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三好達治 あっという間に過ぎた時間

『母の友』(2019年3月号)に掲載されている東直子さんの連載記事で、三好達治という人の詩が紹介されていた。私はこの詩を読んで、無性に懐かしい気分になった。この詩、あるいはこの人の別の詩を小学校の国語の教科書で読んだことがあることを思い出した。

いにしへの日はなつかしや
すがの根のながき春日を
野にいでてげんげつませし
ははそはの母もその子も
そこばくの夢をゆめみし

「菅(すげ)」と言う植物の根が長く伸びている、そのような春の日に、野に出てげんげ(れんげ)をつむ母親とその子ども。母も子もそこばく(いくばく)の夢を見ていただろう。

ひとの世の暮るるにはやく
もろともにけふの日はかく
つつましく膝をならべて
あともなき夢のうつつを
うつうつとかたるにあかぬ
春の日をひと日旅ゆき
ゆくりなき汽車のまどべゆ
そこここにもゆるげんげ田
くれなゐのいろをあはれと
眼にむかへことにはいへど
もろともにいざおりたちて
その花をつままくときは
とことはにすぎさりにけり

春の旅の汽車の窓から、燃えるような赤いれんげ田を見て、かつて母とれんげをつんだ日をしみじみと回想し、人生の時間があっという間に過ぎ去ってしまったことを描いている。

ははそはのははもそのこも
はるののにあそぶあそびを
ふたたびはせず

母も子も、春の野ではあんなふうに二度と遊ぶことはしなかった、ときっぱりと述べている。

最近、詩といえば現代詩ばかりで、詩は難しいと思っていた。文章の意味が分からなくてもとにかく読み進める。その過程で脳の神経回路がショートして、全く新しいイメージや感覚を呼び覚ます。それが詩だと思っていた。

しかしこの詩はそうではない。文章を読んで意味が分からないところはないし、むしろ分かりすぎるほど分かる。それ故、言葉の強さがダイレクトに心に響いて、悲しくないのに声をあげて泣きたい気持ちになる。なんて言葉が強いんだろう。昔はこういった文章を教科書などでよく読んでいたのだなと気付いた。

そこで思考が跳ねて、そうだ教科書に掲載されていた作品と、大学入試の現代国語の試験問題の出典を読もうと思いつく。情けないことに、私が一番アカデミックな文章に近かったのは高校三年生の頃だと思う。あの頃、大学受験の為に必死に読み解いていた文章を今の自分が読んだら、何か新しい発見があるのではないかという気がしている。

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