みじめでおりたいので貧乏でおるのを選ぶ

れいさんとZoomした。

話してる内容は「絶望してる」とかなのに、れいさんからとても平安な領域の余波のようなものが私の中に拡大していくのを感じて、私はれいさんにお金を払ったほうがいいのでは?と本気で思ったくらい、すごい癒やされてしまった。

言葉の内容なんか関係ないんだ
つながっている空間から拡大するほんわりした平安

なんか、ほんわりした平安な感じが拡がっている。

このほんわりが、自分でやらない、聖霊にやってもらう、ってところからきてるんだとしたら、わたしはこれを選ばないといけない
わたしはこれがとてもすきです。私がほしいのはこれです。私はこれを選びたい。

口ではみじめとか絶望してるとか出てるけどさ、関係ないんだね

私はこれがほしい


れいさんに言われたことで、覚えておきたかったこと

「聖霊は与えたくて仕方がないのに、私たちは自分からそれを拒否している」

お金のないことに関してはキャラももこのお気に入りのネタですが
「自分をみじめにするために貧乏でおるのを選ぶ」
というのは
「自分をみじめにするために何回も輪廻させる」
のと、根っこにあるのはおんなじらしい

誰かを通して何かが与えられたら、その人個人から与えられたのでなく、その人の奥にある聖霊から与えられたと考えるように、というカースティンのエピソードを聞く。

同時に、誰かから与えられない・受け取らないというときは、その人個人に対してではなく、その奥にいる聖霊からの支援を拒否しているんだと。

聖霊からの支援を拒否するのはやめたい



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