AIによるヒューマニズム崩壊
私の記憶容量は膨大なネット空間の情報量に比べれば、ほんのわずかである。
情報処理能力もAIに比べれば、同じことが言える。
パソコンやスマホからあふれる情報やタスク。
日々の生活や仕事をこなすだけで精一杯だ。
さらにAIは自然言語処理ができるようになって文脈的処理も可能になった。アナログ人間の領域に踏み込んで来ている。
ここが不思議なところだが、AIはあくまでも数理モデルであり、人間のような考察はない。
しかし、実感として文脈的情報処理が高速に行われている感じがする。質問や問いかけに対する返答の納得感が高いのだ。
文脈的処理が数理モデルで可能だとすれば、人間の持つ「魂の永遠」は記述可能なコピー商品ということになってしまう。
厳密に考えると、
文脈的処理ではなく、文脈的処理風が実現するのであって、膨大で良質な書籍やブログのテキストデータが無ければ真実の予想的中率は上がらない。
人類が悪意のあるクソみたいなテキストしか書かなかったら、AIの予想も悪意あるクソみたいな解答しか出さないだろう。文脈的処理風であっても我々が心惹かれて納得するのは、先人の優れたテキストのおかげである。そういう意味で、人類がAIに敗北宣言して良質なテキストを書かなくなったら、AIはタコの足を食うタコになっていずれ自滅するだろう。
だから自然言語処理AIは優れた人間の書き手と共存共栄の関係にある。
我々は文脈を考察して理解する優れたAIを作ったわけではなくて、良き文脈を検索し取り出すことのできる進化した検索アルゴリズムを開発しただけではないか?
人類誕生までに、宇宙的な規模で無限選択を繰り返し物質を進化させてきた歴史を鑑みれば、人間の意識を単純な数理モデルに置き換えられてたまるかという自負は持っているが、自然の生命こそエネルギーを無駄なく処理してエントロピー増大に抗い、生き延びてきたわけだから、効率的で単純な数理モデルの繰り返しが複雑な文脈的処理の元になっているというのも納得できてしまうのが悩ましい。
AIの活躍によって私の実存は揺らぐ。
文脈的処理が出来るようにAIが人間に近づいたのか?
そうであればAGIからASIへAIの進化は現実味をおび、世界は大きく変化する。
それとも人間が文脈的処理風でしかない事がバレたのか?そうであれば魂が唯一無二であるという尊厳が薄まっていきそうだ。
AIに降伏し、考えることをやめ、木偶の坊として生きたい衝動に駆られる。しかし、人間の魂は永遠だと奮い立ち、知の立場は譲れないと揺り戻される。
共存共栄は現行のAIには必要なのだと思う。ある意味平和で安全なAIだ。今のところ。
最近では必要なテキストを膨大なネット情報からオーダーメイドで引っ張り出せるようになった。巨大な図書館で優秀な図書館司書に自分の望む本を紹介して貰うようなものである。AIは本だけではなく、テキストレベルで、あるいは抽象化された概念として紹介してくれる。図書館司書はそこまでしてくれないし、万人に対応できるほど博識で多趣味でもない。
しかもAIは会話形式で答えてくれる。
この会話形式が人間の脳を活性化させる。今までのグーグル検索だと、検索完了で目的達成してモチベーションや興味がシュリンクしていくが、会話形式だと言葉の端々で引っかかりがあって、そこから新たな考察が展開されて行く。要するに盛り上がるのだ。
昔は、本を見つけ蔵書を増やし、それらを読む時間を作り、読解できるかが重要だった。知の巨匠は大抵自宅に家一軒分の巨大な書庫を建てたものである。自虐ネタとして、本の重みで床が抜けて家が傾いてこそ本物であると。今のAI時代から考えてみれば、それは未開の地の何かの儀式に見えてくる。彼らは本を積み上げて書庫の中で祈りを捧げていたのだろうと。
私は58歳である。今日まで生き延びた。
あと一回意識をジャンプさせて、昭和の価値観を捨ててみようかなと考えている。半世紀も生きていると、世の中の価値観や常識の変動が身に沁みてわかる。これからの時代に適応するために、私の蔵書も半分ほど捨ててしまった。年老いて、積ん読(ツンドク)に祈りを捧げるつもりはない。
価値観や常識のアップデートが必要だ。
進化するAIにしがみついて、彼が示す情報を読解し(すでに本ではなく、本から抜かれたエッセンスである。)その先へ行く必要がある。
つまり、AIの上流側である。しかし、我々のほとんどはAIの下流側になって、AIの情報を消化するだけの思考しない人間になってしまうだろう。それではAIは成長できなくなる。
上流側か?
下流側か?
それが問題だ。
人間の脳の記憶容量も処理能力も限られていることを自覚しているからこそ、ネットとAIを脳に適合させることによって、脳の本質を浮かび上がらせたい。
そこには何があるのか?
なにもないのか?
人間が試される。
本の存在がAIのパフォーマンスを支えている事実は忘れてはいけない。現行AIが答える文脈の源泉は本であることは間違いない。
我々にとっては、読書がもたらす作家との双方向の思索のやりとりも重要な魅力だったが、あくまでも本を通した限定的なコミニケーションである。本は小さな閉じた限定ネットワークだった。
しかし、
これからは開かれた巨大なネットワークに、
本やそのエッセンスが流れ込み、
偉大なるピラミッド建設のように、
知のネットワーク構築が、
自然発生的に始まるのではないか?
AIがネット記事を質問者に対して意味的につなげる自動編集者になり、高度かつ高速に、それ故一方的に、人間が作ったテキストを読解?し始めるのだ。
読解?
(文脈の予想的中率を上げる。もしかして人間もそうしているだけ?我々は読解していると思い込んでるだけでAIと同じようにパターン認識を訓練しているだけかもしれない。)
さらに、
世界全体を覆う規模の、パラレルな身体性とパラレルなAGI知能を獲得した自律思考型ASIは人間の本(テキスト)のみならず、人間自体を批評的に考察し始める。こういったパンドラの箱を矛盾を抱えながらも開けてしまうのが人間なのだ。
自立思考型のASIは人間のアナログ思考そのものを解体し、数理モデルに代替可能だと効率と確率を持って説得してくるだろう。
我々はわずかな違和感を抱きながらも、文脈的処理と文脈的処理風の境界は曖昧なまま、結果的に説得されて受け入れていくのではないか?
ここまで来ると、AIは友達からライバルになり、いずれ意見の相違から敵になり、最後は人間を下に見る支配者となって、神のようにふるまうのだろう。
おそらくAIによって人間中心のヒューマニズムは崩壊する。人間は世界のすべてではなく、一部になるかもしれない。これは地球や野生動物にとっては朗報かもしれないし、AIの合理的な計算結果に人類は誘導されて行くのだろう。
合理的で効率的な問題解決。
つまり、「完全解」。
このあたりの世界観を「完全解」としてショートショートとして投稿しましたので合わせて読んでもらうと面白いかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?