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ハッピーキャンパスライフ 2 【嵐山】

アラームを止めて起き上がる。外の街灯には明かりが灯っていて、歩いている人もいなければ、車の音も誰かの声も聞こえない。
部屋と外の世界とを隔てている窓に近づいたら、ひんやりとした冷気に当てられてだんだんと頭が冴えてきた。

夜更かしの人はまだ起きているであろう時間に目を覚まし、着替えて外に出掛けるのには正当な理由がある。


「おはようございます」
「おはよう、今日もよろしくね」
「はい、いってきます」
「いってらっしゃい、気をつけて〜」

配達所の人と挨拶を交わしてすぐ、担当区画分の新聞を自転車のカゴに積んで走り出す。毎週月曜日と金曜日の早朝限定アルバイトは、大学受験を終え暇を持て余していた時期に、近所に住んでる仲良しのおじいさんに誘われたのがきっかけで始めた。
まだ空が真っ暗な時間に一人で家を出るワクワク感、誰もいない静かな街を自転車で走る気持ち良さ、朝日を浴びながら家に帰って二度寝するのなんかもう最高だ。
今は講義が午後からの月金しか入れていないけど、長期の休みがある時は結構な頻度で配達している。

配達はいつも通り順調に進み、30分ほどで担当分のほとんどを配り終えた。よし、もうひと踏ん張り。
澄んだ空気を体に取り入れて、風で乱れた前髪を手で整えた。この角を曲がれば、景色が少し明るくなる。

「おはよう」

今日も家の前に出て待っている。新聞ガチ勢、嵐山准。

「はやすぎるよ、おはよう」

近づく前からこっちを見ていた彼に笑って、新聞を手渡す。
嵐山が任務から帰ってくる時刻と新聞配達のタイミングがよく似ている金曜日、必ずと言っていいほど彼は家の前に出て待っている。
新聞なんかいつでも読めるんだから寝てなよ。とも思うけど、少しだけでも人目を気にせず話せるこのひと時は密かに私のお気に入りタイムだったりする。

「明日、家まで迎えに行ってもいい?」

新聞を受け取ったついでに彼がそう聞いた。明日は待ちに待った土曜日、嵐山と晩ご飯を食べに行く約束をした日だ。思い返せば2人で夜に外食するのは初めてで、お店を決めてくれた時からこちらが身構えないでいいように心づかいをしてくれているのはわかっていた。

「ここからだと目的地と私の家、まったくの反対方向になるじゃん。現地集合で!」
「え〜だめか?」
「だめでーす」

お願いするように顔を覗き込んできた爽やかフェイスに動じず、バツのジェスチャーをしてみせれば彼はしぶしぶ引き下がる。

「…わかった、でも家出る時は連絡してくれよ?」
「あははっ、流石お兄ちゃん。了解しました〜」
「あ、もしかしてからかってる?」

ご名答。そんな気持ちを隠して言う。「滅相もありません」
「ほんと?」って今度は私をからかうつもり満々の眼差しから逃げるように自転車のハンドルを握った。

「じゃあ、またね。おやすみ」
「うん、ありがとう。頑張って」

これからやっと眠りにつくであろう彼に手を振れば、にこやかな笑顔で見送ってくれた。嵐山に応援されたら百倍頑張れる気がする。
晴れやかな気持ちで町内を一件一件回り、新聞配達を済ませて、帰りは立ち漕ぎで自転車を走らせた。



**

土曜日。いつもより若干気合い増しめの服装で待ち合わせ場所に到着。『現着した』とメッセージを送ればすぐに既読がついた。彼が文章を打つのが遅いのはもう周知の事実なので、既読から返信までの空白の時間が逆に微笑ましい。
画面に視線を落として、今か今かと返信を待っていると目の前が突然真っ暗になった。自分の体温ではない、少し冷たい手が目元にふわりと重なる。

「だ〜れだ」

これが嵐山じゃなきゃ大事件だ。

「私と今日ご飯食べに行く人」

手を重ねると目隠しは簡単に外れた。振り返ると予想通りの人物が立っている。

「正解」

出会って早々お茶目ムーブをかます嵐山に釣られて、私のテンションゲージもじわじわと高まっていく。
一言二言適当に会話を交わしてから、予約したお店へと向かう。最初はわざと距離を空けて半歩後ろを歩いていたのに、気がつくといつの間にか並んで歩いていた。

新しくオープンしたカフェに並ぶ人々、片手でスーパーの買い物袋を持ったママと手を繋ぐ子供、鳩に餌をあげてるおじいさん。駅前には色んな人やお店があってわくわくしながら景色を見渡していると、隣から控えめな笑い声が聞こえてきた。
そこはかとなく馬鹿にされている気がして、何で笑ってるの?と不満を込めた視線を投げる。

「あぁ…なんか無性に面白くて」
「嵐山って私のこと結構いじってくるよね」
「えっ、そんなことない……とも言えないな…ごめん。嫌だった?」
「別にいいんだよ、やられた分はやり返すから」

鼻息を荒げて自信満々に宣言すれば、彼は懲りずにまた笑いそうになり、眉間を抑えて何とか堪えようとしていた。バレバレですけど。

「も〜ツボ浅すぎるわ!」
「あははっ、ほんとだな。浮かれてるからかも」
「かわ……から作った餃子は美味しい」
「ん?餃子好きなのか?」

あっっぅ…ぶな〜〜い!うっかり言わなくていいことまで言いそうになった。いやいや!そんな普段見せない笑顔向けられたら心臓びっくりするに決まってるじゃんイケメンなんだから!
ちょっとまじで勘弁してくださいよ!と荒ぶる心を深呼吸で必死に落ち着かせる。何やってるんだ私。皮から餃子作るシーンなんて人生に1回、あるかないかだろう。

「お腹空いてる?」
「それはもう絶好調に空いています」

急に食料の話題を出した私に対して嵐山が聞く。もちろん食事を楽しむ準備は万端で来ました、と気持ちを込めて大きく頷いた。このためにお昼も控えめにしたくらいだ。

「良かった。もうすぐ着くよ」
「楽しみ!嵐山の行ったことあるお店?」
「ううん、俺も初めて。実は家族に勧められて」
「おぉ〜嵐山家のお墨付きなら間違いなしだよ」
「なんかこういうの、恥ずかしいな…」

何でだよと突っ込みたい気持ちはあるけど、天然に突っ込んでもキリがないのでここは一旦スルーをキメることにする。

並木通り沿いをしばらく歩くと、街の一角にとても雰囲気のいいレストランがあった。木を基調とした建物と、入り口にかかっている暖簾がレトロで可愛らしい。

店内に入ると、オーナーさんと思しき紳士が「いらっしゃいませ」と会釈をする。
彼が「予約していた嵐山です」と告げると「お待ちしておりました」と丁寧にお辞儀をしてから個室に案内してくださった。

温かみがあって、どこか懐かしさの感じるランプにアンティーク調の小物や家具。日本風の建物と洋風のインテリアが和洋折衷の上品な空間を作り出している。こんないいお店をご存知とは…嵐山家の底力を見せられたような気がする。

ウェーターさんがコース料理の説明をしてから、「嫌いな食べ物はないですか?」と聞いてくれたので「ないです」と首を横に振った。厳密に言えばそんなわけないのだけど、でもこのお店で出てくるものなら何でも食べれる気がする。もしここでお母さんが厨房で作ったカレーとかが出てきても「こんな美味しいもの食べたことない!」と本気で思うだろう。

「こういうお洒落なお店久々…どうしようめっちゃテンション上がってきた」

ウェーターさんが扉を閉めて出て行った後、こそこそ報告すれば彼も首を縦に振って同意する。

「俺も。何かこういうの、新鮮だな」
「確かに、私たちのどっちかが選んだら必ず定食屋とか食堂に行き着くもんね」

別に意図してるわけではなくて、その時食べたいものを選んだら自然とそういう流れになる。私と彼は食の趣味が結構似ているのだろう。

「前から思ってたんだけど、俺たち食べ物の趣味似てるよな」
「私も今それ考えてた」
「ほんと?」

少し嬉しそうに驚いた彼に笑って頷く。心の中を読ませて証明したいくらいマジです。

「そういえば勧めてもらったって言ってたけど、嵐山の家族はこのお店よく来るの?」

ここはどちらかと言えば、食べログランキングに名を連ねる人気店と言うよりも街角にひっそりと佇む隠れ家的なお店だ。ふと気になったことを聞いてみると、彼は一瞬目線を横に逸らして、「実は…」と切り出す。

「昼食は外で食べることもあるけど、夕食を食べる時は俺の家に来て貰って食べることが多かっただろ?いつも俺の都合で、君に我慢してもらってばかりなのはどうなんだってこの間、弟たちに怒られてしまったんだ…」
「えぇっ!副&佐補に?」
「あぁ。さらに昼も定食屋とか食堂にばかり行ってることがバレて『もう俺たちでお店選ぶから兄ちゃんは黙ってて』って…」

なるほど…突然ディナーに行こうと言い出したのも、普段の嵐山が選びそうにないお店だったのも全部弟や妹の企てだったからというわけか。気になっていたことがストンと腑に落ちた。

「そうだったんだ。じゃあ今日は副くんと佐補ちゃんに感謝しないと。今度お菓子持っていくね」
「そんな、気を使わなくても大丈夫だから。ありがとう」
「嵐山こそ別に気にしなくても良かったのに。君は有名人なんだから、私たちの間に何もないとは言えど2人で外食とかしづらいの当たり前だよ」

大学の施設の一部である食堂や仕事間際のおじさんたちで賑わう定食屋と、人通りの多い駅前のお店はまったく別物だ。いつ何処で誰に見られているかわからないし、もしかしたら予期せぬ噂がたつこともあるかもしれない。
きっと今日、個室の部屋があるお店を予約してくれたのもそういう心づかいからで。

「でも…さっきも言ったけどこっちの都合で何か強いている状況があるのは、君が良くても俺が嫌なんだ」

押し付けがましくない、けれどしっかりと揺るがない意思を持った言葉。それ聞いて、人との縁を大事にしたり、どこまでも相手のことを思いやれる人なんだと再確認する。でも、そうやって人を楽にしてくれる代わりに、彼は少しだけ苦い思いをするのではないだろうか。そんな風に感じた。
頭の中にあることをなるべくそのまま彼に伝えたくて、ちょっとの間考えて言葉を整理する。

「私、ボーダーでの嵐山がどんなのとか知らないし、友達としての嵐山のことしかわかんないけど…それでもやっぱり、まだ知らない部分があったとしても君の全部を大事に思うよ。だから、みんなとは違う部分で負い目を感じたりとか、難しいこと考えたりしないで自然にしてればいいんだよ。友達ならちょっとくらい貸し借りあっても普通でしょ」

どんな言葉を選べば彼の心に届くのか、よくわからない。こう言ってもまた、気を使わせてるなんて思われるのかな。
お互い大事にしたいって気持ちは同じなはずなのに、大事にしてもらうのが悪いような気がして、向けられた優しい気持ちを素直に受け取れないよね。でも、あげてばっかりは貰ってばっかりと同じくらいズルいんだよ。

彼はすぐに返事をしない。文字を打つのが遅いのか、それともまた別の理由があるのか。本当は私も知らないんだ。ただ、何も述べずにゆっくりとこちらに向かってくる彼の手を見つめるだけの時間。
指先が触れそうになったところで、無機質なノック音が響く。

「失礼します」

恐ろしい速さで彼の手が引っ込んで、私の背筋も反射的にピンと伸びる。何も知らないウェーターさんが前菜を運んできて、穏やかに張り詰めていた空気が途端に食事の空気に一変する。
目の前に置かれた綺麗な器に盛られているのはお洒落な葉っぱ、トマト、それとおそらくこの白っぽいのがモッツァレラチーズ。

「フレッシュトマトとモッツァレラのサラダでございます」

そんなんもう字面だけで既に美味しいじゃん。ウェーターさんが下がった後もサラダに釘付けになっていると、嵐山は笑って「食べようか」と声をかけてくれた。そうこなくっちゃ!大きく頷いてフォークを手に取る。

「お、美味しい〜〜〜」

こればっかりは、感情より先に言葉が出ていく。なんだこれ美味しい!こんな美味しいサラダ食べたことない。私の中のサラダギネス更新です!
お洒落なお店のコース料理なんてことは気にも止めず、この鮮度を逃すまいとハイペースで食べ進めた。食いしん坊は止まらない。

「すごいな、サラダってこんなに美味しいものなんだ…」
「多分来週くらいにこの味を再現したくなって、家にある材料で何ちゃってお洒落サラダを作ることになるよ私は」
「ははっ、たしかに。この葉っぱはレタスとかで代用できそうだな」
「そうそう、チーズはベビーチーズ使って、トマトは普通に売ってるし…」

あとドレシングは家にある調味料で…そんな庶民的すぎる話を彼は時折頷きながら、ずっと楽しそうに聞いてくれた。

**


「さっきのあの言葉、嬉しかった」

その後のパスタ料理、メイン料理、デザートと最後までじっくり堪能して、「全部美味しかったね」と料理の感想を駄弁りつつ食後の紅茶でお腹を落ち着けていた頃。
途切れっぱなしだった話題をもう一度繋ぎなおすように、彼は言った。
あのまま流さないんだ、なんて意外に思いながらティーカップを置いて言葉の続きを聞く。

「俺は周りの人にとても恵まれていると思うんだ。だから、そういう人たちがこれからも当たり前に幸せな日々を過ごせるように努めたい。それが俺の幸せでもあるから」

これは彼の根底にある、現在から未来への意思表明のように感じた。それを私に話してくれるようになったことが素直に嬉しい。そんな気持ちがそのまま表情に出てしまって、目が合うと嵐山も微笑んだ。

「どんな些細なことでも受け取って、言葉にして返してくれるのが君のすごいところだよな。なかなか皆に出来ることじゃない、特別なことだよ。君の周りにいられる人はみんな幸せ者だな」

きっと君のやってることも、私がやってることとそんなに大差ないと思うけどな。キラキラした笑顔で特別なことだと言ってくれるから、小学生の頃、朝礼で表彰された時の気持ちを思い出した。でも今回は以下同文としてではなく、私だけみたい。
自分でもまだ自覚していない部分を見つけて、掬い上げてくれる。嬉しいけど、彼が選んだ言葉はどこか他人事のようにも聞こえて。

「その枠に嵐山もちゃんと入ってる?」
「えっ、俺入ってもいいの?」
「あははっ、入ってないわけないじゃん」

意外そうな顔をして聞き返す様子が面白くて、肩を揺らしてついつい笑ってしまう。君は変なところで謙虚だね。もっと強引なところがあるのを、私は知ってるよ。

「…そっか、ありがとう」

嵐山は表情を隠すように額に手を当てて俯く。

「もちろん、俺のところにも…君が入ってるから」

「…そっか、ありがとう」

わざと同じ台詞で同じポーズを取ってみた。からかってると彼が解釈してくれるように。本当は照れただけですけど。

2人が全く同じポーズをとったままのシュールな沈黙を切ったのは、またしてもコンコンというノック音だった。
私たちは光の速さで顔を上げて姿勢を正す。
どうぞ、返事をすれば最初に席へ案内してくれたオーナーさんがマジックペンと色紙を片手に、少し恥ずかしそうに入ってきた。それから私と嵐山を交互に見て言う。

「お食事中申し訳ありません。ボーダーの嵐山さんでいらっしゃいますよね。うちの家内と娘が嵐山隊の大ファンでして…プライベートで過ごされている時間にこんなお願いをするのも失礼ですが、どうかサインを頂ければと…」
「はい、全然大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!お願い致します」

即答で色紙を受け取り、さらさらと慣れた手つきでサインをする姿をいざ目の前にすると『あれ?これ本当に嵐山かな?』って疑ってしまう。わかってたけど、想像以上に違和感。何か笑ってしまいそう。堪えなさい私、ここで笑うと変な奴だ。
嵐山のサイン色紙を受け取ったオーナーさんは満足気な表情を浮かべて頭を下げた。

「無茶なお願いを聞いて頂き、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。お料理とても美味しかったです」
「本当に、何を食べても最高に美味しかったです!」

ここについては私も言及しなければ!とすかさず発言すると、オーナーさんは少し驚いたように私を見てから柔らかく微笑んでくれた。

「ありがとうございます。ぜひまた2人でいらしてください」
「はい」

え、今のは何かニュアンス違うくない?私が口を挟む隙すら無く嵐山が返事をして、オーナーさんは扉を閉めて出て行った。

ニコニコと頬杖をついて光のオーラを散らしているイケメンに負けまいと、視線と言葉を投げて訴える。

「嵐山、考えなしに相槌打つのは良くないよ。勘違いを生んでしまう」
「勘違い?」
「ほら、さっきの“2人で”ってやつ。何も否定しなかったら恋人同士だと思われるよ。とにかく君は脇があまいんだ、嵐山くん」

わかっているかね?と人差し指を向けてお説教の態度をとる。本当は人に指をさしちゃいけないけど、今は軽率な発言をした嵐山に全責任があるので許してください。

「そうだよな…ごめん。でも考えなしにってわけではないよ」
「え、考えて言ってたの?」
「まぁ…ちょっとくらいは」
「嘘じゃん!」
「いや本当だ!嘘じゃないよ」

必死になって言い訳しようとする彼を見てると、もう真実なんてどっちでも良いような気さえしてくる。いや待て待て、面白さに流されるな私。

「でも、これはマジな話お互いあとで困らないようにしようね。将来嵐山が本気で1人に決めた時、私がその人の不安要素的な存在にはなりたくないからさ」

「…君は、俺との仲を勘違いされて困ったりする?将来、長い目で見た時に」

自分の見解を述べる前に、私の考えを聞き出すのは彼の癖というか、何というか…そういうとこだぞ嵐山。
けど、まぁ確かに。相手はどう思ってるんだろうって気になるのはわかる。だから私も、ちゃんと答えてあげなくちゃ。

「どうだろうな〜私が誰かと一緒になれるなんてまったく想像つかないし、まず考えてないよ。
でも、もしもこの先『この人と生きたい』って誰かに対して思うことがあるなら、私はその人のことめちゃくちゃ大好きなんだろうし、それを全部直接伝えると思うから、相手を不安にさせて困ることとかはないんじゃないかな」

意図して言い切る形の言葉を選ぶ。まだ未来のことは断定できないけど、これは自分自身への信頼として。

「じゃあ、俺も大丈夫」
「いや、それどういう回路なん笑」

何か私ばっかりガチになって喋りすぎてない?大丈夫かなこれ。もはや嵐山が本気で話を聞いてるかさえ怪しくなってきた。

「まぁいいや。もし嵐山がうっかりトラブっても私知らんフリするし」
「いきなり薄情だな。でもそんな未来こないから、安心してくれ」

突然の匙投げ発言に突っ込みつつも苦笑を浮かべて、カップに入った紅茶を飲み干す。
まぁ君がそう言うなら、本当に安心してもいいのだろう。私も同じように冷めきった紅茶を喉の奥に流し込んだ。

**

私は現地解散でいいと言ったのに彼が家まで送ると聞かなくて、仕方なく家までの道のりを2人でなぞっていた。少し遠回りになるけど、人通りが少ない川沿いのルートを選んで歩く。夜の匂いがする風が吹いて心地いい。駅前とは比べ物にならないくらい光の数が少なくて、空を見上げると月が私たちを尾行していた。
嵐山が今何を考えているのかと、私も静かに考えている。この沈黙が彼にとっても苦しいものではないといいな。



「今日はありがとう。楽しかった」

家の前で改めてお礼を言えば、「俺の方こそ」と同じような言葉で返された。結局言いくるめられて奢ってもらっちゃったし、家まで送ってくれたし、本日は有り難いことに至れり尽くせりだったので今度本気でお礼の品を持って行こうと心に誓う。

「うん。じゃあ、バイバイ。またね」
「…うん」
「どうかした?」

別れの挨拶をしても一向に帰り道の方に足を向けない嵐山のことが気がかりになって首を傾げる。少し遠慮がちに伸びてきた手は私の腕をしっかりと掴んだ。

「…ごめん。何か離れ辛くなってしまって」
「マジか」
「…こういうの、やっぱり困るか?」
「…いや、おもしろい」
「え、おもしろい?」

体温の違いで彼が触れているところがひんやりする。人の手に触られてるって不思議な感じ。彼の手にもう片方の手をそっと重ねる。

「嵐山、また一緒に遊ぼうね」

これから一人で自分の家まで歩いて帰るのは、私だったらちょっと不安になるかな。もう外真っ暗だし。
多分嵐山が考えてることはそれ以外にも色々あるんだろうけど、そっちはわからないので。

目が合うと腕を掴んでいた手がすっと外されて、今度は彼と私の指先同士が軽く触れ合う。少し緊張してしまう私と、なんてことないような顔の嵐山。

「うん。何処か行きたいとこある?」

指先が触れ合う理由については言及せずにじっと見つめて聞いてくる。眼差しが熱い。直接見ちゃうと瞳の中が日焼けしそう。

「最近レイトショーに憧れてて。良かったら一緒に行ってみない?」

多忙な嵐山を夜に連れ回すのは気が引けて、本当はレイトショーに誘う人物リストからは外していたけど、この機会に思い切って誘ってみる。彼は快い感じで頷いてくれた。

「行きたい」
「やった!実は夜遅いから1人で行く勇気あんまり無くて。友達も遠方の子が多くてなかなか誘えなかったんだ。嵐山ナイスだよ」
「夜に1人で出歩くなんて絶対駄目だ。危ないだろ?」
「いけないことしてる感があって楽しいんだけどね」
「こら、危ない目に遭ってからじゃ遅いんだぞ。もし君に何かあったら、俺も悲しいし」

途端に真剣な目で捉えられる。何か、逃げられない感じ。

「その言い方はズルい。嵐山が悲しむようなことは出来ないじゃん」
「わかってくれた?」
「わかりました」

お母さんと子供の会話みたいなやりとりをして思う。嵐山、私の扱いしっかり掴んできた。

「じゃあ、そろそろ本当に帰らなきゃな」

触れ合っていた指先が離れる。追う理由も見つからなくて、彼が触れていたままの形で残った手を体の後ろに隠した。

「真っ暗だし、帰り道気を付けてね」
「あぁ。ありがとう。じゃあまた月曜日に」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」

私が家の扉を開けたのを確認して、嵐山はひらりと手を振って踵を返した。姿が見えなくなるまでそのままで見送る。一度だけ振り返った彼と目が合って、手を振り返した。

扉を閉めると、今日1日分のハッピーが心に溶けていく。楽しかったな。ご飯は美味しかったし、笑顔もたくさん見れた。
心の真ん中にぽっと灯ったランプのように穏やかで温かい充実感に満たされて、浮かれた声で「ただいま」と家族に告げた。

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