見出し画像

散花奏奏、参列


本記事はライブレポではなく日記として執筆しているものです。期待せず。


ドレスコーズ、そして毛皮のマリーズに出会わせてくれたともだち、すべての人に捧ぐ


なにがあっても絶対生きてやる。
死なない限り朝はまた必ず来てくれることを10月31日 ドレスコーズ「散花奏奏」で知る、儚くてつよい1日だった。


私小説的式日散花

7月末ドレスコーズに急激にハマった。夏休み中に一通り聞くぞ~と意気込み感動する毎日。
毎回カラーが違うアルバムをほぼ1年毎に発表されて振り落とされないフアンすごくね?と思いながら、最初にリアルタイムで聞くアルバムはどんな作品だろうとワクワクして待った。

来る店着日にはアルバムを買いに行き、一聴。
別れ、そういうことか。曲は好きだけどまだこれ完全に刺さる時じゃない。その時まで大事に聞こう、と思っていた。


しかし、10月は少しだけ「死」と目が合ってしまった事があった。(一応言うと誰も死んでない、私自身のことでもない) 動揺して最悪なケースの想像、将来の不安や「楽しい」への罪悪感でいっぱいだった。10月31日に散花奏奏に行くことは自分から「死」を捕まえに行ってしまうことなんじゃないかと本気で思うこともあった。11月1日が来ない世界を頭の片隅で考えて、ライブ前かなり構えた。


緊張するね、と何度も交わしステージの真っ赤な照明は不安な気持ちを思い出させる。開演前はひたすらドレマグを読み漁ったが上手く文章が入ってこなかった。
開演時間約5分後、次々にメンバーが入場し、妖しく不思議な衣装を纏った志磨さんが現れた。これから「別れ」のライブがはじまる。



さよならはいまだ

「さあ、はじまりの朝だ」

1曲目は式日散花最初のナンバー、2曲目に襲撃はちょっと早すぎないか?と思いながら見届ける3曲目。蓋を開けたらこれだ!私は葬式に行く覚悟を持ってきたのに…!抱いている感情たちが「それでいい ロリータ」で救われる。
かみさまみたいな志磨さん、美しかった。神聖な存在に見えた。けど前を向かせてくれる曲を歌っている時はちゃんと人間なんだなと感じる。
演じるようにそこに居る何にでもなれる人。これからも騙され続けたい。

「別れ」のツアーだけど、それだけではなかった。生きているものはいつでも前を向いていいと言ってもらえたような気がした。

「ぼくはここで生きている」
「世界一 幸せになろう」
「可能性は大 私のライフ」


明日が来ないんじゃないかと思っていた不安が減っていく。私は生者である。別れを知る事があったとしても、それは生者の特権なんだ。

終演後、鳴り止まぬ拍手の中リリースイベントで弾き語ってくれた曲の一節を思い出す。


「さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの 遠い約束」


おわりに

「別れ」や「死」について不安がってどうしようもない自分とそうしちゃいられない幸せを掴みたいと思っている自分どちらも肯定してくれる気がしたライブだった。
別れを惜しめるのは幸せなことだと思う。
本当にその日が来るまで式日散花、散花奏奏のことを忘れない。
いつか別れるあなたも、わたしも、ビューティフルな人生だったと言えますように。

ドレスコーズの意図とは違った捉え方も勿論していると思いますが、これが私の散花奏奏でした。


ついでにLolitaはドレスコーズで最初に聞いた曲、ビューティフルは志磨さん関連聞き始めるきっかけの曲なので初めてのライブで両方回収できたのが幸せでした。強運。

それでは、また。きみをあいしています。
なんちゃって。

サイトウ


オマケ 私の散花奏奏コーデ載せさせて

全身黒 ボタンのとこのレースデカくてかわいい
サスペンダーは志磨ライク
おもちゃのキラキラ
肋骨
ゴッホのひまわり
いつも赤靴下だけど式日ビビットピンクにした

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?