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ここに教会を建てよう 【隠岐】

「ただいま〜」

いつも通り家に帰ってきて、玄関で靴を脱いだ時に何となく違和感を感じた。普段は脱ぎっぱなしで乱れている靴が綺麗に並べられていて、その中に見覚えはあるけど何処で見たのかは何となく思い出せないスニーカーがある。家族の誰かが履いてたような気もするけど…お父さんこんなの持ってたっけ…?いまいちピンとこない…
はっきりと答えの出ないまま、もやもやを抱えて廊下を歩いていると居間から楽しそうな笑い声が聞こえてまさかと思い扉を開ける。そこにいたのはテレビの前に座ってえんどう豆を剥いている母と、私の恋人。

『おかえり』
「おかえり〜」

2人とも手元で豆を剥きながら、にこにこ笑顔をこちらに向けた。来客のくせにこれが日課みたいな顔で母のお手伝いをしているから一瞬錯覚してしまうが、彼はれっきとした他所の子、隠岐さん家の孝二くん。

「ただいま、なにしてんの」

どうやら作業も終盤のようで、抜け殻が入ったビニール袋は見たところお腹いっぱいではち切れんばかり。いつからいたんだコイツは、と床に座ってる隠岐の隣に腰を下ろして手元を覗き込む。長い指を使って素早く丁寧に豆粒がさやから外されてゆく。

「いやぁ、学校帰りに郵便局の近くでお義母さんと会ってな〜最近たこ焼き機買ったって言うからこれは俺の出番やとおもて」

作業の手は止めずに、わくわく笑顔で我が家に辿り着いた経緯を教えてくれる。今日は出しゃばらせて貰いますよ!と言わんばかりのテンションだ。どうぞ好きなだけ出しゃばってください。
一方、娘の彼氏を呼び出したいがためにアマゾンでたこ焼き機を買った母はさっきから何やら言いたそうにウズウズしている。どうぞ話してください。

『ねぇ知ってた?大阪の人はたこ焼きをご飯のおかずにするんだって。だから今日はおじいちゃんがくれたえんどう豆で豆ご飯も作るね!』

私が隠岐を初めて家に連れてきたその日から、母は大阪の文化に興味津々になった。きっと、現地に行ってみたいと言い出す日もそう遠くはないのだろう。

「やった、豆ご飯好き〜」
「俺も好き〜あ、これラスイチや」

そうこうしてるうちに隠岐が最後のひとつを剥き終えて、作業が終了。豆剥き部隊が『おつかれ〜!』とハイタッチで喜びを分かち合う間、私だけが感じるしょうもない疎外感。

『よーし、それでは早速ご飯を炊こう!』
「あ、じゃあこれ運びますね」

いそいそと立ち上がった豆剥き部隊隊長に続いて隊員の彼もすかさず立ち上がり、豆の入ったボールやらビニール袋やらを台所に運ぶ。人の家でも良く動く男だ。一方こちらは動きの鈍い娘、お恥ずかしい限りです。

『ほんと隠岐くんよく働くね〜うちの娘とは違って』
「いやいや、これくらい当然ですよ」
「すまんのう17にもなると腰が重くて」
『50年早いわ』

申し訳ない素振りを見せつつも本心では全く悪いなんて思っていないから、この隙に床からソファーに座り直してテレビのリモコンを操作する。私が好みの番組を探して彷徨っている間、隠岐はお母さんと『後は任せてゆっくりくつろいでて!』「了解です〜」なんてやりとりをして戻ってきた。
目ぼしい番組も無かったからチャンネルはそのままにして隣に座るよう促せば、ご機嫌な笑顔で腰を下ろした。

「マジでたこ焼きとご飯一緒に食べるの?」
「余裕やで。大阪ではお好み焼き定食とか焼きそば定食もわりと定番」
「え〜?どっちも炭水化物じゃん。後でお腹苦しくなりそう」
「いやそれが案外ハマるねんな〜1回騙されたと思って試してみ?」
「じゃあ試してみよー」

普段学校で話せない分、隠岐と話す時間は大切にしたい。溜まっている話題のストックをひとつひとつ引き出してお喋りをしているうちに、テレビの音なんてちっとも聞こえなくなっていた。

「そんで昨日俺の部屋にバルサン焚くことになって。荷物避難させるのめっちゃ大変やってん」
「あー、衣類系は匂いついちゃうもんね」
「ちょっとした油断のせいで大惨事やでほんま」
「部屋に虫とか結構出るの?」
「この季節はわりと出るで。あいつらいつも何処から入ってくるんやろな」
「洗濯物とか服に付いて、とかじゃない?」
「うわ恐怖すぎるわそれ」
「ね」

とりとめもない近況報告なんかをして、顔を見合わせて笑っている時だった。

『あー!!!』
「なに!?」

突然聞こえた悲鳴にびっくりしてキッチンの方を見ると、母が深刻そうな顔で私たちに『重大なミスが発覚しました…』と告げた。虫の出現じゃなくて良かったなんて安心する余裕は無く、息を呑んで言葉の続きを待つ。

『たこ焼きひっくり返す針みたいなやつ、買うの忘れた…』



「っふ、」

2秒の沈黙の後、隠岐が小さく吹き出す。
テレビのタレント並みにリアクションの大きい母に子供の頃から付き合ってきた私は、リアクションなしでさっさと切り替えるスキルを既に習得している。

「買ってくるよ。あれ何処に売ってるのかな」
「千枚通しやったら100均に売ってたと思うで」
「最強、やっぱり100均しか勝たんな」

目的地が決まったところでソファーから腰を上げると隠岐も同じように立ち上がる。勿論俺も行きますが何か?って顔。

『ありがとう!気を付けて行ってきてね、他はスタンバイしとくから!』
「はーい」

制服よりも楽な服装に着替えてから、玄関で靴を履く。家を出る前に彼が「学校の人と会ったらどうする?」なんてにやにや笑ってからかってくるから、セットされた髪を撫で回してくしゃくしゃにしてやり、その辺に置きっぱなしになってたおしゃれ用のメガネを装備させた。元の顔が良いから完全には隠しきれないけど、隠岐孝二から隠岐孝二っぽい人くらいにはなったと思う。

「夕方なったらもう涼しいなぁ」
「そーね」

お目当ての100均がある地元のイオンまでの道中。隠岐が微妙に手の甲を擦り寄せてくるのがなんとなく気恥ずかしくて、気付かないふりで放置した。しばらくすると彼は私の手の甲に手を重ねて指の隙間に指を押し込んで強引に手を繋いできた。

「照れ屋さん♡」
「うるさい」
「ほんま可愛いなぁ」

あからさまに反応を楽しんでからかってくるのが腹立つけど、返す言葉が思いつかないから繋いだ手を激しめにスイングして発散する。

「なぁこれ傍から見たらただのご機嫌バカップルやで笑」
「違うし、初めてのおつかいだし」
「あははっ、それはそれで痛すぎやろ笑」

隠岐は私といる時、いつも本当に楽しそうにしている。勿論私も隠岐といると楽しいし、何なら無人島に誰か1人連れて行けるなら隠岐がいい。けどそれを上手く態度に出せてない気がする。自分ばかり好きなのが当然なんて、彼が思ってたりしたら嫌だな。思っても言えないけど。

熊手みたいに一方的に繋がれた手を離して恋人繋ぎになおすと、彼は空いてる方の手で口元をおさえながらニヤニヤと私を見つめる。腹の立つ笑みだ。

「なに笑ってんの」
「いや、俺のことめっちゃ好きなんやなって思って」
「……めっちゃ好きじゃ無かったら付き合ってないでしょ」
「はい〜今のでキュンポイント5000万点付与されました〜」
「ハイパーインフレ案件やめな」

…コイツ強すぎでしょ。伝わってないと思ってた好意が全然余裕で伝わってるの、見当違いすぎて恥ずかしい。

「…私ってわかりやすい?」
「あははっ、気にしてるん?かわい〜」
「そういうのいいからもう…」

恥ずかしすぎてもはや落ち込みの域に入った。結局この人に隠し事なんて出来ないのかもしれない。私の隠岐図鑑の空きはまだ結構あるのに、彼の方は私図鑑をコンプしてるみたいな怖さがある。

「多分自分で思ってるよりもわかりやすいタイプやと思うで、対人関係とか特に。そもそも興味ない人と喋らへんとことか」

時々変なテンションになることがあるけど、彼はわりと冷静な目で周りを見ていることが多い。私のことも、いつも1人の人間として見てくれてる感じ。
たしかに隠岐の評価は的を射ている。私自身、交友範囲広げたい野望とかないし、その辺については積極的でない自覚はある。

「でもある程度打ち解けたら急にガード緩くなるやろ?これめっちゃ罠やと思うねんな。特別扱いされてるって勘違いする奴絶対おるから。俺だけが知ってるあの子のホントの笑顔…みたいなノリで」

ちょっと感心してたのにいきなり自分の意見に持っていくところ、そういうとこだよ隠岐。キャッチフレーズ地味に腹立つし、しれっと説教されてるような気もするのでとりあえずやや反抗的な姿勢でいかせてもらう。

「大袈裟でしょ。私そんな大層な人間じゃないし」
「いやいや、俺が知ってるだけでも話す機会窺ってる奴結構おるで。てかそもそもB組男女仲ええやん?俺も同じクラスが良かったし結構頻繁にヤキモチやいてまーす」

ぎゅっと繋いだ手に少しだけ力をこめて、彼は明るく笑った。こういうことハッキリ言えるのすごいな…若干ハリセンボンっぽくなっていた私の心も落ち着きを取り戻していく。

「隠岐が1番だよ、知ってると思うけど…」
「んふふ、知ってるよ〜」
「はい生意気解散」
「待って待って集合!」
「ニヤニヤしすぎ」
「だってこんな可愛いこと言う子やって知ってんのが俺だけとかめっちゃ優越感やん?あ〜ほんまに生まれてきて良かった…付き合ってくれてありがとう…!」
「感謝のスケールデカすぎて草」

でも、私もこんなアホっぽい隠岐を見れるのは悪くないと思ってるからお互い様ですね。
もう2年くらい経ってるような気がするけど、実際私達は付き合ってからまだ半年くらいしか経っていない。何なら今年の春までお互い面識すらなかったのだから、この状態はある意味奇跡だ。

私はもともとフレンドリーな性格ではないけど、別に恋愛にまったく関心がないわけではなかった。
ただ、恋愛している自分を想像してみてもいつも間に1枚の壁があって。現実の私はそれを飛び越えて向こうの世界には行けないような気がしてならなかった。
誰かを好きになることも、誰かに好かれることも面倒だから、他人から友達までの距離感で人と接していれば一番楽だと割り切っていたけど、隠岐がジャーン!と目の前に突然現れたあの日から、その考えは少しずつ変わっていった。

「ちなみに来週の土曜日、何の日か知ってる?」

わからんやろ、とでも言いたげな恋人と目を合わせて、わざとボケなしで答えを当てる。

「半年記念日」
「え、覚えてたん!?」

隠岐ってば私の彼女力を甘く見過ぎだ。いやまぁ、それに至る経緯や前科があるのは間違いないけど。

「毎月その日付で祝ってたら流石に覚えるでしょ。お客様感謝デーみたいなノリで」
「イオンで頭いっぱいやん。その日奇跡的に丸一日休みとれたから一緒にどっか行かへん?」
「お、いいね。甘くてあったかい関西風のだしのうどんに揚げたてさくさくなちくわの天ぷら乗ったやつとか食べに行きたい」
「びっくりするほど具体的やな。お店探しときます」

隠岐は他人にあまり執着がないように見えて、本当はかなりの尽くしたがりだ。一緒にいたら基本何でも奢ろうとするし、会えなかった日は必ず連絡をくれる。その彼氏力は日々エスカレートし、近頃はピクトリンク有料会員になってプリを全部保存してくれるまでに至った。ここまできたら流石に天井でしょ…と油断してはいけない。
彼は普通の高校生に比べて若干財力があるし、喜捨とか布施の感覚で何の躊躇いもなく私に貢ごうとするから、やりすぎないようにちょっと足を引っ張っておかなくちゃいけない。
なので今回はインスタで話題のレストランやホテルのビュッフェとかを予約される前にさりげなく先手を打たせてもらった。ここまで指定したら高校生カップルプライスのうどん屋チェーン店にゴールイン間違いなしだろう。よくやった私、天才ムーブでしょこれは。人としての能力ちょっとは上がったんじゃない?
…なんて心の中で自分を褒めちぎって気を紛らそうとしたけど、駄目だ。さっきからずっと隣の奴からの眼差しが熱くてしょうがない。

「なに」
「ううん、可愛いなって思って」

何回目だよ…その優しい目で心の中まで眺められているような気がする。多分1日のうちに私に可愛いって言った回数グランプリあったら隠岐と私のお父さんが1位タイ。もういちいち返事するようなことでもないし、思春期の娘の如くスルーを決め込むと彼はすかさず突っ込みを入れる。

「いや自分で聞いたのに無視かい」
「いやいやもう何て反応すればいいのかわかんないって。そろそろネタ切れお手上げ」
「魂に響くリリックありがとう!俺のハートにも刻まれました!」

軽い気持ちで踏んだ韻をしっかり拾われてしまい、聞き流すものかと勢い良く煽られる。こいつほんと良い性格してるな。

「人のこと煽ってる時が一番生き生きしてるね、キミ」
「あはは、バレた?」
「はいサイテ〜」
「そんなサイテーと半年も一緒にいてくれてありがと〜う」
「なに、今日そういう日なの?私も言う流れ?」

さっきから日頃の感謝みたいな言葉ばっかり送られるから、受け入れようとすると変にむず痒い。

「俺が言いたいだけやし気にせんでええよ。まぁ言ってくれるんやったらそれはもうめちゃくちゃに嬉しいし一生忘れへんけど」
「完全に言わなきゃいけない流れになったじゃん…これ絶対イオン行く途中にする話じゃないって」
「いやほんまそれ。俺らって真面目な話する時いつもこんなんじゃない?」
「告白の時もね」
「あれはほんまにえぐかった…。俺口滑らした瞬間冗談抜きで10秒ぐらい時止まったからな」
「私でさえ『こいつやらかしたな』って思ったよ」

思い出しただけで笑いが蘇る。あの日の隠岐は頑張ってたけど、正真正銘のポンコツだった。

「めっちゃ笑うやん…恥ずかしすぎてその時の記憶ほぼないけど、焦りまくってる俺との温度差がえぐかったことだけは覚えてるわ…」

一方、思い出しただけで恥ずかしくなった彼は涼しい風で熱い顔を冷やしている。無駄無駄。たとえ隠岐の記憶ファイルから消されても、私のとこでバックアップとってるからね。

「君の数々のおもしろムーブはしっかり焼き付けていますよ」
「何それはず〜…」

私の言葉に左右されまくってる情緒も、照れた時に目を伏せる癖も、ちょっと前までお互い見向きもしなかったはずなのに。ある時ふと、自分で作った壁を自分で壊してまで向こう側にいる人を見てみたいと思ったから、

「飾らない隠岐が好きだよ」

聞き流せるように、どさくさに紛れて言った言葉を隠岐は静かに掬ってくれる。

「…ほんまズルいわ…自分帰ったら覚えときや」
「こわ〜しばかれるの?」

顔を覗き込んでわざと茶化せば、彼はいきなりパッと頭を上げてアイドルが愛嬌するみたいに可愛く小顔ポーズをとる。鬼のような切り替え。

「ん〜?腰抜かすまでキスしたろっかなぁ〜」

回復早。しかも怖。

「可愛いこぶりながら怖いこと言うのやめてもろて」
「あははっ、冗談やと思った?」
「怖い怖い怖い」

ご機嫌な笑顔で繋いだ手にさりげなく力を込めてくるのがもっと怖い。

「楽しみやな、頑張ろな♡」

もうお願いだから誰か早くこいつを捕まえてくれ。

「たこ焼きとご飯でお腹いっぱいになる予定だから無理です」
「いけるいける、カロリーゼロやし」
「そういう問題じゃないんよ、マジで今日押し強いね」
「え〜嫌?」
「……隠岐といると、ほんとに私変わったなって感じる…驚くべきことに、嫌じゃないです」
「あははっ、やんな〜それめっちゃわかる。俺らまったくおんなじこと感じてるんやなぁ」

彼の笑顔や言葉にいちいち心が熱くなる。もう強がりは通じないし、照れ隠しは確実に返り討ちに遭う。彼が私を少しずつ変えて、私も彼を少しずつ変えるうちに、互いに永久不可侵だったパーソナルスペースに溶け込んでいった。同じ時を過ごして、同じことを考えて、同じ気持ちを持つことに感動を覚えるから、私たちはこれから先も一緒にいるのだろう。

「…はい、キュンポイント付与します」
「あははっ、やった〜何点くれるん?」
「5000万」
「ハイパーインフレ案件やん」

どちらからともなく笑いが溢れる。決してバカップルではないので勘違いしないでください。私達は笑うことが健康に良いと聞いて、ヘルスケアしてるだけ。

「先に1京キュンポイント貯めた方が勝ちね」
「その単位小学生しか使わへんやろ。ええよ、勝った方が負けた方の言うこと何でも聞くってことで」
「待て待て、負ける気満々じゃん」
「ナイス突っ込み!1兆キュンポイントです!」
「馬鹿野郎」

国家が動かす単位で加算されるキュンポイントに突っ込みが追いつかなくなる。また罠にはめられた。悔しがっている私の隣で、楽しそうに笑ってるのは大好きな恋人。
慣れ親しんだ地元の道も彼と一緒なら新鮮な景色になって、踏み出す一歩一歩、足取りは軽い。ちょっと肌寒い夕方の空気を吸い込んでも、寂しい気持ちにならない。

「『もうめっちゃ好き!』って思ったり些細なことでキュンキュンしたり、そういう少女漫画みたいな熱い気持ちって最初だけで、時間が経てばだんだん慣れて落ち着いていくんやろなと思ってたけど…ほんまに好きな人って日を重ねるごとに好きが増していくもんやねんなぁ」

彼が紡ぐ言葉に、溢す表情に、破れそうだった心がどれだけ繋ぎ止められてきたか、そのことにどれだけ感謝しているか。多分本人は気付いてないんだろうな。もうめっちゃ好き!って、ふざけたようにしか言えない私は隠岐に到底敵わない。だから、その代わりと言ってはなんだけど、

「1京キュンポイント贈呈します」
「あ、やば。貯めてしもた」



**

「こら、車道側は男に歩かせてや(ニコッ)」
「あははっ!もう無理!」
「っ、その笑顔は…反則やろ(赤面)」
「あーやばい、隠岐最高すぎ…」

笑いすぎてもう苦しい。『家に着くまでメル画みたいな話し方をしろ』という命令に隠岐は律儀に応えて私を楽しませてくれている。カッコからカッコ閉じまで全部説明してくれるあたり、相変わらずスーパーダーリン旋風ビュンビュン吹かしてるな。

「おつかれ。過去一面白かったよ」

玄関の手前で呪いを解くと、彼は額に手を当ててやりきったように息をついた。

「あー、やっと普通に喋れる…久々に地獄見たわ」

わりと自分から飛び込んでいった感じだけど、まぁそこは彼の頑張りに免じて突っ込まないでおく。

「隠岐ってマジで笑いに命懸けるね。プライド着脱式なの?」
「もうここまできたら恥ずかしがったりする方が逆に恥ずかしいやろ」
「プロの思考じゃん。早く情熱大陸出な」

軽く笑いながら鍵を回して扉を開ける。玄関に入ると、キッチンからご飯を炊いている温かい香りが流れてきて、空腹メーターがぐんと上昇した。
靴を脱ぎながら私がいつものように「ただいま」と呟けば、隠岐が隣で「おじゃまします」と言う。別におかしくないはずなのに、やっぱりなんとなく違和感を感じる。

「もうただいまでいいんじゃない?」
「え?」

座って靴紐を解いていた隠岐が不意を突かれたように顔をあげた。機嫌が良さそうに微笑む私が、伊達メガネのレンズに映る。

「なんか、他人行儀じゃん」

何かしら反応をくれればいいのに、隠岐が目の前でフリーズしたように黙るからだんだん私も落ち着かなくなって彼の顔から眼鏡を外した。

「まぁ、隠岐の好きにすればいいけど…」

居た堪れなくて立ち上がろうとしたところで、突然ぐいっと腕を引っ張られる。事故みたいなタイミングで唇が重なった。何が起こったか理解が追い付く前にゆっくり顔が離れる。コイツ、人ん家の玄関でよくも…!

「俺なかなか上手いやろ?」

確かに、腕を引いただけで狙ったところに当てるなんて並大抵の技術じゃない…いやいやダメダメ、隠岐のペースに流されてる。今こそあの台詞をキメる時。

「それは…反則でしょ(赤面)」
「あははっ!タイミング神やん!」

ネタに救われたと内心ホッとしていると、隠岐の手のひらがそっと頬に触れた。少し冷たいけど、体の奥があったかくなる体温。柔らかな静寂の後、彼は私の前でしか見せない緩みきった表情を浮かべてこう言った。

「ただいま」

心が綺麗で笑顔があたたかくて、たまに意地悪。そしてちょっと不器用なところがある私の恋人、隠岐孝二くん。

「おかえり〜」

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