戸惑っているようだ。

「…何やってんだろね、俺。こんなとこで」
「本当に。まさか来るなんて思ってなかったから、正直びっくりした」

目を逸らされても、私は彼の目を見続けた。

「行ったらどんな顔するかなって思ったんだ。でも行かなきゃ良かったよ」
「そんなこと言われると凹む。びっくりしたのは確かけど、来てくれて嬉しかったのに」
「……ごめん、今の八つ当たり。傘使いな」

犬飼が右手で持っていた方の傘をこちらに渡す。

最初に一歩踏み出したのはどちらからだろう。わからないけど、私たちは自然に帰る方向とは逆に足を進めていた。目的地を設定せず、信号が青なら渡って、赤なら曲がって別の道を歩く。とにかく止まらずに、歩き続けた。

「俺、一番仲良い自信あったんだよね」

雨音や通り過ぎる車のエンジン音で掻き消されそうな声に耳を澄ませる。

「私と?」

頷きで返されて、今度は私が戸惑った。
私が誰かの一番になれたことがないように、私の一番はずっと空席だのままだった。

「そっか…ならその自信を失わないようにしないとね」
「うん、そうする。でもそんなこと聞いてるんじゃないけどね、今のは」

…いや言い方キツ〜!歯に衣着せろよ!と突っ込みたいけれど、犬飼が言おうとしていることに本当は察しがついている。彼は私に聞きたいのだ。俺はこうだけど、お前はどうなのって。

相手が犬飼だったから、その話題にはあまり適当に答えたくなかった。

「この前さ、『果たして一番好きな人の一番好きな人になれるのか?』みたいな話をしたじゃん」
「したね。なれるって言ってた」

彼は覚えているのが当たり前、とでも言うようにすぐに頷いた。あれはお互いに少し踏み込んでみた日だったから、忘れてたらもう普通に絶交だよね。

「でもそんなの、わかんないよね。好きって言われたのをコピーしてペーストすれば、いくらでも好きって言えるんだから」

私がそうだったように、このやるせ無さをきっと彼も知ってる。ただの期待かもしれないけど。

「自信失ったの?」
「昨日、元彼に『お前のことなんか誰も好きにならない』って言われたんだ。悔しかったけど…でもなんかわかるとも思った。私、自分のことそれなりにうまくやってる奴だってずっと過信してたみたい」
「ふーん」

話を聞いた犬飼はつまらなさそうに、口も開かずに返事をする。何コイツ態度悪。

「まぁ困るよね、いきなり愚痴られても。ごめん」

そこで話を終わらせたつもりでいたのに、20秒くらいの沈黙の後で犬飼は言った。

「悔しいなら変わってみればいいじゃん。結局、誰かが自分から離れていくのが怖いから、自分は本気にならずにどっちでも良さそうな顔してるんでしょ。そんなんじゃ誰にも本気になって貰えないの、当たり前」

心の何処かで期待していたような慰めの言葉なんてかけてはくれない。心臓をグサリとフォークで突き刺されたような気持ちになる。それくらい、犬飼の言葉は私にとって核心をついていた。

「犬飼の言う通りだね。好きには好きで返さなかったらみんな私のこと好きじゃなくなるから、適当に合わせてるうちに好きになったと勘違いしてたんだ。でも結局いつも誰かのアクセサリーにしかなれなくて、本物は手に入らない。
自分から本気になれないのは、本当はそんな薄情なみんなのことが嫌いだからかもしれない」

溜まってた言葉がするすると落ちていく。吐き出して、吐き出しても全然スッキリしないのはどうしてだろう。そんなにあっさり無くなってくれる悩みじゃないからかな。
水溜まりに映った空を見ているうちに頭に昇った熱が冷めて、何で彼にこんなこと話してるんだろうとだんだん正気に戻される。
自称私の一番の友達の彼にさえ、自分の本音を簡単に言えない。きっと、今日を境に彼にはしばらく会いたくなくなる。

「…まぁ、よく考えたら俺も人のこと言える立場じゃなかったよ。出来ないなら無理に好きにならなくてもいいんじゃない、こんなこといちいち考えてる時点で向いてないんだよ、俺達には」
「何でいきなりこっち側に来るん」

偉そうに核心ついて私のこと言い負かしておいて、コイツ。
今更同類面しやがって、と敵意を込めて睨んだ。煽るような微笑みを返される。

「また話脱線してるなと思って。俺、恋愛感情は正直信頼してないけど友情なら信頼できると思うんだよね」
「それって何、つまり親友になろうってお誘い?」
「そう」
「犬飼ってかなり頑固だよね」
「今更気付いたの」

やっぱり私達には少し似ている部分がある。だから何度失敗しても、結局この人にはわかってもらえると勘違いするのだろう。それを信じてるとか、聞こえのいい言葉に変えたりして。

「友達にランクなんてつけない主義だけど…でも犬飼はいつも他の人とはちょっと違う視点から、私を見てる気がする」
「だ〜れが上から目線だって?」
「いや言ってないじゃん。自覚じゃない?」
「あは、バレた?」
「コイツ…」

歩くたびに濡れた靴が気持ち悪いはずなのに、何故か気にならない。それどころか、まだ遠くまで行ける気がする。

「フォロワーがあれだけいて、君のために走ってきたのが俺だけなら…あの中では俺が一番だって思ってもいいよね」
「それはもう間違いないでしょ」
「なら、来た甲斐あった」

向けられた笑顔はいつもよりあどけない。フォローするとかじゃなくて、本当にそう思ったから言ったような感じがした。

きっと彼も、何でもいいから誰かの一番になりたいと思ったりするのだろう。

「自由席だから、犬飼が誰にも譲らない限りは誰にも盗られないし、ずっとそこに居てもいいよ」

だから、私が君を一番だと決めるわけじゃない。
お互いが苦にならないように引いた線をどちらかが踏み越えない限り、私達は一緒にいられるような気がした。

犬飼は何も言わずに空を見上げる。真似して見上げた空は夕焼けの色をしていて、雨はもう止もうとしていた。

誰かに貰った嬉しい言葉も酷い言葉もそのうち雨水に消されて、楽しい時間も苦しい時間も平等に、夕立ちのようにすぐ過ぎていく。
雨が降ったり止んだりするのを操れないのと同じで、人の心が変わるのを嘆いても、きっと仕方ない。何も考えずに好きとか嫌いとか言っちゃうみんなのこと、嫌いだけど好きになりたい。私のこれもいつか変わってしまうのだろう。
この短時間でも一つだけ、変わった気持ちがあるように。

「犬飼、来てくれてありがとう」

顔を覗き込んで笑えば、彼はしょうがなさそうに眉を下げて笑ってくれた。
その顔を見て、出来れば明日も彼に会いたいと思った。

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