「知る」と「観察」が不可分なアリスの世界
数学が嫌いな私にとって、
科学の知見を広げるときに、
AIは都合の良い話し相手になってくれます。
ある時は映画オタクの友人だったり、
ある時は真面目で人の良い精神分析家。
今回は量子世界に詳しい物理学者としてお願いしてみました。
時々変なことも言ってくるが、
そこは私のゴーストが
「えっ?」となるので
なんとかなっています。
たまに間違いをする、幼年期の超天才AIとは今後も付き合っていきたいと思います。
というわけで今回は不思議な量子世界に紛れ込んだいい加減でモヤモヤする言説を以前から気になっていたので、AIでフィルタリングしてスッキリしていきたいと思います。
大型書店を歩いていると、量子論を都合よく使って「意識が」とか「知るだけで」と、かましてくる本がチラホラとあったので、少しムカついていたから、今回はジェミナイ君に壁打ち問答してもらいました。本当のことは科学的にしか証明できませんが、AIとの会話で面白かった部分を抜粋します。これが私にとっての落とし所となります。ジェミナイ君が正しいことを祈ります。
AIとの壁打ち問答
エッセイ
量子世界の「知ると観察の不可分な世界」は純粋な科学の世界であり、数式の世界である。しかし、我々の日常から見れば摩訶不思議な世界でもあります。
数式というひずみのないクリアなレンズで見た証明可能な不思議な世界。
まやかしで煙に巻いた怪しい世界ではない。
知るということはこれほど厳密な観察が必要なんだと思い知らされながらも、不思議な量子世界に圧倒されます。
そこで気が付いたんです!
量子世界では厳密な観察があることで、どこに行けばいいか、どうすればいいかようやくわかります。観察なしに知ることは不可能だし、まず世界が決まらない。常に観察が問われ、観察が求められます。
この状況から我々の生きる古典物理世界を眺めると、、、、
我々がいかにイージーな世界に生きているかよく分かる。世界は安定して決定済みであり、観察がなくても他人の観察を主観的に流用しても生活はうまく回ります。だから実験もしないでジェミナイ君に聞く行為もある程度は成立しているのです。それゆえのAIブームとも言えます。
観察が絶対で、しかも観察したことによって、ある確率でランダムに事実が決まる量子世界には到底生きられません。まさに不思議の国でアリスが見た世界です。
よく考えてみると、この世は我々が主観的に生きられるように作られている。しかも精巧によくできていて、さらには安定している。
その世界を根底から支えているのが、不思議の国の量子世界だということがさらに不思議に見える。
精巧なミクロの時計仕掛けのようなものが古典物理世界を支えているのではなく、妖精が出てきそうな不思議な量子世界が支えていたなんて。
「知る事で」とか「意識が」とか飛躍したい気持ちはわかります。しかし、それらを排除することが、リアルな魔術的科学の時代を迎えるためには必要な線引だと思います。
我々は科学的に驚くべきです。
「なんて世界はすごいんだ。不思議の国とリアルワールドはつながっていた!」と科学的に驚き、畏怖の念を抱いて立ち止まる。
この世界、つまり古典物理世界には、我々が主観的に自由に役を演じられるような舞台設定があるかのようです。
この状況に対しては神様に感謝するしかない。
舞台裏の量子世界では、観察なしに主観のまま興味本位で行動すると迷宮世界を永遠に出れなくなってしまうかもしれない。まさにアリスのように。
しかし、我々の住む古典物理世界は
霊的な意味では、主観だけで生きるのは厳しくなってしまったが、物理的な意味ではまだ主観だけでも許される優しい世界である。
だからといって「知る」と「観察」の不可分は必要です。ジェミナイくんが言うように、主観性と客観性は表裏一体で運用すべきなのです。
量子世界を通して見ればそれらの全体像がよく分かる。
便利な時代ですね。一冊本を読んだみたいな気分です。この体験代が、通信費を除けばタダなんです。しかも手元のスマホですぐ実現できる。これからの時代に必要なものはモチベーション以外残されていないというのも納得できる。このままだとよほど面白い本でなければもう売れないだろう。情報は軽く、安くなった。できればAIを提供する企業は参照元に利用した優れた記事に対して、その都度ポイントを与え収益化できる仕組みを作って欲しい。そうしないと誰も記事を読まないし書かない時代が来てしまう。優れた記事との共存なくしてAIの未来はないのではと心配しています。
ところで、
量子世界と不思議の国のアリスには通じるものがあるように思いませんか?
著作者はどのようにしてこの世界を掴んだのだろうか?
ちなみにジェミナイ君に量子世界と不思議の国のアリスとの共通点を聞いて見ました。
量子論なんて難しい本を読まなくても、不思議の国のアリスを読むだけでも同じ感覚になる。
私のような数学が嫌いな文系(文系に失礼)は不思議の国のアリスをじっくり読むだけでいいのかも知れません。www。
量子論を知ってるかと挑まれたら、「不思議の国のアリス」を差し出しましょう。
そのほうがオサレじゃないですか?
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