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エーデルワイス 【犬飼】


その日は空気が透き通っていた。
ぽつぽつ降っている雨の匂いが夜の香りと混ざり合って、空気を吸い込めば身体の奥がひんやりする。夜道を一人で歩く時って無性にテンションが上がる。今日みたいに人の気配がない夜は尚更だ。

街灯の光を映してギラギラ輝く水溜りの水面を「それ!」と軽めに蹴飛ばした。光は一瞬揺らいだけど、ガムみたいにしつこく地面に張り付いている。お腹空いたし早く帰ろっと。
そう決めてから五歩進んだところで、私は今日持って帰るはずの体操服袋が手元に無いことに気が付いた。立ち止まって確認する。鞄の中には…入れていない。誰にも…貸していない。最後に見たのは…隊室の机の上。間違いない、置きっぱなしだ。
基地本部に続く地下通路まではすぐに引き返せる。しかしそこから目的の場所まで普通に歩くとすると、往復で30分…次の防衛任務のシフトは明後日の日曜日。月曜3限の体育の授業。…よし、とりあえず引き返そう。地下通路はトリオン体でダッシュすればそんなに時間はかからないし何より疲れない。思い切ってくるりと踵を返した、その時だった。
さっき私が出てきた地下通路の入り口となっている場所の、外壁に背をつけて立っている人影を見た。
出入り口から出た時の視界に入らなかったから、きっと今振り返らなければ気付くことも無かっただろう。

それにしても、一体こんなところで誰が何を?
不審に思った私は忘れ物を取りに帰ることを忘れて立ち止まり、少し遠くから様子を窺ってみた。

暗闇の中でも存在感を放つはずの明るい金髪の彼は、冷たい土の中で呼吸する微生物のように静かに、ただそこに佇んでいた。スマホを見るでもなく、音楽を聴くでもなく、空を見上げて千切れた糸みたいに細い雨粒が降っている様子を眺めている。

傘忘れたんだろうな。でも、そこまで気にするような雨でもないのに。声をかけるかどうか迷っているうちに、パチッと火花が散るような勢いで目が合ってしまった。
ええい、聞いちゃえ。「それ!」の勢いで声を出す。

「何してるの?」

あ、ボーダーの先輩だったらどうしよう。礼儀とかそういうの全部置き去りにしたまま出て行った言葉が相手に届く。

「うーん。ちょっと考え事」

返事はすぐに、思ってたより明るい声で返ってきた。川の向こう側にいる人と話してるみたい。ちょっとわくわくするかも。

「途中まで一緒に帰らない?」

もう少し近くで見てみたいと思って誘ってみると、その人は少し考えるような間を置いてから、壁に貼り付いていた背中を剥がした。
目の前に来てやっと、彼が六頴館の制服を着ていることに気が付いた。

「何年生ですか?」
「2年です」
「あ、一緒だ」

隣に並んで歩き始めたタイミングで傘をそっと閉じた。彼を傘に入れるのも、自分だけ入るのも何だか気まずくなるような気がしたのだ。そしたら彼は私の行動の意図を読み取ったみたいに笑う。

「雨、まだ降ってるのに」
「降られたい年頃だから」
「何それ」

外が暗くてもわかった。丸っ切り愛想笑いだった。

ひとまず自分の名前を名乗ると、「犬飼澄晴です」と彼が名乗り返す。名前を聞いて、あぁこの人がそうか。と、もう一度顔を見た。噂だけを頼りに思い描いていた人物と本人はあまり似ていない。
才能を買われて二宮さんの隊に入ったとか、腕は良いが性格は悪いとか、みんなが時々噂をしているのを聞いていたから、ボーダーに『犬飼』という名の同級生がいることは知っていた。でもただそれだけで、今まで下の名前はおろか顔すら知らなかったし、すれ違ったことはあるかもしれないけど会話を交わすのは初めてだった。

「家どの辺?」

そんなナイストゥーミーチューな彼の質問に応じて何の疑いも無しに家の場所を説明すると、彼は「じゃあ、あのコンビニのところまでは同じ道だ」と、また薄い笑みを浮かべる。

「いつもこれくらい遅い時間でも一人で帰るの?」
「まぁ、だいたいは」
「危ないからやめた方がいいよ」

会ったばかりなのに心配してくれるだなんて、優しいところあるじゃん。口先だけなら誰だって言えるけど、実際そんなものですら言ってくれない人の方が多い。彼の心遣いには口先だけでもお礼を告げなくちゃ。

「ありがとう、気を付けるよ。でもちょっと考え事したい時に、こういうのが丁度良くて」
「そっか。そういう場合はまぁ、仕方ないかもね」

2人ともお互いの考え事について深掘りはしなかった。代わりに、その場を繋ぐための丁度良い話題を使う。

「同じ歳なのに、今まで全然話す機会無かったよね」
「私たまにしか来てないから。外でバイトやってて」
「へぇ〜ボーダーでは結構珍しいよね。そういう人」
「そうかもね」

私は、これを社会貢献活動の一環として捉えている。仕事だと思ってないし、生き甲斐でもない。流れ着くように今の場所に収まっただけで、上を目指す心意気とか立派な目標もないし、私怨や競っている相手もいない。私にとってボーダーでの活動はバイトや学校生活と同じように、生活の中の時間割の一部で、バランス良くこなしていく日課に過ぎない。
だから、全力注いでやっている人達と隔たりを感じている部分はある。犬飼澄晴と今日初めて話したのも、そういう理由で今までに接点が無かったからだ。

「あー…やっぱそうだ。君、ショッピングモールの1階のジェラート屋さんでバイトしてるよね?」

少し背を曲げて顔を覗き込んできた彼の瞳の色がエメラルドグリーンで、単純な感想だけど綺麗だと思った。
しかし、まさかこんなところでバイト先を言い当てられるとは思わなかったな。

「どうも、ご利用ありがとうございます」
「あの店のぶどうジェラート美味しいよね。俺、一時期めっちゃハマってた」
「あれ期間限定だから冬には無くなるよ」
「マジか!ショック〜」

私が良かれと思って教えた情報を聞いて彼はわかりやすく肩を落とす。そんなに大袈裟に反応することなのかな。あのフレーバーはクッキーアンドクリームとかに比べたら売れ行きは全然イマイチなんだけど。

「ジェラート好きなの?」
「俺がって言うよりは彼女がね。女の子ってあぁいうお店好きでしょ?」
「なるほどね〜」

デートコースの一部ってわけだ。まぁ確かに、男性一人でいらっしゃるお客様は少ないし、あの店のジェラートはお手頃プライスだから高校生カップルには丁度いいのだろう。

「今度お店で会ったらサービスするよ。もちろん彼女さんの分と一緒に」
「やった、それは絶対行かなくちゃ」

どんな方向に会話を広げるかをよく考えてなくて、口を衝いて出たのはリップサービス。店長がシフト全然入れてくれないから私は今月であのバイトをやめる。それまでにガチで機会があれば責任持って奢るけど、この人はどうも来そうにない。

すぐ傍の川から歩道に向かって冷たい風が吹いていて、足を進める速度が自然に速まる。話すこともなくて、彼は鼻歌を歌いながら川の方を眺めていた。真っ暗で何も見えない川は少し怖い。時々、街灯の光が反射して水面がキラキラ光っているところがある。自分で誘っといて何だけど、知らない人と夜道を歩いてるこの状況も少し怖かった。

それ!で踏み出した一歩はたまに後悔を招くから、私はしょうもないことである日突然コロッと逝っちゃって、みんなをびっくりさせるような気がする。危なっかしいというか、愚かというか何というか…。でも一体どっちの方が気持ちが楽なんだろうか。たくさん迷って決断してから出会う後悔と、それ!で出会う後悔は。
わからないけど、きっと私はたくさん迷える忍耐強さを持っていないんだろうな。だからいつも中途半端で、新しく足を掛ける場所ばっかり探してる。何も長続きしない。新しいものばっかり。まさかこれって…オダノブナガ?

「ね、あそこ鳥いるよ」

どうしようもないところまで飛ぼうとしていた意識が彼の声に引っ張られて、忘れかけていた隣の人の存在をふと思い出す。指先が指した暗闇の中には、川に浮かぶ鳥の影が見えた。

「鴨かな」
「そうかもね」
「…」
「いや、今のは事故」

…鳥肌が立つところだった。
引くとか驚くとかを越えてどんな反応すればいいかわからない。でも何か言わなくちゃって焦ったせいで緊張感が抜けてしまい、意味不明な笑いが込み上げてくる。

「っふ…ふふ…」
「ねぇ」
「あははっ!ごめんなさいっ!」

笑い声に混ざる謝罪の言葉は滑稽で、多分この人にめちゃくちゃ変な奴だと思われてるんだろうなぁなんて感じても笑いは止まらない。
そんな私を冷たく静かに見つめて、犬飼澄晴は諦めるように溜息を吐いた。普段のテンションを知らないけどきっと今かなり低めのテンション。病院の待合室で全然おもしろくないピン芸人のネタ見せられてる人みたい。そんな人いるかどうかは別として。

「ごめんね、馬鹿にしたわけじゃないの」
「ううん。会話に困って『鳥いるよ』とか教えた自分に呆れてるだけだから」

言葉に棘しかないんだが。後でそんな皮肉を言ってもあのギャグは一生寒いよ。永久凍土だ。しかもそれってもともとは君のせいで、自業自得なんだが?

「私も自分から声掛けといて、気まずいなぁって思ってたから丁度良かった」

棘には棘で、同じ手口でやり返す。別に私も好印象を与えたいなんて最初から思っていない。
反撃を受けた犬飼澄晴は眉をちょっと顰めて不満そうにこっちを見た。

「君ってさぁ、変な人だってよく言われない?」
「遠慮無さすぎでしょ。普通そういうのは思ってても言わないよ」
「確かに。俺もそれはよく言われる」

会話が絡まりそう。何これ。何こいつ。よく考えたらこんな時間に傘も持たずに外でボーッと立ってる奴がマトモなわけないな。今後は軽い気持ちで変な人に声をかけるのはやめよう。この失敗は必ず次に生かす。またひとつ賢くなったと思うことにしよう。
とにかく、犬飼澄晴が性格悪いって噂されてる理由がなんとなくわかった気がする。今私が肌で感じてる居心地の悪さが根拠。この人は、思ってても普通は言わないようなことをズバッと言ったりする人なんだ。

「でもまぁ…そういうの正直っていうのかもね」

遠慮の無さは見方を変えれば、プラスにも受け取れる。今も彼が言ってくれたおかげでちょっとだけ息がしやすくなったし。
私も見習って、もうちょっと正直になってもみてもいいかもしれない。よし、それ!の勢いでいこう。それ!

「本当はあのバイト、今月でやめるの」
「え、急に何?」
「君とか君の彼女にサービスするつもりは、最初から微塵も無かったんだよ」

心の蟠りを解消するためのカミングアウト。自分の最低なところを人に教えると、少し心が軽くなるみたいだ。

「いやいや、言われなくてもそんなのわかってるよ。俺だってサービスされるつもり微塵も無かったし」

しかし、私が多少の覚悟を決めて言ったことを彼は軽々しく笑い飛ばした。絶対とか言ってたくせに!これは常習犯の笑い方じゃないか?

「じゃあ私達、マジで空っぽの会話してたってこと?」
「むしろ空っぽの会話以外してないよ、初対面だし」

オブラート…?いやもうそんなこと言ってたらキリがない。こんなところで無駄遣いできないの、オブラートは。ここぞって時に使うから。そういうことだな犬飼澄晴?ムカつくなお前!
間違いない、私に含まれてる有害物質と同じ成分のものが彼の中にも入ってるはずだ。

「あと、遠慮無いのと正直なのはちょっと違うと思うな〜」
「うるさいな!」

今の追い討ちはかなり鬱陶しい。遠足で山登ってる時に海の青さと空の青さの違いを永遠と説明してきたヤマモトくん以来の鬱陶しさ。
やっぱり『正直』ってマイナス要素かも。余計なことまで言っちゃうし知っちゃうし、知らぬが仏ってことわざ残してくれた先人には申し訳ないことしたな…
どう考えてもこれは犬飼澄晴の性格が悪いと思うけど、でもこの出来事をめちゃくちゃ還元すればこいつに声かけた私が悪かったりするのかな…

前に歩いてる人の靴の踵を踏んで喜ぶ小学生みたいに、犬飼澄晴は私を散々揶揄い倒してから、やっと少しだけちゃんと笑った。

彼は、思ったよりも静かに笑う人だった。



**


一緒に帰ったあの日以来、犬飼澄晴と私は今まで通り一切関わることなく過ごした。
私が夜遅くに一人で帰る時も、彼があの場所に立っていることは勿論無かったし、何事もなくジェラート屋のバイトもやめて、明日はパン屋の面接に行く予定だ。
午後から入ってる防衛任務に備えて、食堂で一人うどんを食べていた時。後ろから伸びてきた手によって突然視界がシャットダウン。
真っ暗な中でうどんをすすれるはずもなく、その手を外して振り向くと国近はへらりと笑った。

『やほ〜ご飯食べに行こうよ〜』
「うどん食べ中なんだが?」

正気かコイツ。挨拶がてら私の頬をむぎゅっと手で挟んで楽しんでる彼女にされるがままになっていると、視界の端で黒い服の袖が動く。目の前の椅子がガタンと引かれる音、顔を向ければこんにちは王子一彰。

『君、今日の防衛任務18時までだよね?みんなで晩ご飯食べに行くからおいでよ』

こちらの警戒心を解くためみたいに笑って、彼は机に頬杖をつく。私はこの男が心底恐ろしかった。

「明日バイトの面接があるから、今日はやめておこうかな、と…」
『何時から?』
「……まぁ、夕方から…」
『じゃあ問題ないね』

正当っぽい理由を用意してもモグラ叩きのように秒で潰される。この男を寄越すなんて、みんなは随分本気を出してきたな…

『そろそろ出席しなよ』

君くらいだよ、いつ誘っても出席しないのは。彼は呆れるように言う。

王子とは1年の時にクラスが一緒で、私は当時から彼の尻に敷かれていた。例えば、テストの日に提出する漢字プリントを1枚だけ忘れた彼は、悪びれもせずに私のファイルからプリントを奪ってこう言った。『君はどうせ出さないからいいだろう?』
またある日は、彼が発したネタが古すぎて誰にも伝わらず沈黙を生む。そしたら彼はパン!と一拍、手を叩いて私に向かって言った。『僕が何か言ったら、君は笑うんだよ』私は怯えながら笑った。
とにかく彼はとんでもない奴なのだ。頭も良いし人の動かし方を知っているし、遠慮をしない。つまり、逆らえば死ぬから平民は大人しく頷くしかない。

「いつも行ってなさすぎるから逆に行きにくくなっちゃってるんだよね」

別に行かない理由は苦手な奴がいるとか人とご飯食べるのが嫌だからとかじゃない。行けばきっと楽しいはずだ。でも何となく、みんなの中に混ざってしまうと自分と他の違いが明確になって、余計に自分が浮いてしまう気がする。私はどうしても勝手に距離を測ってしまう気性があるけど、これ以上みんなとの距離を感じたくも無くて。感情と行動の不一致を止められないから、傷付かないために何もしないっていう選択を取る。

『そんなショボい理由で断られるこっちの身にもなってほしいね』
『ね〜。折角焼肉食べ放題なのに』
『ソフトクリームの機械もあるらしいよ』
「どうやら君たちは私のことまだ小学生だと思ってるね」

王子と国近のゆるい説得を軽く流してうどんすすりを再開。国近はほぼ諦めモード、王子は次に何を言おうか考えてるみたいだった。

『お〜、説得できたか?』
『まだちょっとかかるね』

手ぶらでふらふら現れた当真勇に、王子がちょっと強がった返事をする。当真は少し姿勢を前屈みにして私に言った。

『来いよ〜俺ら友達だろ?あと1人来ないと団体割引効かねぇんだわ』
『あ、別の方向で説得してたのに』
『こーゆーのはハッキリ言ったほうがいいんだよ』

なかなか引かないと思ったらそういうことか…!くそ、当真。正直な奴め…その真実はちょっと知りたくなかった。

『まぁ僕らは学生だし、団体割引という恩恵に預かりたい気持ちもわかるだろう?』
『焼肉食べ放題だよ、ソフトクリームの機械もある』
『割り勘したらかなり得だぜ?』

コイツら……ついに本性を表しやがったな。所詮私は割り勘する時の母数の1つに過ぎないってわけ。

「なんか微妙に腹立つ…」

なかなかうんと言わない私を見て、当真が『こりゃもっと口が上手い奴呼んでこねーとな』と冗談っぽく笑って辺りを見回した。一筋縄じゃいかないのはお互い様だ。

『まぁ頭数が足りねぇっていうのも確かにそうだけど、お前を誘ってんのはそれだけが理由じゃねーんだって』
「もっとみんなと関わりを持てって?」
『そゆこと。お前と喋ってみたいって思ってる奴もいるだろうし、顔見知り増やすのは良いことだぜ。な、犬飼』

当真がたまたま通りかかった犬飼の肩に手を置いて話を振る。突然のことだったのに彼はピタリと足を止めて、私たちの方を見てさらりと言った。

「来たくない人は別に来なくてもいいんじゃない?」

何コイツ…部活の先輩?怖すぎる。

『おい〜何でそういうこと言うんだよお前は〜』
「いやいや、こういうのは無理矢理連れて来るものじゃないって」

じゃあまた後で、って構うことなく去っていく犬飼の背中を4人で呆然と見つめる。あれは後輩とめちゃくちゃ壁のある部活の先輩の動きだ。意地悪とかではないけど親しみもゼロ。

『犬飼ってあんなハッキリ言う奴だっけ?』
『さぁ。ご機嫌斜めなんじゃない?』
「…私もしかして、犬飼に嫌われてるのかな」

国近、王子に続いて私が声を潜めて言うと、当真は『そうかもな』と軽く笑った。これは……

**

『で、結局来ちゃうのが君の良いところだよね』

真向かいに座った王子はニコニコ笑顔で塩タンをガバッと5枚くらいトングで掴んで一気に焼く。彼の隣に座っている、本日初めましてピープルの蔵内が重なった塩タンを剥がして網の上に置き直していた。

『でも一度話したいと思ってたから、いい機会になったよ。面白い話も聞けて楽しかった』
「や〜どうも…」

2回目のソフトクリームをちみちみ食べながら蔵内の優しい言葉に恐縮。こういう先輩がいる部活に入りたい。

『ね、ずっと聞きたかったんだけど、あの話ってホントなの?1年中間の英語の話』
「待って、黒歴史だからやめて」

何処でその噂を聞きつけたのやら、加賀美ちゃんから好奇心いっぱいの視線が向けられる。

『あ〜それってマイクをミケって和訳して欠点とった話でしょ?』
「王子やめろ」
『みんなが90点以上とるような初回のテストで欠点とったから、学校の創立以来初めてだって逆に盛り上がったんだよね』
「私はガチでやったんだよ」

定期テストで一番タメになることは、無知は恥だって思い知らせてくれること…。

『もしかして…無回答0点じゃなくて、回答欄全部埋めて0点取るタイプだったりする?』
『健気だ…』
「そ…ソフトおかわりしてくる」

憐れみの空気が居た堪れず、逃げるように3度目のソフトクリームを取りに行く。はぁ…危ない危ない。成績いい人達にはわからないだろうけど、ああいうのはウケを狙ってやってるわけではないのだ。結果が酷いから結局ネタにするしかなくなるだけで。とにかく、もう一度甘いものを摂取して心を落ち着けよう。
この店にはドリンクバーコーナーの隅にソフトクリームのマシンがあり、チョコソースやコーンフレークをトッピングしてオリジナルソフトを作ることができる。食後のデザートサービスとはいえ、味のクオリティは中々高い。
次はどんなトッピングにしようか考えながら店内を歩いてドリンクバーコーナーに辿り着くと、同じく向こうからやって来た犬飼と鉢合わせた。

「あ、結局来たんだね」

彼は空のコップを3つも持ってドリンクを入れに来たようだ。声を掛けてきたくせに返事も待たずにカップをセットして、烏龍茶のボタンを押す。

「犬飼もソフトクリーム食べる?入れてあげようか」
「俺の席まだ全員肉食べてるんだよね」
「私は甘いものとしょっぱいもので交互に攻めてる」
「満喫してんな〜」

また空っぽの会話を繰り広げて、私もソフトを盛るための皿を新しくとり出そうとした時。彼が思い付いたようにあ。と声を上げた。どうしたのだ、と黙ったまま視線を送る。

「これメロンソーダの上にソフト乗せたらフロートになるんじゃない?」

今何て言いました?メロンソーダの上にソフトクリームを乗せるだって…?

「待って待って待って…天才?」

皿に伸ばしていた手を引っ込めて、代わりにコップを取り出した。これは当然、やるっきゃないでしょ。

「その提案、乗るよ」
「よしきた」

思い付いてしまったからにはもう、私たちを止められる者はいない。背の高い2つのコップにしゅわしゅわとメロンソーダを注ぐ。

「協力プレイで行こう」
「頼んだよ、元ジェラート屋」

同じものを作るってだけで突然謎の仲間意識が生まれる。私がコップを持って待ち構え、犬飼が機械のレバーを引く担当。

「慎重にね」
「任せな」

字数の少ない会話をした後で、彼がゆっくりレバーを引いてソフトオン。
上から出てくるソフトクリームを追ってコップを動かすけど、勢いが強くてどうにもうまく巻けない。

「まだ?」
「ストップストップ!」

レバーから手が離されて、コップからソフトが溢れる寸前で止まる。巻き数を見誤ったか?思い描いていた理想像とはかけ離れた感じの出来栄えになった。

「まぁ最初だし仕方ない。次はもっと上手くできるよ」

流石にこれは私のにしよう。犬飼は出来栄えに関してはノーコメントで、「有言実行でよろしく」とバトンタッチ。ポジションを入れ替えてすぐ、2回目に挑戦。

「いくよ」
「オッケー」

ぐっ、と力を込めて今度は私がレバーを引く。相変わらず出力が強くて、暴れるように出てくるソフトクリーム。

「うっわこれはムズイって」

すごい勢いで出てくるからやっぱり彼も追うので精一杯になって、形なんかに構っている余裕はなかった。

「ストップって言ってね!」
「ストップ!」

クッキング、3分もたたずに終了。
なんとも言えない不恰好な素人メロンソーダフロートいっちょあがり。

「これは流行るわ」
「ま〜たトレンド生み出しちゃったか〜」
「明日から行列できるなこの店」

2人乗りの冗談は少しだけ虚しい。でもこれくらいの気持ちを持っていないと恥ずかしくて席に戻れない。

「見た目やばくない?」
「まぁ味は一緒だし」
「それは全てを終わらせる理論」

どんなに口では強がってもお互いに手元を見ると何これって思わず顔を見合わせて笑ってしまう。こんなところで情けない2人。

『おい犬飼、おせ〜よ。何処まで烏龍茶汲みに行ってんだ?肉全部食っちまうぞ』

なかなか戻らない犬飼の様子を見に来た当真が、私達2人の手元を見るなり呆れて突っ込んでくる。

『おい〜お前らなに仲良く創作料理なんか作ってんだよ』

私と犬飼は声を揃えて言い返した。

「「真似してもいいよ」」
『誰がするかよ』




**

お腹いっぱいになって解散した後、ボーッとしてたら途中まで方向が一緒の犬飼と2人で歩くことになってしまった。
鳥を見つけたら私が先に言ってやろうと思って、周囲に注意を配りながら歩く。

「カラスとか鳩は、夜はいないよ」
「え」
「や。知ってたらごめん」

マジか……じゃあ何処にいるの?とは聞かずに、私と犬飼は一瞬でも同じこと考えたのかなぁと彼の方を窺ってみた。
なんか全然よくわからない人だ。波長が合うとも言い難いし、かといって相容れないわけでもない。何考えてるのか表情からは読み取れないし、新種の人類って感じ。

「1日だけ、犬飼になってみたいな」
「あはは、何それ」

冗談混じりに言うと犬飼の愛想笑いが繰り出される。私が言ったことで誰かが笑った時はちょっと嬉しくなるものだけど、彼のその笑い方は全然嬉しくならない。

「見た目だけ俺になってみたいってこと?」
「そんなつまんない話じゃなくて。感性とか価値観とか、中身の話」
「え〜めっちゃキモいじゃん」
「えぐい悪口だな」

そう、どんな神経でこういうこと言ってるのかを知りたいのだ。それに犬飼の弱点も知りたい。うっかり触れたりしないために。

「でもさ〜、みんなそう思ってもなれないから、一緒にいてわかろうとするんじゃない?」

後ろから自転車が来て、そのライトの光が犬飼と私の影を地面に落とす。2つの影が重なることはないまま自転車に追い越されて、影は暗闇の中にまた吸い込まれる。
その間に、私は頭の中で今彼が言ったことを考えた。

「いいこと言うじゃん」
「今のはキマった」
「死ぬほどダルいな」
「感情ジェットコースターだね」

そればっかりは君に言われたくない。淡々としていると思えばいきなり調子に乗ったりするから、私も負けじと上げたり下げたりするのだ。そのうちどっちが合わせてたのかわからなくなるけど…。

「でも、確かに犬飼の言ってること正しいよ。私はもうちょっとしっかり、人と関わるべきなのかも」
「うん。君って多分自覚ないと思うけど結構な構ってちゃんだよ」

うぐ…なんでそうやって私が見て見ぬふりしてた自分をあっさり見抜いて突き付けてくるんだろう。怖いわ…

「だって誰かといると急に1人になりたくなるんだよ、でもいざ1人になると今度は誰かといたくなるの。マジで私頭おかしいのかもしれない」

隠してたものを、他人にこんなに簡単に見つけられると心が怯む。もしや犬飼は私の浅はかな思考なんて手に取るようにわかる頭脳派集団の1人なのかな。

「自分に正直すぎるんじゃない?みんなどっちかを我慢したりして上手くやってるんだよ。俺だってそうだし」
「う〜ん……都合のいい時だけ遊んでくれる相手が欲しい」
「はは、真剣に悩んでるのに言ってることはクズなんだよね」

笑うなよ…人の心が無いのか?

「でもね…実際人で遊べるほど器用じゃないよ、いつも自分のことで精一杯だから」
「うわぁ〜なんか健気だね〜生きづらそう〜」

私はわりと大真面目に言ってるのに、犬飼の声のトーンは少し高くなって、何の慰めにもならない言葉の語尾は間延びする。わかった、こいつ。

「さては面白がってるな、犬飼!」
「あははっ!バレたか〜!」

ビシッと指をさして指摘すれば、張り詰めていた糸が切れたように、コップから水が溢れ出したように、彼が笑い出した。冷酷、非情、無慈悲、全てを兼ね備えた犬飼!

「思ったことそのまま言ってるんだろうな〜って思って聞いてると面白くって」
「もうちょっと人のフリした方がいいよ、犬飼は」

正直になりすぎたことを後悔してる私の隣で、犬飼は声を殺して笑っていた。やっぱり腹立つ野郎だ。
でも、今日の会話は空っぽではないような気がする。失ったものは数知れずだけど、それだけが進歩。

この前別れた地点と同じ、コンビニの前まで来ると犬飼の影が立ち止まる。私の影も一歩遅れて止まった。

「楽しかったよ、ありがとう」

別れ際、彼は意外と良い評価をつけてくれた。でもコンビニの光が逆光になって、表情はよく見えなかった。

「付き合い悪いし性格もそんなに良くない君が不思議と人に好かれてる理由、ちょっとわかった気がするよ」

私のことそんな風に思ってたのか……

「どうもありがとう、口悪いし性格も悪い犬飼」

わざと同じ分量の嫌味で返すけど、全然効果がないみたいだ。反撃されて無駄なダメージ受ける前にさっさと帰ろっと。

「じゃあね」

私だけが渡る信号が青になる。犬飼にひらりと手を振って、横断歩道の白い線の上に一歩踏み出した。

「頑張ってね」

彼に言われなくても頑張るから、返事もしないし振り返らない。

今日は光が綺麗な日。夜の匂いを少し多めに吸い込んで、身体の中を冷やす。

家まであと少し。彼の考え事って何だろう、そんな考え事をしながら歩いた。

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