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『サハリンを忘れない』を忘れない

「サハリンの写真を撮り続けてる人がいるんです」

2019年のこと。後藤悠樹さんという写真家を教えてくれたのは、ニットキャップシアターという劇団の高原さんだった。

「今度の公演、サハリンが舞台の話なんです」
サハリン。
北海道の上にある島。えーと、樺太?
それくらいの認識だった。たぶんほとんどの日本人が同じ程度の認識だろうと思う。サハリンで暮らす人々とその歴史を、1900年代初頭から約100年にわたるクロニクルで描く物語、それを上演するという。

そんな作品『チェーホフも鳥の名前』のため、サハリンにまつわるさまざまな資料を読む中で、後藤悠樹さんにたどりついたのだと言う。後藤さんご本人からお借りしたという写真のファイルを見せてもらって、僕は目を見張った。

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日本のようで日本でない、ロシアのようでロシアでない、食卓の上には黒パンとキムチが並ぶ。ここは一体どこなんだろう。

写真はほぼすべてそこで暮らす人々の生活をうつしているのだけど、どの写真も、ある程度の関係性を築かないと絶対に撮ることのできない、親密さとひそやかな距離感と、ほのかなあたたかみがあった。

後藤さんの著書『サハリンを忘れない』を買って読んだ。
写真集ではなく、後藤さんが何度もサハリンに通う中で出会った人々とのエピソードや、彼らから聞いた過去の話を中心にしたフォトエッセイ。写真はもちろん良いのだけど、そこに書かれているのは、サハリンに暮らすおばあちゃんたちの壮絶な人生の物語だ。口に出すのも躊躇するであろう彼女たちの話に真摯に向き合い、しかし感傷的になるわけでもない、ほどよい距離感と丁寧で誠実な文章に引き込まれて一気に読んだ。自分がまるで極北の海に放り込まれたような衝撃で目の前がくらくらして、そんな読書体験は今までの人生で初めてで、自分にとって忘れられない大切な本になった。

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後藤さんのサハリンの写真を使って僕がデザインしたチラシを後藤さんはとても気に入ってくださった。打ち上げの席で初めてご本人とお会いして、上機嫌の後藤さんはこのデザインをべた褒めしてくれた。お酒が入っているからなのか、それともデフォルトがいつもご機嫌なのかはわからないけど、とにかく嬉しかった。
(『チェーホフも鳥の名前』も素晴らしい舞台だった。この作品は、その年の岸田國士戯曲賞の最終候補に選ばれることになる)

それから一年半が経った2021年4月、知らない番号から着信があり、出てみると後藤さんだった。

『サハリンを忘れない』のカバーを作ってくれませんか?

びっくりした。
後藤さんが僕のことを覚えてくださってたこともだし、まさかそんな話がやってくるとは思わなかった。

聞くところによると、西荻窪の今野書店という本屋さんで参加するフェアで、出版社に残った貴重な『サハリンを忘れない』の在庫を11冊だけ販売するという。せっかくなら最後にスペシャルな装丁にしたい。そこで、気に入ってくださっていた『チェーホフも鳥の名前』のチラシのようなトーンで新たに作ったカバーをつけたいとのことだった。

「やります!」
その場で即答して、そこから後藤さんとのアイデア出しが始まった。東京の後藤さんと、大阪の僕との打ち合わせはリモートで。やりとりは基本すべてメールで打ち返す。

210514_サハリンを忘れない_カバーオンカバーのアイデア

専用の箱を作って、その箱に収納するカバーはどうだろうかとか、後藤さん自身がプリントした生写真を貼り付けようだとか、もはやそれはカバーと言っていいのか?的な僕の無茶なアイデアに対し、後藤さんは「いいですねー!」とどんどん火に油を注いでくるので、アイデアはヒートアップしていく。止める人は誰もいないぞ。

最終的に決まったのは、中厚手の紙を厚紙2枚でサンドする、なんちゃってドイツ装なアイデア。生写真を貼り、印刷はすべて活版印刷。サハリンに暮らす11人の物語を11章で綴る作品なので、使用する紙の色も11色にして、1冊ずつ色が異なる仕様になった。

210616_サハリンを忘れない_カバーオンカバーのアイデア

そこからは早かった。
前から知っている竹尾・淀屋橋見本帖の担当の方に紙の相談をしたり、活版印刷が自分でできるスタジオEchosで印刷と製本の相談をしたり(本当に何から何までお世話になりました。ありがとうございました)。

結果的に、デザイン、印刷、製本まですべて自分の手作業で作る超絶アナログなカバーを作ることになった。そんなことやったことない。できるの自分?こわい!

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なにせ初めてのことだし、見よう見まねの作業だけど、初めてこの本を読んだ時に感じた、人と人を結びつける個の親密さのようなものがにじみでる装丁になったように思う。

人と人が向き合うことによって齟齬や摩擦、争いは生まれる。でも人と人とがともに良い時間(人生と言ってもいいかもしれない)を過ごすには、お互いの存在を受容し、ただただ向き合うしかないのだとも思う。
安易な常套手段やライフハックみたいなものから距離を置いて、効率悪い人生でも、汗をかいて人やものごとに向かいたいと思う。

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願わくば、ばかみたいに手間をかけてできたこの11冊を通して、サハリンに今も息づいているこんな世界があるんだと新たな世界に触れてくれる人がいると嬉しい。

今野書店『なぜ戦争をえがくのか』フェア
2021年7月22日(木)〜8月25日(水)
東京都杉並区西荻北3-1-8

[同時開催]
森岡書店『なぜ戦争をえがくのか』展
2021年7月20日(火)〜8月1日(日)
東京都中央区銀座1−28−15 鈴木ビル1階

※特装版『サハリンを忘れない』の販売は今野書店のみです。
森岡書店では、後藤悠樹さんのほか、小泉明郎・諏訪敦・武田一義・遠藤薫・寺尾紗穂・土門蘭・小田原のどか・畑澤聖悟・庭田杏珠+渡邉英徳(敬称略)の展示がご覧いただけます。

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