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「なぜ船は沈んだのか」情報公開をこれ以上劣化させないためにも提訴します

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書き手:高田昌幸(フロントラインプレス)

 2008年6月23日、朝。千葉県犬吠崎東方沖350キロ地点で、第58寿和丸はメインエンジンを止めて停泊を開始した。これから起きる大異変など、誰も予想することができない、いつもの海だった――
 事故から12年。数々の疑惑に漁師たちが重い口を開き、衝撃の真実が明かされる。

 そんな書き出しで、調査報道グループ「フロントラインプレス」は今年2月から4月にかけ、「沈没 寿和丸はなぜ沈んだか」をスローニュースで連載した。全8回、総計で10万字ほどになる。

 この物語は終わっていない。続きが生まれることになった。国を相手取っての提訴という続編である。原告は、われわれフロントラインプレス。提訴はきょう、7月19日だ。国を相手に事を構えるとは、いったい……?

 少し、私たちの話を聞いてほしい。

取材のきっかけは「え?潜水艦」

 「沈没」は2008年6月に太平洋上で転覆し、深海に沈んだ漁船「第58寿和丸」の事故原因を追いかけるストーリーだ。船長や漁労長を含め17人が犠牲になり、生存者はたった3人しかいなかった。滅多にない大きな事故である。

 取材を担当したのは、フロントラインプレスのメンバー・伊澤理江さん。
 彼女は全く別の取材で福島県いわき市に出向き、これも全く偶然に野崎哲さんという漁業会社の社長と出会った。小名浜漁港を拠点する会社で、「寿和丸」シリーズの漁船を何隻も持っている。

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野崎哲さん(撮影:伊澤理江)

 野崎さん自身は福島県漁連の会長も務めており、福島県の、いや東北の漁業界を代表する「顔」の1人だ。福島原発の汚染水処理問題で、国や東京電力との交渉の前面に立っている人物と言えば、わかりやすいかもしれない。 

 伊澤さんが野崎さんに会ったのは、2019年9月のことだ。その場には他に数人がおり、他愛のない雑談も続いていた。場は終盤、第58寿和丸の話になった。

 多くの人がそうであるように、彼女自身にも事故の記憶はなかった。最初は、いったい何の事故だろうと思い、話の筋道もさっぱりわからない。そのうち、「変な事故だったよねえ」「原因が今もわからない」「波じゃないよね」といった言葉がぽんぽん出始めたのだという。その中に「潜水艦」という言葉もあった。

 え? 潜水艦?
 潜水艦と衝突して沈没?

 そこから伊澤さんの長い取材は始まった。

証言と食い違う報告書

 取材で会った人物はいったい、何人になるだろうか。30人? 40人? おそらく伊澤さん自身も数え切れていないだろうと思う。その他にも当時の報道資料を集めたり、航法や船体構造に関する勉強をしてみたり。専門家に会うには、取材者にも一定程度の専門知識が欠かせない。「にわか」と言われたらそれまでだが、それでも取材者は普通、できる限りの資料や論文を集め、読み込むものだ。

 3人の生存者は取材に対し、「油が大量に漏れていた。海は黒かった」と口を揃えた。国の調査機関・運輸安全委員会のヒアリングでも同様の内容を証言したという。しかし、同委員会の調査報告書は、そうした証言を軽視。重油は少量しか漏れなかったとして、「波による転覆の可能性が考えられる」と結論付けた。

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報告書

 こんな結論でよかったのだろうか。何しろ、報告書が示す転覆に至る状況は、明らかに生存者の証言と食い違っている。大量に油が漏れていたのであれば、燃油タンクが設置された船底の破損が強く疑われる。波による転覆では大量の油が漏れることはない。つまり、船底破損により、第58寿和丸は転覆したのではないか――。多くの専門家は、伊澤さんの取材にそう回答したのだ。

 では、沖合でパラシュート・アンカーを使って漂泊中の漁船で船底の破損が発生するとしたら、考えられる原因は何か。実は、一部の専門家らは「潜水艦との衝突」を疑っていた。当初は国の機関もその可能性を捨てず、船体の潜水調査を検討していたのだという。

 断続的だったとはいえ、取材は1年半にも及んだ。そのプロセスの中に「情報開示請求」もあった。

情報公開請求に「不開示」なぜ

 私たちが行った情報開示請求は、運輸安全委員会に対するもので、求めたのは「報告書作成のために収集・利用した調査資料の一切」、および、それらの「資料項目の一切」だった。

 第58寿和丸の事故については、船主の野崎さんも「船底破損」を強く疑っていた。生存者は、まず船底に衝撃を感じ、船は傾き、脱出を試みる中で傾きが増して海水が入ってきたと言っている。「波で転覆」を感じさせる証言はどこにもない。ならば、運輸安全委員会の調査報告書はなぜ、「波」を原因としたのか。取材ではそれを知る必要があった。

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第58寿和丸。後尾から船体を見る
(運輸安全委員会「船舶事故調査報告書」から)

 請求に対し、委員会は一切の資料を開示しなかった。「不開示」決定である。私たちは直ちに、不服申立て(審査請求)を行ったが、それも裁決で退けられた。資料の中身ではなく、使った資料のタイトル、つまりファイルの背表紙すら秘密だというのである。

 事故原因の究明は、個人や私企業のためではない。個人が担うべきものでもない。運輸安全委員会による綿密な調査は、同じような事故を二度と起こさないための、極めて公的な営為なのだ。

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不服申し立てを棄却する裁決書

 近年、情報公開に関する国の姿勢は後退を続けている。「のり弁」と揶揄される墨塗りは、今や珍しくも何ともない。不開示どころか、公文書を隠蔽したり、改ざんしたりもある。そもそも公文書を作成しないケースも目立ってきた。こんなことで、本当にいいのだろうか。歴史の検証に耐えられぬ行政とは、いったい、何のためにあるのだろうか。本件に関しては、もっと簡単に言うと、「こんな事故でなんで隠すの?」である。

取材はまだ終わりません

 提訴は、公文書を開示しなかった決定を取り消せ、という内容になる。原告は調査報道グループ・フロントラインプレスを率いるフロントラインプレス合同会社(代表社員・高田昌幸)、被告は国(処分庁・運輸安全委員会)。

 私たちの代理人・清水勉弁護士は「これに限らず、情報公開に対する国の姿勢は明らかに後退している。とくに今回はひどい。きちんと法的に対峙していなかないと、知る権利はますます脅かされていくだろう」と言う。

 裁判は長い時間を要するかもしれない。勝つか負けるかもわからない。でも、法廷の様子については、今後も広く伝えていきたいと考えている。

 簡単に取材は終わらないのだ!

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提訴後の記者会見
(左から出口かおり弁護士、清水勉弁護士、高田昌幸)

高田 昌幸
フロントラインプレス代表。東京都市大学メディア情報学部教授。元北海道新聞/高知新聞記者。著書に「真実――新聞が警察に跪いた日」など。