見出し画像

ハッピーキャンパスライフ 5 【嵐山】


『あ"〜〜!やっぱこれだわ!』

中の氷をジャラッと鳴らして、友人はジョッキをテーブルに置いた。アルコールが1ミリも入ってないオレンジジュースはなんだかちょっと水っぽくて、入れ物が大学生でも中身は子供のままの私みたい。

『“メイク上手くて尊敬します〜!私なんて今日めっちゃメイク薄くて〜”とか普通言うか!?男の前で!』

昨日の合コンで行きも帰りも1人だった可哀想な彼女を慰めるという名目で、大学近くの居酒屋に招集された私。今日はこの子の話聞きながらご飯が食べられるとてもラッキーな日。

「あはは、何て返したの?」
『ちょっとのメイクでも濃く見える顔つきなんだよね〜って流すしかないよね』

なかなかのテクニック。いかにも『お前のメイクは気合が足りてないんだよ、そんな顔で隣に並ぶんじゃねぇ小娘』なんて中指立てて噛み付いてきそうな見た目なのに、誰も傷付けない返事を返すのが彼女の良いところだ。代わりに自分が地味にダメージ受けてるのもちょっと可愛い。

『何なのあれ、自分はすっぴんでも可愛いってアピール?メイク濃い女は悪者なわけ?』
「まぁその子はそういうことを遠回しに言いたかったんだろうね」

やみつきキュウリとせせりポン酢を交互につまんでお腹の空き具合を伺いつつ、さっき注文したチキン南蛮の到着を今か今かと待ち構える。
たかが合コンだからって手を抜く女の子より、たかが合コンでも気合い入れてくる女の子の方が、たかが自分を一生懸命愛してくれそうなのに。よくわかってない人達は多い。すっぴんが綺麗な女の子が正義なんて幻想、何で中学校のトイレに流してこなかったんだろうね。

『どうして男はナチュラルメイクの女が好きなの!?性格良かったらわかるけどしょーもないマウント取るような女よ!?私だって好きなメイクして好きな服着て好きな人作りたいっての!それが何でこんなに難しいワケ!オイ神様〜!』

全速力で走って行ってぶつかって、転倒したらそのままウガー!って無茶苦茶になってくれる彼女が好きだ。転んでもすぐ起き上がって、何とも無いような顔して走らなきゃいけないと思ってた自分を馬鹿みたいだって笑える。
ところで、私も好きな時間に起きて好きなもの食べて好きな人たちと笑って年を重ねたいです。来年の初詣の時は神様の前でこのフレーズを使おう。

「ドンマイドンマイ、気にすんな。次いこ次!」
『あんた誰?』
「鳥貴族の社長」
『せめて神様出せや』
「あはは、真面目に慰めた方がいい?」
『別に何でも良いけどさ…そのバージョンも気になるから見せて』

なんなりと。今日は彼女を楽しませて、君がぶつかったのは発泡スチロールの壁なんだよって教えるために来たんだから。

「朝の忙しい時間使ってファンデ塗ったりカラコン付けたり、睫毛も綺麗に上げてから家出て来る人の方が100倍魅力的だし、そもそも同じ土俵に立ってないよ」

彼女が瞬きをする度に、ラメ入りのマスカラがキラキラ光る。強くてたまに弱っちい、自慢の友人。

『好きぃ〜あんたが男なら即結婚してた…』
「あはは、危ないところだったわ〜」
『ぶちのめすよ』

やばいやばい。話を逸らそうかと考えていると、丁度いいタイミングでチキン南蛮が到着した。一瞬にして意識が奪われる。

「うわ〜美味しそう…」
『最初に鶏肉を油で揚げた奴って誰なの?エジソン?』
「多分そう。たしかノーベル賞とってたよ」

出来たての揚げ物の前に人は皆無力になる。適当な返事をして早速お箸で一切れ掴み、サクっとひと口。

「おいしい…」
『ほんと美味しそうに食べるわね…』

だってほんとに美味しいから。親鳥、鳥本人、養鶏場の人、卸売業者並びにシェフへの感謝の気持ちを持って大事に食べるとしよう。箸休めに付け合わせのレタスをかじっていると、友人は急に私の顔をじっと見つめて、悪巧みをするように目を細めた。

『で、あのお方とは最近どうなん?』
「なんかハリーのオカンに封印されたらしいよ」
『ヴォルデモート卿の話じゃねぇんだよなぁ』

しれっと冗談を言っても期待通りの反応が返ってきた。やっぱり出来る女だ。残りのオレンジジュースを飲み切って、私も私の話をするべきだなぁなんて考える。
あの日のことはまだ誰にも言ってないし、人に言える話でもないと思っていたけど…今、この子になら話せる。溜めてても一円の得にもならない話だから、せめて彼女に聞いてもらって馬鹿だねって笑ってもらいたい。
箸置きにゆっくり箸を置いた。真正面に座ってる彼女と目が合うと何となく気恥ずかしくなって、頬杖をついて壁側のメニュー表に視線を滑らせた。

「うん。何ていうか、この前うっかり告白しちゃったんだよね」
『は?』
「したら振られちゃった」

店内のBGM、セカオワの新曲。目の前の人のポカンとした顔。

『……ハア!?!?』

心臓が一瞬止まったみたいな間の後、周りの人がちょっとギョッとするくらいの声量を出す。

「声でか」
『え、は?聞き間違い?いや…待って一旦落ち着こ?』
「君がね」
『いや逆に何でそんなに落ち着いてんだよお前!!意味わからんわマジで!』

明らかに気が動転している彼女から、さりげなくお冷の入ったグラスを遠ざける。

「まぁ2週間近く前のことだから、気持ちの整理もついてきたかな」
『オイもっと早く言えやァ…何で?何がどうしてそんなことになったの?Apple倒産した?自転の方向逆になった?』

そんなに信じられないことと並べられても。所々でちょっと面白いこと言うの、笑いそうになるからやめて欲しい。
事実だけを述べたさっきの説明に補足するように、自分の見解を話す。

「友達同士じゃずっと一緒には居られないんだろうなってわかってたんだけど…一緒にいる時間を重ねれば重ねるほど、どんどん気持ちが欲張りになって、もっと長く一緒に居たいなって思ってしまって」

何かの拍子で点いてしまった灯りは一人で守れるものではなくて、迷惑になるくらいならいっそ消してしまった方が良かった。

「でも向こうは私と同じ気持ちじゃなかった。だからもう、今までみたいに一緒には居られない」

収めていた悲しい気持ちが起き上がってきて、誤魔化すためにチキン南蛮を食べた。まだ暖かくて、こんなに簡単に説明できる出来事なんだって感じて、私が受けたのはスマホの画面にヒビが入ったのと同じくらいのショックなんだって思いそうで辛かった。

ぶつかっても、地面に倒れて思いっきり泣き喚くことが出来ず、無理矢理にでも立て直してただひたすらに走り続ける。きっとそれは放棄することと同じだ。

『はぁ〜〜〜!?なんだそれ!?おい誰かマジで嵐山呼んでこいよ!何なんアイツ……』

私の代わりに彼女は声がひっくり返りそうなくらいに息を吐いて、思いっきり不満を口にしてくれる。
自分に出来ないことを簡単にやってのけるのが少し羨ましくて、私のために吐いてくれた溜め息だと思うと嬉しくて、今彼女が逃してしまった分の幸運は私がこの先何年かけても、少し多めにして彼女に返してあげようと心に決める。

「ありがとう。でも、私が勝手に暴走しただけっていうか…向こうの良心に漬け込むような好意は、図々しすぎたよなって反省してるところもあるから」
『あーくそ、焦ったいな…もう言っちゃうけどさ、私がアンタを合コンに誘って嵐山くんに呼び出されたことあったじゃん?あの時連絡先交換したのね。何でだと思う?』
「何で?」

突然思ってもなかったことを明かされて、思考する間もなく聞き返す。

『合コンある時は先に日程を教えて欲しいって。誘う日が被ったらあんたを困らせるから』
「教えたの?」
『まぁ1回だけね。でも普通、友達にそこまでの労力割くと思う?』
「うーん…するんじゃない?好きなら合コン自体止めるでしょ」

自分で言っといて悲しくなる。好意がなかったことよりもむしろ、彼にそこまで気を遣わせてしまう関係だったことがショック。

『ヴ……たしかにそうか…これ何言っても駄目じゃん……もう私と新しい男探すかぁ?』
「いや〜しばらくそんな気分にも、」

なれないかな。を彼女の大きな声が遮った。

『ダメダメ!私たちが若者でいられる時間なんて一瞬なんだよ!?1秒だって無駄に出来ないんだから!男の傷は他の男で癒やす!これが一番の治療法!』

自分の経験を元とした主張は、その勢いだけが説得力を醸し出している。

『来週ちょうどセッティングしてる集まりあるから来れば?アンタと地元同じリュウヤくんも来るらしいよ』
「誰だよ。全然知らん」
『そーなの?向こうがアンタのこと知ってたから仲良くなったんだけど。ほら、1個上でさ、中学の時よく一緒に遊んでたって』

中学の時の知り合いなら、多分あの公園で集まってた軍団の中の一人だろうな。年の近い、家に帰りたくない子たちが集まってた夜の公園。行けばいつも顔見知りに混ざって全然知らない人も普通にいたし、大半の子は名前もほとんど知らなかった。けど少しだけ、その名前には心当たりがある。

「あー…もしかしてあのリュウヤくんかな……でもいいや、何か気まずいし」
『えなに、元カレ?』

一度名前と顔が結び付けば、空気を抜いて片隅に収納してた思い出がふっと息を吹き返すように蘇る。どうせだから、しょうもない勘違いを解くための笑い話として提供しよう。

「なわけ。たしか昔、リュウヤくんと何人かで焼肉食べたことあるんだけど、その子ちょけて頼んだ肉ほとんど生のまま食べてたんだよね。マジでドン引きして、それからちょっと距離置いてる」
『あははっ!何それ!想像の100倍意味わからんくてウケる。いいじゃん行こうよ。何食べたい?って聞かれたら私絶対焼き肉って言うから』
「確実つまんないよ、食べ物で遊ぶ人嫌い」

面白がって乗ろうとする彼女にやめておいた方が身のためだと諭して、食事を再開。まずやみつききゅうり、せせりポン酢。

『まぁ確かに生肉は治安悪いわ。よし、私その手の友達に連絡して良さげな人いないか聞いてみる』
「何者だよ」

完全に冷めないうちにチキン南蛮を食べてしまおう。思い立ってから10秒もしない間に何処かに電話をかけはじめた友人を他所に、私はこのタイミングでお喋りを休んでお腹を満たすことに専念する。

『ノゾミちゃん?いきなりごめんね、今何してる?いやちょっとノゾミちゃんに紹介したい子がいてさ。あ、そーそー!その子!え、今から?マジ!?え、全然いいよ。場所はLINEで送るね』

会話の内容はだいたい察知できたから、通話を切ったタイミングで顔を見合わせる。

『今から来るって』
「ノゾミちゃんフッ軽〜」

まさかこんなに早く恋愛コンシェルジュが来てくれるとは…2杯目は烏龍茶にしなくちゃ。


ほどなくして居酒屋に降臨したのはブロンドヘアーの美人。先週アマプラでこういう女の人が出てくる映画を観たばかりだ。三門にこんな遺伝子あったんだ…と低俗なことを考えながらも、それがバレないように姿勢を正して初めましての挨拶をする。

『こんにちは、初めまして。2年の加古望よ。よろしくね』
「よろしくお願いします」

面接のような挨拶から始まり、それから起こったことをありのままノゾミちゃんに話した。

『何それ…有り得ないくらい酷い男ね。そんなの切って正解よ。私がもっと良い人紹介するわ』

どうやら彼女は女の子の味方らしい。机に放り出された私の手をギュッと握り、熱の籠った瞳が告げた。
友人は何故かノゾミちゃんの隣で私以上に真剣に頷いている。
何この恵まれた空間…と、呆気にとられていると、早速ノゾミちゃんが男の写真を見せて聞く。

『この子なんてどうかしら、国際学部のリュウヤくん』
「出たなリュウヤくん。ていうかコイツ人脈広いな」
『先週ナンパされたの。かなりしつこかったからきっとやり手よ』
「ノゾミちゃん、ナンパしてきた男を私に紹介しようとしたんですか?」
『あら、悪い子ではなさそうだったのよ。食品ロス削減の取り組みについて熱い思いを語ってくれたし』
「私の知ってるリュウヤくんじゃなさそうだな…」

初手からかなり濃い奴が来たな…なかなか先が思いやられる。でもリュウヤくんは生肉だからとりあえず却下で。私のいまいちな反応を見てノゾミちゃんは写真を引っ込める。

『どんな人が好み?』
「なんかこう、家庭を大事にする系の人がいいです」
『そうね…それは深く関わってみないとわからないことだけれど、でもまぁ心当たりがないこともないわ』
「ほんとですか!」
『えぇ。ただその人、金髪でヤニカスなのよねぇ』
「確かに人は見た目じゃないんだけど、パスしていいですか」

女を殴る男ビンゴにリーチがかかっている。その後も何人かの男性を紹介してくれたけどなかなかこれだという人が見つからず、人選は難航。流石にノゾミちゃんも少し困って、『逆に駄目な条件はあるかしら?』とより詳しく的を絞るために質問を重ねた。
答えはちゃんとあるけど、考える素振りをしてから答える。

「駄目ってほどじゃないんですけど…そんなに忙しくない人がいいです」
『とにかくボーダー隊員は駄目なんだよね』

私がわざとかけた言葉の靄を友人が遠慮無く吹き飛ばした。…本当に心強いな。私が生まれ変わって市長とかになる日が来たら秘書は絶対この子になってほしい。

『あら、私もボーダーなのよ』
『え!?嘘…!』
「…まじ?」

彼女は私たちの反応を見て『ほんとよ』と微笑した。
心臓がドクンと大きく反応する。こんな時にノゾミちゃんに彼の名前を言わなくて良かったと安心してる私はやっぱり卑怯な奴だけど、ここでボーダーの人に会えたのは何かの縁なのかもしれない。

「ノゾミちゃん、」

あの時私は自分が彼と同じ物を見てると勘違いして、気持ちを告げることを優先してしまった。
もう遅いかもしれないけど、彼女に聞けばもしかしたら、彼の見てるものが何なのか少しくらいわかるかもしれない。

「2つ、聞いてもいいですか?」

今ので1引かれても残るように2つと言ったのに、彼女は頬杖をつきながら余裕っぽく微笑んだ。

『3つでも4つでも答えるわ』

どんなものを見てどんな時に心を揺らせば、こんな素敵な返事をサラッと返せる人になるのだろう。
頭の中で絡まっている曖昧な疑問を、ひとつひとつ言葉で解いて整理していく。

「プライベートで好きな人作ったり、家庭持ったり、そういうの社会人になったらみんな当然みたいに仕事と両立してやっていくわけじゃないですか。でもボーダーって常に危険と隣り合わせの場所で戦ってて、それこそいつ死ぬかわからないっていう表現が大袈裟にならない仕事で…」

新聞配達。一面にボーダー批判の記事が載っていた日、彼の家にだけその紙面を抜いて投函したことがある。その一枚の記事のせいで私はこの街の人達に少し失望した。それでも彼に何も返すことはできなくて、一度見てしまった溝は意識すればするほど、大きく感じられた。

「ノゾミちゃんは、そういう立場で恋愛するの、怖くないんですか?」

一言一句しっかり受け止めるように小さく頷きながら聞いていたノゾミちゃんは、しばらく考えるように黙り込んでから優しく私と目を合わせて、質問に対しての答えとなる話を始める。

『ボーダーはね、やっぱり責任感の強い人が多いから実際に恋人がいる人なんてほとんどいないわ。この仕事を続けるために大好きな奥さんやお子さんと別れた人だっているくらい』

彼女が回したグラスの中で、氷がカランと音をたてた。一瞬伏せられた瞳から、手の届かないところにある寂しさが滲む。

『たとえ帰る場所を作っても私達は、自分がそこに帰ってくるって保証を作れないのよ』

相槌を打つことが出来ない私に、彼女の苦しみはわかるはずないのだ。こんなに簡単に話を聞くだけでわかっていいはずもない。

『貴方の言う通り、この仕事は危険と隣り合わせよ。でも他の職業との一番の違いは、自分の仕事の出来が市民の生死に直結するってことね。だからみんな、それなりの覚悟を持って集まってる』

他人のために命を尽くせる覚悟。それがどんなものか私には全然わからなくて、わからないものは少し怖い。
でもそれが彼に見えていて、私に見えてない現実の話なんだろう。

『人を愛することって本当に難しいわ。相手を大切に思うだけじゃなくて、相手から大切にされることを受け入れなくちゃいけないもの。それって命をかけて戦う時に、足枷になるでしょ?』

私にとって『人に大切にされる』というのは生きるために重要な必需品の1つで、足枷になるなんて考えたこともなかったから、想いを馳せることしかできない。ノゾミちゃんは表情を柔らかく崩して続けた。

『でも私は、その足枷は私達を駒じゃなく人間として生きることに繋ぎ止めてくれてるんだって思うの。それに、自分が誰かを大切にする気持ちは命をかけて戦う理由になるのよ。そういう関係ってすごく有り難くて、素敵なことじゃない?だから私はボーダー隊員であることに誇りを持ってるし、後悔しないように好きな人には好きって言うことにしてる』

頭上から爪先にかけてピンと糸が通っているような、心の美しい人だ。歳なんてたった1つしか変わらないのに、見てるものがやっぱり全然違う。こういう人が国連で演説をするべきだ。この話を聞けばきっとみんなこの人を好きになるから。

『もし、貴方の好きだった彼がそういう人だとしたら、もう一度本心を確認してみてもいいんじゃないかしら』

何もかも見透かしたようにノゾミちゃんは微笑むと、見破られたことが急に恥ずかしく思えてきて小さく頷いて返事をした。

それからたっぷり1時間使って色々な話をしてからノゾミちゃんとは居酒屋の前で別れた。それでも私と友人はまだ話し足りなくて、駅前のコーヒーショップに入った。
カロリーについては考えることを放棄して、キャラメルラテにホイップを追加。

『あんた、もっと自分のこと大切にしなさいよ』
「ふふふ」

窓際の2人席、甘味を感じて呑気に頬を緩ませる私と、ブラックコーヒー片手に真剣顔の友人が向かい合う。

「どうしてそんなに私のことに真剣になってくれるのか、逆に聞いてみたい」

たくさん話したせいで口が緩くなってる。
普段ならわざわざ口に出して聞いたりしないことを私に聞かれた彼女は、照れたように窓の外を見て、両手をカップに添えた。

『私はずっと女の友情なんて男一人で崩れちゃう脆いものだと思ってた。でもあんたは嵐山くんじゃなくて私との約束を優先してくれたでしょ。その時に、この子とは一生付き合うって決めたの』

あぁ、そんなこともあったっけ。確かにあの地獄の合コンの件から彼女とつるむ機会が増えていたような気がする。自分では優柔不断だと感じていた短所を彼女は大切にしてくれてたのか。

『いい?私もあんたも絶っ対に幸せになるの。なれるの!その時隣にいるのは嵐山くんじゃなくてもいい。大事にしてくれる人は探せばいくらでも出会えるわ。あの人が一番なんていうのは、ただ自分がそう思いたいだけの都合の良い夢よ』

彼女が強く断言する。もしかしたら私は今も夢を見てるのだろうか。思い出しただけで心がこんなに傷むのに、覚めない夢。こんなに辛いならもう逃げ出してしまいたい。
もう一生恋とか結婚とかできなくてもいいから、私の名前の漢字を一画ずつ分解して、辛から幸になるのに使うための部品に変えて、昔CMで見た発展途上国の子供たちに送りたい。あの時嫉妬してごめんなさいって。でも私は本気なのに周りの人には馬鹿にしてるみたいにしか受け取ってもらえなくて、いつか「人と人とはわかりあえない」とかわかったような顔して言っちゃう人になってしまうんだ。何処で間違ったんだろう。

「心の内側に空間があって、そこから居なくなった人の形に穴が空くの。私はあと何人と出会って、心に何種類の穴を空けなきゃいけないんだろう。人間がオゾン層破壊しながら生きてるみたいに、息するのと同じくらい当たり前に自分を殺さないと、幸せにはなれないのかな」

何を当てはめてもぴったり埋められない穴は、一生治癒しないまま静かに、存在することが当たり前になっていくだけで。そんなことを繰り返しても幸せになれるとは思えない。
駅前のコーヒーショップでこんな会話、誰かに聞かれてたらちょっと恥ずかしいな。

『誰も…誰かの代わりになんてなれないのよ。私達は今生きてる時間しか生きてない。昨日のあんたはもう死んだの。だからいつまでも自分を可哀想だなんて思うな!』

彼女は力一杯に言い放つとホットコーヒーを一気に飲み干した。私は見てるだけで喉が熱くなって、ちょっとだけ泣きそうになる。だって言ってることが、すごくよくわかるのだ。どんなにマイナーなバンドの歌詞よりも深く、私のど真ん中に刺さる。
私もキャラメルラテの残りを飲み切って、少し大袈裟にカップを置いた。

「私、合コン行くよ」

誰かにとってはしょうもないことでも、私にとっては自分を変える大きな決心。
その気持ちをきっとわかってくれている彼女はニッコリ笑って頷いた。

『来週土曜、フル装備で来なよ』

スマホを出して、空白だらけのカレンダーに予定を入れる。
その時、息を吹き返したように思い出したのは予定がびっしり書き込まれたカレンダーと、一番最初の土曜日に彼がマル印をつけたこと。




**


土曜日。いつもより若干気合い増しめの服装で家を出る。
時間も場所も決めていなかったのに、予想してた待ち合わせ場所で、予想してた集合時刻よりも前に来てた彼を見つけた。
一体いつからここに居るんだろう。すぐに声を掛けたい気持ちを抑えて、大回りしてこっそり背後をとる。

やっぱり、彼のことが好きだ。同じ気持ちじゃなくても、一緒に居られなくてもいい。これが最後になったって、ちゃんと言うんだ。ずっと応援してるよって。

踵を地面から離して、めいいっぱい背伸びした。彼の目元を手で覆う。

「だ〜れだ」

体温の高い私の手に冷たい手がそっと重なる。

振り返ってこっちを見た嵐山は、少し泣きそうな顔をしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?