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〈往復書簡〉私から、波を起こす 第5便「誰かに向き合うことが怖くても」

第5便「誰かに向き合うことが怖くても」

2024年5月19日

村田奈穂さま

こんにちは。初夏の陽気どころか、夏日を観測する日が増えるほどになりました。なんだか日本の気候から春と秋がちょっとずつ消えていっているんじゃないかと、そんな気持ちにさえなってしまいます。
暑い時期と寒い時期しかなくて、その間をつなぐうるわしい季節がなくなっていってしまうと、あらゆるところで余白というものが消えていっている現代そのものを季節が映し出しているようにも思えて、寂しい気持ちになりますね。もっと春や初夏のような、季節のグラデーションを、機微を味わいたいのですが、街の空気はどんどん夏へ突進しています。

前回のお便り、食い入るようにして読んでしまいました。
村田さんがミステリーをずっとお好きだったこと。文学少女だった時代のお話を伺った時から、純文学がお似合いだと勝手に思っていたので、入り口がミステリーだったと思うと少し意外でした。でも、本当の読書家の方こそ、ジャンルを横断的に読まれるというか、ひとつやふたつではないジャンルに深く入り込んでおられるものだと思うのです。ミステリーを含めてさまざまな分野の書籍を読んでこられた、ということを、村田さんの書かれる文章の端々から、僕はいつも感じています。

お父様と初日の出を見にいかれたときのこと。
僕はそのパートを読んでいる時、まるですぐそばに、村田さんと、村田さんのお父様がいるような心地でした、村田さんのお父様には当然お目にかかったことはないし、どんなお顔なのかも知らないのに。
それくらい、海を通じて浮かび上がるおふたりの関係性が、僕に迫ってきたのです。おふたりの間に流れていたビートルズはきっとさみしいBGMだったと思います。ジョンとポールの声が、暗がりの、無言の車中で流れていても、こもった古い音像はきっと二人にあっけらかんとした会話をさせる力はなかった。

でも、海はおふたりの間にあったものをすべて溶かす。そしてまた、やさしく結びつける。
家族という濃密な関係性すらも、ひとときその強制をゼロにし、解き放つような力が海にはある。そのことに、僕は僕の想像を超えた、まさしく人智を超えた海というものの凄みを感じます。
でも、「凄み」というには、そこにあった海の姿はあまりにも静かで何気ないものだったのかもしれませんね。そこに吹いていた潮風、潮の匂い、砂浜のやわらかさ、そういうもののひとつひとつは、いつもの海と変わらないものだったのでしょうから。でも、仰々しいものではなく、いつもと変わらない海だったからこそ、そんなふうに、家族の間に波打ち、また引いていくうちに、そこにあった砂をきれいに流してくれたんだと思います。

何かに映った自分、というもの。
村田さんにとって、お父様が鏡のような存在だったということ。
僕はそれを聞いて、自分は、ほとんどあらゆる人を鏡のように捉えていたのかもしれない。そんな気がしました。
ふとした瞬間に、その人を、その人の瞳に映る自分の姿をとおして、自分自身の弱さや、だめなところが自覚される、そんなことが多いような気がします。

自分の放った何気ない一言が、誰かを傷つけてしまったこと。
言われた言葉の奥にあった本音を、わかってあげられなかったこと。
楽しい場でおもしろいことをうまく言えず、周りの人に気を遣わせてしまったこと。
自分の言葉が場の空気をまずくしてしまったり、相手を戸惑わせてしまったりするのを、誰かの表情や瞳をとおしてわかってしまうこと。

具体的なことを挙げたらキリがありませんが、そういう、瞬間瞬間で変動する、対面でのコミュニケーションというものを怖く感じている自分がいます。普段、うまくいえないことが多くて、だから僕は本をつくったり、以前はバンドを組んで曲を作ったりして、ただの「おしゃべり」ではない形で、自分の中に渦巻いていた思いを、別の誰かとシェアしてみたかったのかもしれません。

こうやって、自分のやってきたことを言葉に置き換えてみると、すごくまどろっこしいことをしているようにも思われてきます。しかし、そうでもしなければ、自分の汚いところ、好きではないところ、嫌なところを直視せずに、誰かに何かを「ありのまま」の形で伝える度胸が、僕になかったんだと思います。

僕は、誰かと正面を切って対峙するのが怖かったのかもしれません。本音を見せ合って、裸で通じ合おうとすることが怖かったのかもしれません。
そんな臆病な僕にとって、なにもいわずにそこにいてくれる海は「人間でない友」として、長く僕を助けてくれていたような気がします。

日立を離れて、東京の街中に暮らし、そしてまた海辺に暮らし始めた今、仕事がだめだったり、肉体的に疲れ切ったりして、どうしようもない気持ちになると、僕はよく海に行きたくなります。
それは、僕が海に癒やされてきた18歳までの記憶を、なぞろうとする行為なのかもしれません。
確かな、優しい記憶をなぞりながら、いつの間にか「大人」にカテゴライズされてしまった日常の厳しさを、なんとか過ごし抜いていく。対話する相手であり、思いを巡らせる場所でもある海は、そんな日々を乗り越えていくための、大きなパートナーのような存在。そう言ってもいいのかもしれません。

僕は近頃、本を作るというのは、僕自身のことを語りたいだけなのかもしれない、と思う時があります。
海という場所を本のテーマに選んだのも、自分の思い入れが強い場所を通して、自分の表現を追求したい、それに尽きるのではないかと。
少し前の僕なら、それではダメだと思ったかもしれないけれど、村田さんは、自分の創作に社会的な意味を見つけられずに困っていた僕を励ましてくれました。
今ではそれでもいいのかな、と思えます。僕が「対岸」をしっかりと見つめていられる、その限りにおいて。

4月末に日々詩書肆室で行われた「港の人」のイベント、せっかくお誘いいただいていたというのに、行けずに残念でした。用があって日立へ帰省しており、ちょうどタイミングが重なってしまいました。
村田さん、年明け以来しばらくお目にかかっていませんね。近いうちに津のお店へ伺いたいです。SLOW WAVESの3号目もこのほどようやく出来ましたので、追ってお届けしますね!


▼著者
今枝孝之(いまえだ・たかゆき)

「SLOW WAVES」主宰・責任編集。1995年、茨城県日立市生まれ。東京での出版社勤務を経て、2022年より愛知県常滑市在住。2023年、『SLOW WAVES』issue01/02を刊行。5月にissue03を刊行。

次回、村田さんによる第6便は、6月中旬に公開予定。
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初回アップ日:2024年5月19日(日)
責任編集:今枝孝之


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