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命が輝いている 【王子】
日々を充実して過ごすために、今日を人生1番の日にすると毎朝決意する。そして、布団を蹴破った瞬間から素敵な1日が始まる。
夢の中で私が別人と入れ替わらないなら、今より後ろには過去だけが連なっている。当たり前だと思って流せばそれまでで、体のどこかに引っかかればそれはこの先も付き纏ってくるのだろう。
私の耳で聞いたこと、私の目で見たこと、私がお箸で食べたものは私が世界と仲良くなるために受け取ったモノコトで、おいしいものを食べた日の世界はきらきら白く輝いているし、仲間外れにされた日の世界はくすんだ色でゴミみたい。
誰かに思想を話したいわけでもないけどとにかく、難しい言葉を使って話をする先生の顔をただ見ていた。いつもすっぴんで門の前に立ってる体育の先生は化粧してる女子を捕まえて叱るから、今日も私たちは生きてるって感じがするね。
**
『ショートにしてまだ1週間しか経ってないけどもうロングの頃に戻りたい』
『心理テスト、あなたは元カレに未練が残るタイプかも!』
『微妙に当たってて腹立つな』
『いやそれただのバーナム効果だから〜』
昼休みは近くの席を4つ占拠して、友達と仲良くお弁当を食べる。サラダから食べれば健康に良いと聞いてから絶対に初手はサラダ。変な話だけど口に入って飲み込んでからのサラダって想像したことある?私はない。だからきっとそうしないのが当たり前のように、自分の一部になっていくもののことを何も知らないまま生きている。
でも知ってしまえばサラダがなんとなく美味しくないのと同じで、深く知らない方が楽しめることはたくさんあるよね。そういうのを弄んで楽しいひとときを過ごしているんだから、この話はもういいか。
「可愛いから何でも似合うよ。私ショート好き」
『は〜〜?好き惚れた、結婚してもろて』
「あははっ、だる〜」
『しばくぞ』
目の前のヤンキーに怯えながら食後のじゃがりこを開けたタイミングで、真横にある廊下側の窓が静かに開いた。
そこからにゅっと伸びてきた手が頭の上に着地する。目が合うと王子はにこりと綺麗に微笑んだ。
「どうも〜僕の可愛い彼女いるかな?」
『出たなプリンス』
『リア充マウントおつかれ〜』
『じゃがりこの塩撒くぞ』
微々すぎる。
「あ!僕に内緒でいいもの食べてる〜」
決して歓迎ムードではない空気の中でもお構いなく、窓から身を乗り出して強請るようにこっちを見つめた。これでも食べて黙りなさいと彼の口元にじゃがりこを運んであげる。
『登場早々見せつけてくれるじゃん』
『王子良かったね〜』
ポリポリと満足そうに食べてる王子を見ると、小学生の頃のうさぎ当番の記憶がよみがえる。思い返せばあのうさぎ、少し王子に似てるかも。いや、気のせいかな。気のせいであれ。
「てか王子何しに来たん?」
「理由もなく来ちゃダメかい?」
「や、そうじゃないけど。新しいクラスに友達いないのかなと思って」
『うわ〜彼氏に向かって酷いこと言うね』
「え〜ん」
『ほら、あんたがいじめるから王子泣いちゃったよ』
『ねぇ早く謝った方がいいってば』
何だこのノリ。被害者が加害者を虐げることで始まる逆転現象。そもそも私は王子をいじめてないんだけど、そんなことみんなもわかっててやってる私いじり。
「はいはい、ごめんごめん。機嫌直してね」
仕方なしに頭をさらっと2回くらい撫でると嘘泣きがたちまち笑顔に変わる。赤ちゃん並みの情緒。
『ていうか思ったよりちゃんとカップルやってんね君ら』
『傍から見たらもうかなりカップル』
「ほんと?嬉しいな」
いやそれはなんか返って失礼じゃない?王子もそんなことで喜ぶなよ。なんて、言える立場じゃないから言わない。
王子とは1年と2年で同じクラスだった。
1年の時はほとんど関わりすら無かったのに、2年に進級した途端に私は何故か彼に気に入られてしまう。王子がこちらに好意を寄せていることは知りながら別に追求も拒絶もせず、彼もそれが当然であるかのようにずっと振る舞っていた。
私の仲良しグループにわりと無理矢理入ってきた王子とも何やかんやで色々楽しいことをして1年を過ごし、これまた何やかんやあって終業式の日にじゃんけん101回勝負をして、負けた私は王子からのガチ告白を受け入れた。そんな感じ。
目の前の彼はご機嫌そうに私の手を取り、指先を優しく握った。
「今日、予定空いてる?一緒に帰りたくて」
きっと最初からこれを言いにきたのだろう。そのくらいの用ならLINEでも済むのに、回りくどい人だ。
「いいよ、用事ないし」
「良かった。じゃあ放課後、教室に迎えに行くから」
「ん」
『うわ〜完全に彼氏と彼女の会話じゃん』
『一年前との違いよ…』
『誰か私のことも迎えに来てくれよ…』
「オーディエンスうるさいな」
『ごめんごめん、うちらのことは空気と思って続けて』
こんな騒がしい空気があってたまるか。王子は薄く笑みを浮かべると、私の手をもう一度ぎゅっと握りなおす。
「じゃあ僕、もう行かなくちゃ。午後の授業頑張ってね」
「うん、王子も」
「ありがとう」
窓際に爽やかな空気を残して、彼は自分の教室へと戻っていった。キラキラオーラは実在することをここに証明します。
「あれ、なんかじゃがりこ減ってない?」
窓を閉めてから友人たちの方を見ると、全員がわかりやすく目を逸らして、ポリポリ音をたてながらお口をもぐもぐ動かしていた。何この団結力。
『ずっとスルーキメ込んでたのに、何であんなあっさり王子と付き合ったん』
じゃがりこ泥棒の1人がわかりやすく話題を逸らす。もう好きなだけ食べろやと広い心でカップを机の中央に配置すれば彼女たちは一斉に群がってきた。
「僕を彼氏にすれば運気が上がるよって言われたから」
『同じ文句でパワーストーン買わされそうになったらまずウチらに言えよ』
ポリポリ。
『じゃがりこ貰った恩があるからね。助け合っていこ』
ポリポリ。脳内で勝手に音声を付け加える。
「まじか〜!じゃあ早速で申し訳ないけど英語の宿題代わりにやってもらっていいかな」
『せんせー!たすけてー!』
他愛もないジョークを言い合って、50分間の昼休みの残り25分をあっという間に潰していく。いつもと同じ、安定した時間。
運気が上がるってアピールされたのは本当だけど、だからと言って誰とでも付き合うわけじゃない。受け入れたのは王子と一緒にいてつまんなかった記憶がないから。
そのことを馬鹿正直に説明するのは私にとっても相手にとってもつまんないことだから、わざわざ口には出さないけど。
**
放課後の教室、メッセージ通知を確認したと同時に廊下側の窓が開く。
「お待たせ」
スマホ片手にひらひらと手を振る王子を見て、思わず笑い声が出た。城の上の方から民に手を振る王の笑顔だ。
「ねぇ王子〜教室すぐ隣なのに『今から行く』って送る意味ある?秒で来たし」
「学校遅刻した時とか保健室行った時って、教室に入るまでに寄り道しないように出発時刻紙に書かされるよね。そんな感じ?」
「証拠ってこと?」
「そう、僕って誠実だから」
「あははっ、そんなにアピってこなくても王子の言うことなら嘘でも信じるよ。よし、行こっか」
教科書と筆箱を抜いてめいいっぱい軽量化した鞄を肩に掛けて教室を出る。壁を越えて、全身像、1/1スケールの彼とご対面。
「ちょっとだけ寄り道していこうよ」
「いーよ。そうなると思って鞄めっちゃ軽くしてきたし」
「僕と同じことしてる〜」
ほんとに?ってお互いの鞄を交換して持ってみると、全く同じ重さだったから顔を見合わせて笑ってしまう。たまにこうして息が合うと、無性に面白い。
学校の正門を出て、繁華街の方角に足を向ける。同じ制服を着た生徒たちが前や後ろを歩いている中、いつも通りとりとめもない話題を繋いでいく。
「ねぇ、こっち行ってみない?」
しばらく歩いてから彼が突然立ち止まり、人の流れが進む大きい通りから枝分かれした細い道を指差した。
おもしろセンサーから受け取った反応は直接運動器官に影響を与えるから、頷くのには1秒もかからない。
冒険気分で入ってみた脇道は築年数が古そうなアパートだったり家屋が並ぶ、閑静な住宅街だった。道路だけは最近舗装されたようで新しく、歩いていると妙な世界に迷い込んだような違和感を感じる。
茶色く汚れた換気扇や錆びついたベランダの柵、小さな花が植えられたプランターに目を奪われている時間、忍び寄った彼の指先がそっと手の甲に触れ、その後しっかりと手を取る。これは、鮮やかな手口。
「こっちの道なら人いないし、手も繋げるかなと思って」
「策士だね〜」
「うん。だめ?」
「だめじゃないよ。てか付き合ってるんだし、これくらい遠慮しなくてもいいのに」
目が合うと少し恥ずかしそうに微笑んで「君のペースに合わせたくて」と返答する。こんなに優しい人が何で私なんかを好きになったのか、不思議でたまらない。
「前に、ベタベタされるの好きじゃないって言ってたから」
「あ〜言ったかもね」
どの場面で言ったのか具体的に思い出せないけど、いかにも私が言いそうな台詞だ。でも多分、それはある特定の馴れ馴れしい一派に向けての言葉であって、王子に言ったわけじゃないと思うんだけど。
「じゃあ、これは王子の特権ということで」
いちいち説明するのも面倒だから、繋いだ手を上に挙げて上書きするように笑ってみせる。彼は言葉を仕舞うべく口を結んで、うん。と一度だけ頷いた。
王子は普段から発言の多い人だけど、決して軽率なわけではない。彼の言葉が嘘くさくないのはきっと、思ったことを全部教えてくれるわけではないから。無闇に人を傷付けたりしないよう、言葉をきちんと選んでいる。そんな、瞬時に判断を下して行動に移せるところには、私に欠けてる器用さみたいなものをずっと感じていた。
しかし、彼の良いところを知るたび、素敵な発見をして嬉しい反面、自分と比べて不安になる。
いつか憧れのあまり彼を傷つけてしまわないかという不安。私もそんな風になりたいと思うばかりに彼のことがいつか憎くなるかも。なりたくないはずなのにそうなってしまう自分は簡単に想像がつく。
私は結構ネガティブなのかも。王子といると、彼が素敵すぎて自信を無くす。王子のせいみたいにしちゃう自分がヤダ、でも1人の自分を否定することで結局別の自分を肯定しようとしてるんだ。何処まで行っても、この目を、この心を引っ張って行くのは私しかいない。いっそのこと、体のあちこちに絡まったクエスチョンマークを全部振り解いて、王子のことも私が誰なのかも全部忘れて思いっきり走れたら、それでいいのに。何も悩まず、守らずに生きていけるのに。そうさせないように、彼が私の手を繋いでる。
「あ、猫」
目の前を黒猫が横切った。こちらには目もくれず、ちょこちょこと素早く足を動かして人様の敷地に入っていく。
「足の回転率えぐくない?」
「ほぼ残像だったね」
「可愛すぎる」
思わず顔を綻ばせた私を王子が見つめる。何か急に恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。
「君って笑った時、涙袋がすごく可愛い」
私が猫を可愛いと思うのと同じで、彼は普段から私を可愛いものとして見ているらしい。
「書いてるんだよ、涙袋は」
ありがとうって笑えばいいだけなのに、一旦踏み止まって言葉を選ぶことが出来ないから、もっと仲良くなりたいと思いながらいつも小さな針で彼を刺す。
「メイクも君の一部だよ」
それでも王子はいつも私に優しい言葉をかけた。自分からは決して目を逸らすことなく。
「学校の先生も王子みたいなら良いのに」
『すっぴんでも可愛いよ』なんて論点違いのことを言わない王子はとても頭が良い人だ。スパダリとは彼のことで、猫に小判とは私のこと。
細道をしばらく行くと、知ってる道に抜けた。異世界から突然抜けたみたいな気分。お馴染みの商店街のアーケードをくぐると、私たちと同じ制服を着ている人もちらほら見かける。
離すかな?と思っていた手を王子は離さなかった。
しばらくぶらぶら歩いていると、彼が古本屋さんの前で立ち止まった。
「寄ってもいいかな?」
うん、と頷いて、奥まった構造の古本屋さんへ入っていく。店先の50円セールのワゴンの中には宇宙の真理やスピリチュアル系の本に混ざって付箋が貼ったままのお菓子のレシピ本と芸能人の自伝。ここはカオスだ。スルーしよう。
私は店内の美術書コーナーで足を止めた。新聞紙を広げたような活字だらけの店の一画に、突然パリの景色が現れたからだ。
いくつかの画集を眺めているうちに、王子が店の奥から戻ってきた。
「お目当て買えた?」
「ばっちり。何見てるの?」
本の中身を覗き込んだ彼が「わぁ、綺麗」と声を漏らす。
「絵、好きなの?」
「色が綺麗なのは好き」
「好きな画家とかいる?」
少し考えて、
「例えば…モネ、モリゾ、シニャック」
背表紙を指差しながらゆっくり教えると、彼はそのひとつひとつを手に取って、ページを丁寧に捲って追いかけてくる。
目に見えている色は光の粒の集まりで、固有色は存在していない。単調だと思っていたものも、よく観察すれば複雑だと気付く。綺麗って書いてある言葉のシールを剥がすと、色んなものが溢れてくる。
真剣に画集を眺める横顔を見て、嬉しいのに何だか少し申し訳ないなと思った。
「行こっか」
「もうちょっとこれ、見ててもいいかな」
私が場を切り上げようと急いても、王子は自分のペースを崩さない。彼のそういうところに振り回されて腹が立った時もあったけど、本当は何度も助けられていた。今は少し、羨ましいと感じる。やっぱりそのことも口には出せなくて、黙ったままページを捲る指先を眺めていた。
**
「お腹空いてない?」
「空いた〜」
でも夕飯前だしね〜。我慢する?どうする?とテレパシーの送り合いっこをしながら歩いていると、タイミングよく駄菓子屋さんの前に辿り着いてしまった。
「これは寄っていけということだよね」
「よし…300円縛りでいくか」
「あははっ、いいね」
店内に入って、小学生の頃に戻った気分でお菓子の棚を物色する。昔よく食べてた懐かしいお菓子や初めて見たパッケージに心を躍らせて、気がつくと細かいお菓子をたくさん手に取っていた。足りるかな…とドキドキしながらもぴったり300円で会計を終えて、レジのおばあちゃんに袋に入れてもらうう。おばあちゃんにお礼を告げてからお店を出ると、私より先に買い物を終えて待っていた王子が「向こうに公園あるから、一休みしようか」と手を差し出した。
「すごいね、300円でそんなに買えるんだ」
公園のベンチに座って戦利品を見せびらかすと、パピコとペットボトルのお茶に300円を使った王子は感心したように言った。ふふ、駄菓子屋ビギナークラスめ。
早速ちまちまと木べらを使ってヨーグルを食べていると、ピタリと首筋に冷たいものが触れる。
「ぃあ!?」
思わず声を出してしまった恥ずかしさを秒で怒りに変えて、隣でくすくす笑ってる王子をロックオン。まさかこの私に手を出すとはな…
「いい度胸してるね」
「ふふっ、ありがとう。よく言われるんだ」
冷たさの正体であるパピコを半分こちらに差し出して、彼は挑発をさらりと受け流す。
「くれるの?」
「うん」
「まじか。王子大好き」
「パピコでしょ」
皮肉は無視してパピコを受け取って、上の部分も余すことなく食べつつ、さっき買ったお菓子からオススメ品を3つ選んで王子にあげる。
「これ、私が好きなやつセレクト」
「僕が貰っちゃっていいの?」
みんなの前で恥ずかしげもなくじゃがりこを強請ったりするくせに、2人の時は遠慮するのマジで意味わからないな。
学校でも、古本屋でも、王子はずっと自分から私に近付いてきてくれた。それも形だけではなく、心から。そんな君の真摯な姿を私はちゃんと見てたよ。
「私の好きなもの、知りたいんでしょ?」
わかったような口ぶりで聞くと彼はそっと恥ずかしそうに顔を隠して、今日一番の幸せそうな声を出す。
「…うん。ありがとう」
短い言葉でも十分伝わる。何故そこで照れるのか本当に謎だけど。
時刻は17時半を過ぎ、おやつも全部食べ終えて、誰もいなくなった公園を高校生2人で独占する。せっかくだしブランコにでも乗るか!と提案すれば彼は笑って賛成した。
「なんか小学生に戻ったみたい」
ゆらゆら揺られながら、そんな言葉を口にした。
「君って、どんな小学生だったの?」
王子も隣でゆらゆらしながら聞いてくる。私は少し考えて、
「春は花見をして、夏はスイカ食べて、秋は焼き芋、冬はこたつに入ってた」
そう言えば王子は期待通り「今とそんなに変わらないのかな」と笑う。よくわかってらっしゃる。
「好きな人はいた?」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「元カレの影が気になって」
そこはドストレートなんかい。
「元彼とかいないよ。付き合ったのも手を繋いだのも王子が初めて」
「え?」
こちらもあえてドストレートに答えた途端、間違ってブランコの鎖のところから手を離してしまった彼は空中に投げ出された。
「えぇ!?」
「へ…?」
人間が空を飛ぶという非日常的な光景に脳が戸惑って、一瞬視界がスローモーションになる。
間もなく、彼は数メートル先の地面に綺麗に着地した。アスリートか。
「『へ…?』じゃないよ!危ないな!」
すぐにブランコから降りて彼の元へ駆け寄った。なんつー運動神経だこの野郎。
「怪我してない?」
「うん、平気。ていうか…今の本当?」
「いや、そんなことで嘘つかんでしょ…」
「そっか…そうだよね」
ふいに、私の手を掴んだ彼の指先が少し震えているのを見てしまった。今まで見て見ぬふりをして流そうとしていたことを、見過ごせなくなる瞬間。
私が王子に対して抱いている気持ちと、彼の私への気持ちの釣り合いがまったく取れていないこと。やっぱり、いつまでも彼にこんな思いをさせるわけにはいけない。
「王子、向こうでちょっと話さない?」
**
勢いで言ってみたものの、いざ自分の話をするとなると何から切り出せばいいのかわからなくて、黙り込んでしまった。
王子は何も言わず、そっと手を重ねて言葉を待ってくれる。その手から彼の優しい気持ちが流れてくるようで、少し安心する。
「王子は、私のことが本当に好きなんだね」
馬鹿みたいに偉そうに聞こえるセリフにも一切動じず、彼はいつものことのように頷いた。
「私は…どんなに頑張ってもそこまで自分を好きになれない。だから自分で埋めれない穴を埋めるために、王子を使ってるだけなのかもしれない」
話しても、話さなくてもきっといつかは傷付けてしまうのだろう。そのことに気付いても彼に何もしてあげられないのが、私という人。
「深く考えずに付き合うなんて言って、ごめん。わかってたけど言わないでいてくれたんだよね。でも王子が私のこと好きって言ってくれる度にすごく申し訳なかった。君は何でもしてくれるのに、私は何もしてあげられない」
一緒に楽しい時間を過ごせば過ごすほど罪悪感で胸が潰れてしまう。頭が痛くなりそうなほど胸を痛めていると、繋いだ手に彼が呑気に頬擦りをし始めた。
「僕はもう、君しかいらない」
とんでもない発言が簡単に飛ぶ。この人は、何を言っているんだ?
「逆に言えば、君だけは絶対に欲しいんだよ」
ターコイズブルーの瞳から映写された光が、私を照らしている。
何故こんなにも好かれているのか本当にわからない。前世で王子の国でも救ったのだろうか。
「君は自分のことを悪者のように言うけど、それなら僕はもっと酷い。チェスするみたいに逃げ道を塞いで、君を無理矢理言いくるめた黒幕は僕だ」
真面目な顔で言うけど、どうしてもそんな風には思えなかった。黒幕って何だ。私が王子と付き合うことって、悪い組織の活動の一部なのかな。そんなわけあるか。
でもきっと、彼も私の話を聞いて同じことを思ったのかもしれない。
「王子は、私の何になりたいの」
「一番好きな人」
埒が明かないから聞いた質問は、一切迷わずに即答される。だけどこちらも負けじともう一振り。
「それ、なれなかった時はどうする?」
「その座を奪い取りに行く」
「戦闘民族か」
「僕が絶対って言ったら絶対なんだよ。他の誰かの恋人になるくらいなら、君の浮気相手になりたい」
「いやその世界線の私めっちゃクソ野郎じゃん…」
話しているうちに漫才みたいになってきた。ていうか私の非情すぎる話を聞いた後によくこのテンション保っていけるな…
「どんな育て方したらこんな屈強なメンタルが出来上がるんです…親の顔が見てみたいな」
「え〜嬉しい。両親への挨拶なら僕はいつでも準備できてます」
「うるさいなマジで」
「あははっ、ごめんね。でも、君が僕のことで悩んでるのがなんていうか…嬉しくて。浮かれちゃった」
「喜びの程度が低すぎる…」
こっちは別れることになるかもしれないとまで覚悟していたのに。そんな気配すらなく、気がつけば何故かコントをしていた。
「気軽に出来る話じゃなかったよね。話してくれてありがとう。君の口から聞けたことが何より嬉しかったよ」
王子は握っていた手をそっと離して、目を細める。
「でも、僕だってちゃんと弁えてるから安心して。自分と同じ気持ちを君が持ってると勘違いするほど、図々しくはなれない」
繋いだ手が離れると、途端に彼が遠くなったような気がした。長く一緒にいたつもりだったけど、私から彼に近付こうとしたことなんて今までほとんど無かったんだ。
王子は思いやりのある素敵な人で、私のこともよく理解してくれている。でもそれは、やっぱり完全じゃない。
「…違う。私は王子のことをもっとちゃんと、君が私を想うように本気で好きになりたいよ」
離れていった手を追いかけて捕まえる。真っ直ぐに届いて欲しくて、瞬きするのも忘れたまま彼を見つめた。目は、口ほどにものを言うだろうか。
「……どうしよう、僕またふっ飛んじゃいそう」
「それは勘弁して」
「うん…でも、本当に宙を舞うくらい嬉しかったんだよ…」
「なっ、何ですか!」
王子が突然ベンチから降りて、地面に跪くから私はびっくりして飛び上がるように起立した。
「君が自分のことを好きになれなくても、僕は君のことが好き。君の痛みや悲しみを消してあげたいと思うし、君の癒しや喜びになりたい。だから、君の一番近くに僕の居場所を頂戴?」
な、何それプロポーズ…?あまりにも様になりすぎている…王子が触れている私の指先は、きっと震えてる。
何をしてもずっと満たされなかったものが彼によって少しずつ満たされていく。いつかバラバラになって飛び散ってしまった私の欠片を彼がひとつずつ拾い集めて、元に戻してくれる。
「王子の一番近くを私にくれるなら、いいよ」
私の言葉に彼は笑顔で頷いた。
「うん、約束する」
日々を充実して過ごすために、今日を人生1番の日にすると毎朝決意している。こんなに幸せな日があるなら、明日はもっと幸せにできる。
**
『だから私たちはナチュラルメイクを極めて教師の眼を掻い潜ることで、日々メイクの腕を磨いてんのよ。いわば毎日がSASUKEなわけ』
『いやSASUKEは草』
『でも“校則を守れない奴は法律も守れなくなる”っていう暴論生徒に振りかざす文化そろそろやめてほしい。その理論なら究極うちのパパは総理大臣だし』
『究極すぎるわ』
昼休み、怠そうにお喋りをしている友人たちの輪の中で1人だけ作文を書いている私という人。
『ていうかあんた何、宿題今頃やってんの?』
「前の休み時間に必死でやるのが私のスタイルだから」
『危ない橋渡ってんな〜。卒業大丈夫そ?』
『まぁ強大なパトロン捕まえてるし平気でしょ』
「だぁれがパトロンだって〜?」
『この窓、先生に頼んで開かないようにしてもらおう』
噂をすれば現れる説ってやっぱりマジなのかもしれない。
「ごめん王子、今ちょっと宿題やってて構えない」
彼の方を見て直接告げると、ふっと優しい微笑みを向けられる。
「気にしないで。顔見にきただけだから」
それは持続可能な生き方すぎる…王子一彰に清き1票。
『いやいや2人の世界入るのやめてもろて〜』
『見つめ合うな見つめ合うな』
『あーっ!もどかしい!作文は私が書いとくからお前ら2人でジュースでも買って来い!』
いきなりブチギレた友人に原稿用紙を奪い取られ、無理矢理椅子から立たされる。こんな形式のパシリ初めて見たわ…と呆然とする私と、わーいと嬉しそうに万歳する王子。
「みんなありがとう、何がいい?僕が奢るよ」
『さっすが王子!マジで名前負けしてないね。お茶でよろしく!』
『私もお茶〜』
『コーラお願い!王子ありがと!』
「了解、いってきまーす」
「懐広すぎない?」
自販機までの途中、軽快な足取りでニコニコるんるんしている王子にこんなことを言うと、彼は一瞬きょとんとしてからふふっと馬鹿にするように笑う。
「君ってポジティブだよね」
「は〜?何それ!プリーズ意訳」
「教えてあ〜げない♡」
もはや煽ってるとしか思えない。
「なぜですか?」
「それはかっこよくて素敵な僕のイメージを守るためです」
「素直か」
「実はこれも戦略の内って言ったら?」
「策士すぎる…けどそれさえ有り得るのが王子だからなぁ…」
「予想してないことなんてほとんど無いんだよ。君に関係することなら尚更」
またとんでもないことをさらっと……脳みその何%を使って私のことを考えてるのか、ちょっと割合を見てみたいな。いや、見ない方がいいだろうけど。
「予想してなかった時はどうなるの?」
「昨日見たでしょ?僕の空中浮遊」
「ふふっ、あれは傑作」
あの出来事は私の人生最期まで語り継ぐと決めた。
「面白いから、これからも王子を驚かせることに全力を尽くすよ」
「まいったな〜骨抜きにされちゃいそう」
王子が困ったようにゆるゆるの笑顔を浮かべるから、また釣られて笑ってしまった。
彼の瞳に私が映って、自分の好きなところも嫌いなところも全部、光の粒になって消えていく。
私は不器用で意地っ張りなところがあるから素直になれない時も多いけど、これからも王子と一緒にいたいって本気で思ってるよ。
だから、ずっと私の手を離さないでいてね。
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